翻刻
家康公御年二十歳守勝御小姓に召出さる守勝昼夜
昵近し元亀元年庚午守勝十六歳御屋形にお
ゐて元服す
家康公より名を給はつて木俣清三郎守勝と号し候
一同年四月
家康公敦賀に御発向守勝初陳首二級を得同年
所々御合戦御供
一天正元年癸酉守勝十九歳一家の者事有岡崎
を立離る守勝供に去て諸国を巡見し師を
求め武芸を鍛錬し暫し明智日向守光秀に仕官す
一天正六戊寅年守勝二十四歳信長播州神吉の
城攻られし時光秀攻口を請取一番乗之鑓下高名
比類なきと世■之【よつてヵ】知る所也光秀感状を出す 又
和州片岡の城攻の時かに才蔵と同時に乗込一番
乗也光秀褒美あり
天正七己卯年大坂本願寺一揆
信長諸将攻しむるとき附城にあり諸手城に
付て逢反し攻る者多し光秀糧道切とられ難
義におよふ事七日守勝此時謀略秘計をめくらし
群集の一揆を追散し其糧道をひらきしを光