賀茂社関係文書翻刻プロジェクト

コレクション: 賀茂社記録

賀茂社記録. 第65冊 - 翻刻

賀茂社記録. 第65冊 - ページ 94

ページ: 94

翻刻

出殿《割書:于時未|半刻斗》恐悦申上但召具方主殿義此間已来禁足被仰付 ニ付今度御慶事一會経千召具取調可仕旨入江阿波守ヲ以被 仰付御請申上也 五日乙亥晴御殿調達御講六會目如例於三本木出殿《割書:于時未|半刻斗》恐悦申上但召具方主殿義此間已来禁足被仰付 ニ付今度御慶事一會経千召具取調可仕旨入江阿波守ヲ以被 仰付御請申上也 五日乙亥晴御殿調達御講六會目如例於三本柎奥田屋被相催 巳刻比より罷越戌刻相済 六日丙子晴中飯後神楽講十壱會目前調ニ付参集數顕的顕 辨顕経千下方弥七嘉蔵其余不参諸事如例○東福寺冨 一件ニ付御殿御調中御勝手方一統へ御尋之件々有之呼ニ 来申刻斗出殿之處則御返答書御用人御勘定方連名 ニ而出来有之両條一覧之処経千役中ニ而無之件々ニ付御用人 胡保迄両役へ御尋之義ニ付連名之義は致承知候得共件々 一覧之處経千何分在役中ニ而無之義ニ付右御返答書掛り大夫 中へ被差出候節其段演説ニ而御断被申上被下候様別段申出尤之 趣ニ付胡保承諾之旨也此義同役帯刀へも申入置下宿了 七日乙丑晴御家門御講勘定ニ付別段出殿申前刻相済也 十一日己巳晴西中手勘定参會也予勘定聞ニ候得共無拠義ニ付不参了 十三日辛未晴神楽講十一會目ニ付巳半刻より三本木奥田屋へ行向但 御家門より胡保同道也懿久容顕不参之諸事如前相済酉半刻 帰宅 十五日癸酉小雨降御殿同役御勘定方中小性川瀬主膳今朝卯刻 死去年六十三疫症云々依之寛政十一年十月勘定方藤田又兵衛死 去之節已下之例ヲ以為香奠令弐百疋被下之則経千持参遣之但 経千御勘定方被仰付候砌同人格別世話有之ニ付経千よりも為香奠 両鐐壱渡送之了

現代語訳

出殿した(この時未の刻半刻ほど)。恐悦を申し上げたが、召し具え方の主殿の件について、この間以来禁足を仰せ付けられているため、今度の御慶事の一会について経千が召し具えて取り調べを仕るべき旨を入江阿波守を以て仰せ付けられ、御請けを申し上げた。 五日乙亥晴 御殿調達の御講六会目を例の如く三本木の奥田屋で催され、巳の刻頃より出かけ、戌の刻に済んだ。 六日丙子晴 昼食後、神楽講十一会目の前調のため参集した。数顕・的顕・辨顕・経千・下方の弥七・嘉蔵、その余は不参。諸事例の如し。○東福寺富一件につき御殿で御調べ中、御勝手方一統へ御尋ねの件々があり、呼びに来て申の刻頃出殿したところ、則ち御返答書が御用人・御勘定方の連名で出来上がっていた。両条を一覧したところ、経千の役中ではない件々につき、御用人胡保まで両役へ御尋ねの件について連名の件は承知いたしたが、件々を一覧したところ経千は何分在役中ではない件につき、右の御返答書を掛かりの大夫中へ差し出される際、その段を演説にて御断りを申し上げていただくよう別段申し出た。もっともの趣につき胡保が承諾した旨である。この件は同役の帯刀へも申し入れ置き、下宿した。 七日丁丑晴 御家門の御講勘定につき別段出殿し、申前の刻に済んだ。 十一日己巳晴 西中手勘定の参会である。予も勘定聞きに行く予定であったが、止むを得ない事情により不参となった。 十三日辛未晴 神楽講十一会目につき巳半刻より三本木の奥田屋へ向かった。ただし御家門より胡保が同道である。懿久・容顕は不参。諸事前の如く済み、酉半刻に帰宅した。 十五日癸酉小雨 御殿同役御勘定方中小性の川瀬主膳が今朝卯の刻に死去した。年六十三、疫症とのこと。これにより寛政十一年十月勘定方藤田又兵衛死去の節の以下の例をもって香奠として令二百疋を下され、則ち経千が持参して遣わした。ただし経千が御勘定方を仰せ付けられた折、同人が格別の世話をしてくれたため、経千よりも香奠として両鐐一つを渡し送った。