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コレクション: STAGE8

護法新論 上 - 翻刻

護法新論 上 - ページ 17

ページ: 17

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_レ俾_下 ̄ント人 ̄ヲシテ取_二徴 ̄ヲ目力 ̄ノ所_一レ及而生_中 ̄セ信 ̄ヲ於目力不_レ及之境_上者也。  上ニ述ル所ノ所以(ワケ)ユヘ。今|更(ワザ〳〵)コノ儀ヲ製(ツクリ)テ。凡眼テ視ル所ハ。  渾天儀ヤ地球ノ説ノ如ク見ユレトモ。其|正実(ホンマ)ナル所ハ。カヤウ  ナ象(モノ)ニ非ス。一須弥界ノ形状(カタチ)カ。凡眼ユヘ如_レ是見エタルモノナ  リ。其|由(ワケ)ヲ先ツ凡眼デ見エル所ヲ徴(シヤウコ)ニ取リテ。之ヲ諭シ。其見エ  サル所ノ正実ノ形状ヲ。信知セシメント欲(オモ)フトナリ。 荀 ̄モ知_二 ̄レハ展縮雖_レ ̄トモ異 ̄ナリト其揆是_-一_一 ̄ナルヿヲ。須弥山儀 ̄ノ之縮 ̄スルヤ也。則 ̄チ是 ̄レ渾蓋二球 ̄之渾 蓋二球之展 ̄ルヤ也。則 ̄チ是 ̄レ須弥山儀也。  広大ノ須弥界カ。  凡眼ニ縮(チヽミ)シテ。見エタルカ渾蓋二球ノ象(カタチ)デ。渾蓋二球ノ正(ホン)  実(マ)ノ所ヲ悟レハ。即チ仏説ノ須弥界是ナリト也。 雖_三 ̄トモ乃 ̄チ各 ̄〳〵能 ̄ク合_二其 ̄ノ天度_一 ̄二。而 ̄モ須弥 ̄ハ是 ̄レ得通者 ̄ノ真境。渾蓋二球則 ̄チ 凡庸人 ̄ノ妄想 ̄ナリ  今暦面ノ布算推歩ハ。須弥モ渾蓋二  球モ。共ニ其天度ニハ合ツセリ。其故ハ。須弥ハ仏説ユヘ。合ス  ルハ固ヨリ勿_レ論。《割書:仏説天度ノ推歩。暦面ニ合シテ違ハサル|事ハ。須弥山儀銘序和解ニ委ク出ツ可見》渾蓋二球ハ。  天地ハ如_レ是(カヤウ)ノ象ナラント。凡庸(ヨノツネ)人(ヒト)ノ妄想(ヲシハカリ)ヨリ出タルモノナレト  モ。数百年ヲ経テ。表ヲ立テヽ日影ヲ量リテ。天度ヲ考ヘ。窺  天鏡ナトニテ之ヲ観察シ。究理シツメテ。合セタルモノユヘ。天度  ニハ合スル筈也。然レトモ其正実ノ境(トコロ)ヲ知ラサルハ。通力ヲ得  サル。凡庸人ナレハナリト也。次ニ縮象ノ義ヲ述ヘ終ニ至リテ。 於_レ ̄テ是 ̄カ乎日月不_レ ̄ルノ出_二 ̄-没 ̄セ於地下_一 ̄ヨリ之理。不_レ須_レ ̄タ労_レ ̄スルヿヲ弁 ̄ヲ。  

現代語訳

(前頁より続く)人をして、目力の及ぶところより徴を取り、目力の及ばぬ境において信を生ぜしめんとするものである。 上に述べた理由(わけ)ゆえに、今わざわざこの儀器を製作して、凡眼で視るところは、渾天儀や地球説のように見えるけれども、その本当のところは、このような形のものではない。一須弥界の形状が、凡眼であるがゆえに、このように見えているのだ。その理由を、まず凡眼で見えるところを証拠として取り、これを諭し、その見えない部分の真実の形状を、信じ知らしめようと思うのである。 もし広縮・展縮は異なるといえども、その道理は一つであることを知れば、須弥山儀が縮まったものが、すなわち渾蓋二球であり、渾蓋二球が展(ひろ)がったものが、すなわち須弥山儀である。広大なる須弥界が、凡眼によって縮んで見えているのが渾蓋二球の形であり、渾蓋二球の本当のところを悟れば、すなわちそれが仏説の須弥界であるということだ。 それぞれがよく天度に合致するとはいえ、須弥は神通力を得た者の真の境界であり、渾蓋二球はすなわち凡庸な人の妄想である。今、暦面における算術の推歩(計算)は、須弥も渾蓋二球もともにその天度には合致している。その理由は、須弥は仏説であるがゆえに合致するのは元より論ずるまでもない。(仏説の天度の推歩が暦面に合致して違わぬことは、須弥山儀銘序和解に詳しく記してあるので見られたい。)渾蓋二球は、天地はこのような形であろうと、凡庸な人の推量より出たものではあるが、数百年を経て、表(ひょう)を立てて日影を量り、天度を考え、窺天鏡(望遠鏡)などでこれを観察し、究理し尽くして合わせたものであるから、天度には合致するはずである。しかしながら、その真実の境(ところ)を知らないのは、神通力を得ていない凡庸な人だからであるということだ。次に縮象の義を述べ、終わりに至って、これにおいて、日月が地下より出没せぬという理が、弁ずる労を要せずして明らかとなろう。