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翻刻
勅封倉は東大寺の實蔵也三庫といふ和漢の寶器かず〳〵の中に名香
二種あり一種を蘭奢待と號す聖武帝の御時異國より渡りし名香也
将軍家天下草創の時當寺を修造し此香を少し切給ふ例也足利尊氏公は
一寸切給ふ織田信長を二寸八分切給ふ給ふ勅使は日野大納言資定卿飛鳥井
大納言雅教卿とぞ聞し又慶長七年六月十一日これを切給ふ勅使は勧修
寺殿
唐橋殿柳原殿とそいふ此香を切給へとも又本の如くに成て更に減せずと
かや一種は大紅塵となづく又鴨毛屏風といふあり東大寺供養の時唐土
より渡りし大屏風也當寺より法華寺まで其間十五町光明皇后御
参詣の時左右にこれを引續けしといふ又神武帝より孝謙帝に
至るまて代々印信の巻物一■あり其外記するに際限なし
玄武山は廿五所山ともいふ
治承年中大佛殿再建の時精進潔斎の工匠廿五人あり
成新の後此山に入廿五菩薩と化して雲に入にけり故に名
とせり今記上生院の
坊内に遺跡あり
空海寺
弘法大師の建立也洞の内に石佛の地蔵尊あり
これを俗に穴地蔵といふ
劔塚
東大寺草剣の時に算と法力を諍ひたる帝國行者の剱を
収し所也東大寺に怪きことあれは必鳴動するとかや
戒壇院
聖武帝の
鑑真和
来朝して天竺那蘭陀寺の土を持
来り築給ふ戒壇也
文遣地藏
惣持院にあり左少弁行隆の女父は■
まかりし後此地蔵尊を祈りて冥土へ
文を遣しけれは又其返事を
とりてかへりあたへしと也
八幡池
大仏の南のかたにあり鏡池ともいふ
八幡宮式祭の日放生會あり
宜寸川
又吉城川宜木川ともいふ水源水屋峯より野田を
経て東大寺を遶り法蓮に至て佐保川に入
万葉
わきも子小衣借香の宜木川よしもあらぬかいもか目を見ん
浮雲祠
延宝記曰此御神は鹿嶋より御影向ありし也旅の初めを鹿嶋立といふは此發り
なり内院に御笠杖あり神前の小橋を耳語橋といひ池の板橋を浮雲橋と
いふ閼伽井は弘法大師の掘らせ給ふ井也庭に
大明神のいしたる鹿の足跡ある石あり
北向荒神
延宝記日本地は明星なり
むかしは月日星の三社あり