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翻刻
は密【蜜は誤記】画にして真の如し。四編は草画にして筆力の妙あり。
夫絵に画図写の三象あり。画は画の総【惣】名にして。則画の草也。
図は是画の行也。写は画の真なるもの也。爾に前の三編は真
行を画。四編に至て草を筆す。其序の差ふに惑ふ。先生
これを弁て曰。古人有言。立こと不能ものは行こと不能。行こと
不能ものは走こと不能。と立は真也。行は行也。走は草也。我是を以
次第とす。と嗚呼先生の弟子を導や。惇篤なること真の
師たり。《割書:予》此言を感じて以て此書の序辞とはなしぬ。
絳山漁翁識
現代語訳
は精密な絵画であって真実のようである。第四編は草画であって筆力の妙技がある。
そもそも絵には画・図・写の三つの様式がある。画は絵画の総称であって、すなわち絵画の草書体である。
図はこれ絵画の行書体である。写は絵画の楷書体にあたるものである。そこで前の三編は楷書・行書を
描き、第四編に至って草書を筆にした。その順序が違うことに戸惑う人もいるだろう。先生は
これを説明して言った。「古人の言葉に『立つことができない者は歩くことができない。歩くことが
できない者は走ることができない』とある。立つのは楷書である。歩くのは行書である。走るのは草書である。我はこれを
順序とする」と。ああ、先生が弟子を導く様は、誠実で篤実なこと、真の
師である。私はこの言葉に感動して、この書の序文とした。
絳山漁翁 記す