觀音堂

コレクション: 昌勝

越前国名蹟考 巻之七(地誌) - 翻刻

越前国名蹟考 巻之七(地誌) - ページ 57

ページ: 57

翻刻

告けれハ其者留よとて追はせけるに早行方を見うしなひけりとそ 果して松岡の繁昌百年に逮はすして止たりといゝつたへたり 御舘取拂の跡ハ地面を福井安穏寺へ下され支配す鎮守跡の 分ハ春日神主豊嶋氏の支配なり 相生橋 志比境村より福井へかゝる川筋に架れり此橋の川上薬師森の後 を犀明淵といふ橋の詰に大木の松二株あり依之相生橋の名あり 此橋をわたり合沼の船渡しより五領嶋へ行なり寛政元年閏 六月の大水に此指流落此辺の様子変りて今は少し川下の方 に橋をわたせり 元覚堤 羽も井元学頭 此間九頭竜川の南緑の堤なり国初本多丹波守法名元覚命を なして築かれしにや此辺比丘尼塚と云所つかふる俗説あり 昔此堤出水毎に崩損す終に旅人の尼僧を捕へ生ナカ ら築籠シカハ其後崩るヽコトナシト云 如意輪橋 相生橋の川下にあり観音町の北にあたる橋の少し上にいさゝか の渕あり其辺より観音を取上奉りしにより名付るといへり 往古宝長者の応め築山なりとて今も室町の内に小山有松岡御 館有之候時分は侍屋鋪なり右之長者の末葉なりとて春日祭 鼻高を持勘七といふもの有しは明和八年辛卯の秋九十九歳にし て死せり或云宝長者の子孫京都へ上り商人となり其家賑ひ甚