琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

琉球入貢紀略 - 翻刻

琉球入貢紀略 - ページ 13

ページ: 13

翻刻

 云(いは)く、この国(くに)人(ひと)を食(くら)ふところなり悲(かなしい)かな此(こゝ)にして  命(いのち)を失(うしなひ)てんとすと、和尚(をしやう)これを聞(き)【ママ】て忽(たちまち)に心(こころ)至(いた)し  て不動尊(ふどうそん)を念(ねん)じ給ふ、《割書:三善清行(みよしのきよつら)が撰(えら)みし|伝(でん)にもおなじ趣なり》といへり、  これや琉球国(りうきうこく)の名(な)、吾邦(わがくに)の書籍(しよじやく)に見えたる始(はじ)  めならん、さてこゝに琉球(りうきう)は人(ひと)を食(くら)ふの国(くに)といへ  るも、もとより伝説(でんせつ)の訛(あやま)りながら、またその拠(よる)と  ころなきにあらず、隋書(ずゐしよ)に国人(コクジン)好相( アヒコノンデ )攻撃(コウゲキス)【左注「タヽカフ」】云々、取(トリテ)_二  闘死者(タヽカヒシスルモノヲ)_一共(トモニ)聚而( アツマリテ )食(クラフ)_レ之(コレヲ)とあるをおもへば、唐土(たうど)にて  ふるくより、琉球(りうきう)は人(ひと)を食(くら)ふよしいひ伝(つた)へしを、吾邦(わがくに)  にもかたり伝(つた)へしなるべし、これによりてもその  国(くに)吾邦(わがくに)には近(ちか)けれども、絶(たえ)て往来(わうらい)せざることを  知(し)るべし、   琉球国(りうきうこく)薩摩(さつま)の附庸(ふよう)となる 足利義満(あしかゞよしみつ)の男(なん)、大覚寺(だいかくじ)門跡(もんぜき)義昭(きせう)大僧正(だいそうじやう)、逆意(ぎやくい)の企(くわだ) てありて九州(きうしう)へ下(くだ)りたまふが、その事(こと)露顕(ろけん)し ければ、日向国(ひうがのくに)福島(ふくしま)の永徳寺(えいとくじ)に落下(をちくだ)り、野武士(のぶし)の者(もの) ども御頼(おんたの)み隠(かく)れ住(す)み給ひけるに、足利義教(あしかゞよしのり)これを 聞(きこ)し召(め)しつけられ、薩州(さつしう)の大守(たいしゆ)島津陸奥守(しまづむつのかみ)忠国(たゞくに)へ

現代語訳

「この国は人を食べる所である。悲しいかな、ここで命を失うことになろう」と言った。和尚はこれを聞いて、たちまちに心を込めて不動尊を念じなさった。《割書:三善清行が撰んだ伝にも同じ趣旨である》と言っている。 これが琉球国の名が我が国の書籍に現れた始まりであろう。さて、ここで琉球は人を食う国と言っているのも、もとより伝説の誤りながら、また根拠がないわけではない。隋書に「国人好んで相攻撃し云々、闘死者を取りて共に聚まりて之を食らう」とあるのを思えば、中国で古くより、琉球は人を食うと言い伝えてきたのを、我が国にも語り伝えたのであろう。これによってもその国は我が国には近いけれども、全く往来しなかったことを知るべきである。 琉球国薩摩の附庸となる 足利義満の男子で、大覚寺門跡義昭大僧正は、謀反の企てがあって九州へ下られたが、その事が露見したので、日向国福島の永徳寺に落ち延び、野武士の者どもを頼み隠れ住まれたところ、足利義教がこれを聞きつけられ、薩州の大守島津陸奥守忠国へ

英語訳

"This country is a place where people eat people. Alas, I shall lose my life here." The monk, hearing this, immediately focused his mind and invoked Fudō-son. (Marginal note: The biography compiled by Miyoshi no Kiyotsura also contains the same purport.) This may be the first appearance of the name "Ryukyu Kingdom" in our country's literature. Now, although the statement here that Ryukyu is a country where people eat people is naturally an error in legend, it is not without basis. Considering that the History of Sui states "The people of the country like to attack each other... they take those who die in battle and gather together to eat them," it appears that China had long transmitted the story that Ryukyu people were cannibals, and this was also passed down in our country. From this we should understand that although that country is close to our country, there was absolutely no exchange. Ryukyu Kingdom becomes a dependency of Satsuma Yoshiaki Daisōjō, the son of Ashikaga Yoshimitsu and monzeki of Daikaku-ji, had rebellious designs and went down to Kyushu. When this matter was exposed, he fled to Eitoku-ji temple in Fukushima, Hyuga Province, and lived in hiding relying on rōnin warriors. When Ashikaga Yoshinori heard of this, [he commanded] Shimazu Mutsunokami Tadakuni, the great lord of Satsuma Province...