翻刻
の都下種々の伝記の説起りて人情洵々して甚恖剽す
「アンド二キュス」日々に其訛言する者を検査せしめてこれを
殺すといへともあへて鎮らす是年千一百八十三年《割書:本朝|寿永》
《割書:二年宋淳|熙十年》九月十二日「イサシウス」が衆益々盛にして遂に
「コンスタンチノポル」に入る都城内外の万民歓喜躍躍して
これを迎ふ城中の人相聚りて宮に乱入し「アンドロ二キ
ュス」城縛りて門を開きて降り迎ふこゝに於て「イサ
シウス」城に入て士民を安し将卒を賞し即ち十四日
を以て「アンドロ二キュス」か罪を責めこれを驢馬の後に
縛りて都内を曳き巡りし刑卒傍に在て行々これ
を苛責し先其眼を抉り出し其後に右の手を斫り
最後都内を巡り終らんとする時に及て鉄釣を以て
其全身を柧き裂きて骨肉粉砕にす観者すべて
快と称す是日「イサシウス」は其先王の宗廟に於て厄勒
祭亜の教化主「バシリウス」これをさけて即位の礼を行
ひ国中すべて万歳を称へり
「オルレアンス」の少女の説
中興千四百二十二年《割書:日本応永二十五年明|永楽二十年壬寅なり》に拂郎察国の「カアレル」
第六世の王殂す其子位を嗣で「カアレル」第七世の王と号
すしかるに諳厄利亜「ヘンリッキ」第六世の王しきりに軍を興し
て拂郎察国を侵し千四百二十三年《割書:日本応永三十年明の|永楽二十一年癸卯也》に拂郎
察の兵敗れて死する者数千人次年に又「ヘルノイル」《割書:拂郎察|の地》の