翻刻
誤る事万国一轍なり歎すべし
「アンドロ二キュス」か乱逆の説
西洋中興千百七十八年《割書:本朝治承二年|宋淳熙五年》に邏馬の東都の帝「エマ二
ュウル」在位三十八年にして東都「コンスタンチンノポル」城に於
て殂す太子「アレキシウス」年十二にして位を嗣く其貴族
「アンドロ二キュス」「モムボリス」の二人政を補佐すしかるに「モムボリス」
は年尚少し故に大小の事多くは「アドロ二キユス」に决す
「アドロ二キユス」性残暴なりその権威日々甚しくして
密の国を簒ふの心あり則先代よりの勲臣貴族を事
に托してこれを遠さげて独り政を檀にし遂に千一
百八十年《割書:本朝治承四年|宋淳熙七年》を以て先帝の后「マリア」敢て過失な
きに不徳の事ありと称してこれを廃して城辺に
於て 海に溺れしめて其屍を沙中に埋め尋て
少帝およひき続「モムボリス」を因へて皆弓弦を以て縊
てこれを殺し其屍を海中に投す少帝ハ在位纔に
三年にミたずこゝに於て「アドロ二キユス」また大に前代の
勲旧宗族を殺して自立して帝となる此時帝都《割書:入|尓》
《割書:馬泥亜の都「ウエ|子ン」をいふ》の帝「フレエデリキ」は踞遠く且他邦に事あり
て其乱を討するに暇あらす「アドロ二キユス」ます〳〵残暴を肆
にして入馬泥亜。等諸国の人来て「コンスタンチンノポル」
の都内に居る者多きを以て其本国に通して内乱をなさ
ん事を憂りて皆是を逐ひ或ハこれを殺す諸国の人