翻刻
《割書:今は「ランゴ」島|と称す》は地中海中に在て那多里亜(ナトリア)国の地に近くこれより
先に神医「ヒッポカラテス」誕生せるの地にして《割書:「ヒポカラテス」は本朝考昭天|皇二十年周の貞定王十三》
《割書:年乙酉の歳を以て生れたる人にして西洋の内外医道此人によりて大成せり|その著す所の内外医経今世に伝へて西方医家の宗とす》
太古の世に蚕桑の事は此島より始まるといふ
又按するに「レインプス」は彼天下七奇の一なる「ロッデス」島の銅
人巨像を鋳たる鋳工「カアレスレインチウス」が師なり巨像を鋳
たるは西洋開基第三千七百二十五年の事なりすなはち本
朝孝霊天皇の六十八年秦の始皇の二十四年戌寅にあたる
伊曽保物語の説
伊曽保(イソホ)物語といへる書三巻ありこれもと西洋の書を訳し
たるものにして誰人の所作なるを知らす末に云萬
治三年刊と而して此書の成たるはこれよりも以前の事
なるへし伊曽保は「ヒリシヤ」国の「トロヤ」の内「アモ二キ」といふ
里に生れたる人にして形の醜き事世に比すへき者
なしされど其才智又比すへき者なししかるに戦起りて
其邑里に乱入し伊曽保を擒にして「アテエルス」の地の「シヤン
ト」といふ人に売あたふこれよりして「シヤント」が許に在て
よりの事其後「エジット」「バビロ二ヤ」「ゲンシヤ」等の諸国を歴遊したる
一生の事跡幷に其所作の教戒の寓言数十条を記せり按
するに「ボイス」が所撰の崇芸全書に「エソぺ」の小伝あり「エソぺ」は
すなはち伊曽保なり《割書:西洋諸国にて人の名は其国によりて称を異にす|たとへは仏即察にて類斯(ルウイス)と称するを「ラテン」にては》
《割書:「リユドヒクス」と云ひ和蘭にては|「ロテリエイキ」といふ類なり》其形の醜さを記せる事皆伊曽保物