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コレクション: STAGE8

地震記 下 - 翻刻

地震記 下 - ページ 59

ページ: 59

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.  斗にて塩いらす是も未来永々之云伝二書置もの也 一右之時在所庄屋は安岡吉左衛門也此一類は少も取おとし無之  未あふ昌に安穏也談議所に讃岐国福家住人権大僧都  暁印と申客僧居会有為目を見則此星文作ㇽ筆者也  汐の入所は談議所阿弥陀堂のつめ木の上迄入中里かぢ  次郎右衛門かつほ迄入河は船持の名花の出川原迄入八幡の  大権現のらんかんの北橋を打つふるなり畢   文化四年十一月公事に因て東行し崎浜に至る偶間暇を得遂に談議   所の在る処を問里長寺田六兵衛分一役所を指て示す予且阿奢梨申記   録今猶存する乎否を問へは古記有とて則出して示之因て謄写す是   谷陵記に所謂阿闍梨暁印か記録と云ものかし 宮崎高門職        印行  ◯地震考  文政十三庚寅年七月二日申の時斗に大に地震ひ出て夥敷  ゆり動しけれは洛中の土蔵築地なと大にいたみ潰れし家居も  有土蔵の潰れしは数多ありて築地高塀なとは大方倒れ怪  我せし人も数多也昔はありと聞けと近く都の土地にかく烈  しきはなかりけれは人々驚き恐れてみな〳〵家を走り出て大路に  敷もの敷仮の宿りを何くれといとなみ二三日ほとは家の内に寝る  人なく或は大寺の境内移り或は洛外の川 原へ移り西なる野辺に  集て夜を明けるかくて三日四日過ても猶も名残の小さき  震ひ時々ありて初は昼夜に二十度も有しか次第に静りて七