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翻刻
例之上者所止訴訟也以前両条守和与状互不【この一行前コマと重複】
可改変若背此旨可被處罪科云々者此上
者不及異儀守彼状可致沙汰之状依鎌倉殿仰下
知如件
文保二年五月廿七日
相模守平朝臣 花押
武蔵守平朝臣 花押
向後は、当庄永代地頭職たるべきの儀、損否を論ぜず、毎年五十貫をもって京都へ弁済すべし。
此上は庄務の事、一向に地頭一円としてその沙汰を致すべし。
預所は庄務に相寄るべし。
一御代一度の様の検注の事、右雑掌申す子細、例なきの上は、訴訟を止むるところなり。
以前両条の和与状は、互いに改変すべからず。
もしこの旨に背く者あらば、罪科に処せらるべし。
この上は異議を申し立てず、かの和与状を守り、その通りに沙汰を致すべきの状、鎌倉殿の仰せにより下知件のごとし。
現代文訳
今後は、この富安荘の地頭職は永久に認めるものとする。
過去の損得についてはこれ以上争わず、毎年五十貫文を京都へ納めることとする。
これ以後、荘園の管理・運営は地頭が一括して行うものとする。
預所(荘園領主側の管理者)は、その運営に協力すること。
また、雑掌が申し立てている事情については、前例がないため、これ以上の訴訟は認めない。
以前に双方が取り交わした**和解文書(和与状)**は、お互いに変更してはならない。
もしこの命令に背く者があれば、処罰する。
以上のことについては、今後異議を申し立てず、和与状の内容を守って処理すべきである。
これは鎌倉殿(鎌倉幕府)の命令によって下された裁決である。
文保二年五月二十七日(西暦1318年6月頃)
相模守平朝臣
武蔵守平朝臣
この二人は、当時の六波羅探題の北方・南方を務める奉行人で、幕府を代表して裁決を下しています。