翻刻
るに、琉球使(りうきうし)に命(めい)ぜらるゝこともありしとぞおもは
るゝなり
琉球(りうきう)はもとより吾邦(わがくに)の属島(ぞくたう)なりといへども、かけ
はなれたる島国(しまぐに)にて、その国(くに)往来(わうらい)することはやく
絶(たえ)ぬればたま〳〵載籍(さいせき)に見ゆるものも、僅(はづか)に一(いち)二(に)
条(てう)のみにして、その詳(つまびらか)なることを記(しる)したるものあ
ることなし、弘法大師(こうばふだいし)の性霊集(しやうりやうしふ)に凱風(ガイフウ)朝(アシタニ)扇(アフキ)摧(クタキ)_二肝(キモヲ)
耽羅(タンラ)之(ノ)狼心(ラウシンニ)_一、北気(ホクキ)夕(ユフヘニ)発(オコリ)失(ウシナフ)_二膽(キモヲ)留求(リウキウ)之(ノ)虎性(コセイニ)_一といへる
文(もん)あり、これは入唐(にうたう)大使(たいし)賀能(かのう)がために、代(かは)り撰(えら)み
て、福州(ふくしう)観察使(くわんさつし)に与(あた)ふるの書(しよ)にて、延暦(えんりやく)二十三(にじふさん)
年(ねん)の事(こと)なり、また今昔物語(こんじやくものがたり)、智証大師(ちしようたいし)の伝(でん)に、
仁寿(にんじゆ)三年(さんねん)八月(はちぐわつ)九日(こゝのか)、宋(そう)の商人(あきひと)良暉(りやうき)か、年来(としごろ)鎮西(ちんぜい)
にありて、宋(そう)にかへるにあひて、その船(ふね)に乗(の)り行(ゆ)
くに、次(つき)の日(ひ)辰(たつ)の時(とき)はかりに、琉球国(りうきうこく)に漂(たゞよひ)着(つ)く、
その国(くに)は海中(かいちう)にありて人(ひと)を食(くら)ふ国(くに)なり、その時(とき)
に風(かぜ)やみて赴(おもむ)かん方(かた)を知(し)らず、はるかに陸(くが)のうへ
を見(み)れば数十(すじふ)の人(ひと)鉾(ほこ)を持(もち)て徘徊(はいかい)す、欽良暉(きんりやうき)こ
れを見て泣(なき)悲(かなし)ぶ、和尚(をしやう)その故(ゆゑ)を問(と)ひたひたまふに、答(こたへ)て
現代語訳
るに、琉球使に命じられることもあったと思われるのである。
琉球はもとより我が国の属島であるといっても、かけ離れた島国で、その国との往来することが早くに絶えたので、たまたま文献に見えるものも、わずかに一、二条のみで、その詳細なことを記したものはない。弘法大師の性霊集に「凱風朝に扇ぎて耽羅の狼心の肝を摧き、北気夕べに発して留求の虎性の膽を失う」という文がある。これは入唐大使賀茂氏のために、代わりに選んで、福州観察使に与える書で、延暦二十三年のことである。また今昔物語、智証大師の伝に、仁寿三年八月九日、宋の商人良暉が、年来鎮西にあって、宋に帰るのに出会って、その船に乗って行くに、次の日辰の時ばかりに、琉球国に漂着く。その国は海中にあって人を食う国である。その時に風がやんで向かう方向を知らず、はるかに陸の上を見れば数十の人が鉾を持って徘徊する。良暉これを見て泣き悲しぶ。和尚がその故を問いたまうに、答えて
英語訳
and that Ryukyu envoys were sometimes commanded to deliver them.
Although Ryukyu was originally a tributary island of our country, it was a distant island nation, and since exchanges with that country had ceased early on, what occasionally appeared in written records was merely one or two entries, with nothing recording detailed information. In Kōbō Daishi's Shōryōshū, there is a passage stating "The southern wind fans in the morning and crushes the liver of Tamra's wolf-heart; the northern wind arises in the evening and causes Rukyū's tiger-nature to lose its courage." This was written on behalf of the Tang envoy Kanō to present to the Governor of Fuzhou, and this was in the 23rd year of Enryaku. Also, in the Konjaku Monogatari, in the biography of Chishō Daishi, on the 9th day of the 8th month of the 3rd year of Jinju, when the Song merchant Ryōki, who had been in Chinzei for years, was returning to Song, [the master] boarded his ship. The next day, around the hour of the dragon, they drifted to Ryukyu Kingdom. That country is in the middle of the sea and is a country where people eat people. At that time the wind died down and they did not know which direction to go. Looking far toward the land, they saw dozens of people wandering about carrying spears. Seeing this, Ryōki wept sadly. When the monk asked him the reason, he answered