翻刻
あり帝に奏していはく陛下若おこなひ改めずんば天
譴によりて今より七日の後に刀剱に羅りて命を失は
ん帝怒ていはく汝すてに我か命知るまた自ら
おのれの命を知るや方士のいはく日あらすして犬
臣か屍を食ふを知る帝のいはく我もし汝を焼い
て灰となさば豈犬の南汝か屍を食ふあらんやとて即刻に
命して木を積みて方士を其上に縛し火を以て
これを焼しむ火烟方に熾ならんとする則たち
まち狂風暴雨ありて火を悉く滅す方士の屍はな
を全く焦れす此夜犬数多ありきたりあつまりて其
屍を裂き食ふ後七日にして其臣「ステハノス」「ハルテニ
ウス」「コロヂア二ュス」等帝の寝室に入て剣をを以て刺す帝
を弑す帝在位十五年即中興第五十六年《割書:日本景行天|皇の二十六年》
《割書:漢の和帝永元|八年丙午》の事なり郡臣国人其貴族「子ルハコッセュス」を推
立して帝位に即かしたり此方士のいふところは
甚晋の郭璞の王敦に登たる語と相類せりといふへし」
按するに西洋昔より天文の学に種ありつを「アストロ
ノミア」といふこれハ真の天文の学にして天下国
家の要用とする者なり一を「アストロジア」と云其内又
分て二とす其一を「ナチュウルレイキ」と云これハ星気
を考て年の豊凶を知り人事に益ある事を工夫
するの学なり其二を「ベイゲロオヒゲ」と云これハ左道の