← 前のページ
ページ 150 / 382
次のページ →
翻刻
【欄外】
豊橋市史談 (松平信祝と其時代) 二百七十二
【本文】
一 通(とほ)り町(まち)公儀御定(こうぎおんさだめ)堅相守(かたくあひまもり)旅人(たびびと)に対(たい)し少(すこし)も猥成儀(みだりなるぎ)すへからす若左様(もしさやう)の者有之(ものこれある)は町内(てうない)より早速(さつそく)奉行(ぶぎよう)へ
可訴之(これをうつたへべく)かくし置後日(おきごにち)に顕(あら)はれは可為越度事(こさせたるべきこと)
一 旅人(たびびと)の外知人(ほかちじん)たりとも疑敷者(うたがはしきもの)宿(やど)すへからす親類(しんるい)又(また)は由緒正(ゆうしよたゞ)しき近付指置(ちかづきさしおき)は役人(やくにん)え相達(あひたつ)し指図(さしづ)を
得(う)へし常々(つね〳〵)旅宿(りよしゆく)をつとめさる所(ところ)にては子細(しさい)なくして旅人(たびびと)に宿借(やどかす)へからす他領(たれう)の者(もの)無拠儀(よんどころなきぎ)にて指(さし)
置(おく)は是又(これまた)役人(やくにん)え相達(あひたつし)可任指図事(さしづにまかせべくこと)
一 諸商売物(しよあきないうりもの)高直(たかね)にすへからす尤(もつとも)無詮売物無用(せんなくうりものむよう)たるへし質物(しちもの)にうたかわしき物(もの)不可取之(これをとるべからず)若盗物(もしぬすみもの)に
て後日(ごにち)に相知(あひし)るにおゐては本人同罪(ほんにんどうざい)たるへき事
附(つけたり)諸商売(しよあきなひ)道路往還(どうろわうくわん)の障(さけり)にならさるやうに心得(こゝろえ)へき事(こと)
一 博奕(ばくゑき)諸勝負(しよせうぶ)堅停止(かたくていし)の事(こと)
附(つけたり)人集(ひとあつめ)はなし猥(みだり)に近隣迄(きんりんまで)も騒敷体(さはがしきたい)無用(むよう)たるへき事(こと)
一 家中(かちう)の者(もの)を振廻事(ふれまはすこと)一 切(さい)すへからす家中(かちう)へも此段(このだん)触置(ふれおき)の間(あひだ)其旨(そのむね)を存(ぞんず)へし家中猥(かちうみだり)に徘徊(はいかい)下々(しも〴〵)等(とう)かさつ
の儀有之(ぎこれある)は奉行(ぶぎよう)へ可訴之(これをうつたへべく)後日(ごにち)に其者(そのもの)へあたなき様(やう)に相計(あひはから)ふへき事(こと)
一 町在共(まちざいとも)に猥(みだり)に武具(ぶぐ)をたくわへ浪人等(らうにんとう)かくまひ置(おく)へからさる事(こと)
附(つけたり)火(ひ)の本(もと)随分念入(ずいぶんねんいり)一 町(てう)一 村(そん)云合(いひあは)せ火(ひ)を消道具相応(けすどうぐさうおう)に用意(ようい)し一 軒(けん)々々 水籠釣置(みづつるべおく)へき事(こと)
一 嫁娶(よめとり)の義(ぎ)又(また)は寺社(じしや)の寄進(きしん)法事(はうじ)等(とう)分限相応(ぶんげんさうおう)に執行(しつかう)すへし
惣(そう)して衣服等(いふくとう)不依何事(なにごとによらず)驕奢(きよしや)花麗(くわれい)の体無用(ていむよう)たるへき事(こと)
附(つけたり)雑説風聞等(ざつせつふうぶんとう)堅停止(かたくていし)の事(こと)
右(みぎ)條々(でう〳〵)町在共(まちざいとも)堅可相守之(かたくこれをあひまもるべし)若違犯於有之者(もしいはんこれあるにおいては)急度(きつと)可所罪科者也(ざいくわにしよせらるべきものなり)
【左頁】
【欄外】
参陽新報四千百三十七号附録 (大正元年八月十三日発行)
【本文】
正徳二年十一月
《割書:信祝移封当|時の地図》 又(また)其当時(そのたうじ)のもので頗(すこぶ)る興味(けうみ)のある地図(ちづ)が今(いま)も幸(さいはひ)に大河内家(おほかうちけ)に残(のこ)つて居(を)るがそれは牧野氏時代(まきのしじだい)のものへ
朱書(しゆがき)を以(もつ)て新(あらた)に大河内家(おほかうちけ)即(すなは)ち松平氏(まつだひらし)の家来(けらい)の宿所(しゆくしよ)を割(わ)り付(つ)けたものである如何(いか)にも転封当時(ていほうたうじ)の状態(ぜうたい)と
云(い)ふものが目前(もくぜん)に見(み)る如(ごと)くで最(もつと)も史料(しれう)となるべきものと思(おも)ふが其中(そのなか)で一二の例(れい)を挙(あ)げて見(み)れば之迄(これまで)牧(まき)
野氏(のし)在城時代(ざいじようじだい)に其(その)家老(からう)の藤江竹右衛門(ふぢえたけうゑもん)が居(を)つた屋敷(やしき)へは朱書(しゆがき)で大河内家(おほかうちけ)の西村治右衛門(にしむらぢうゑもん)の名(な)が書(か)き込(こ)
むであり又(ま)た牧野家(まきのけ)の樋口市左衛門(ひぐちいちざゑもん)と云(い)ふ人(ひと)が居(を)つた屋敷(やしき)には同(おな)じく大河内家(おほかうちけ)の遊佐平馬(ゆさへいま)の名(な)が書(か)き
入(い)れてあると云(い)ふ訳(わけ)で其外(そのほか)実(じつ)に細(こまか)い処(ところ)まで一々 朱書(しゆがき)がしてあるのは甚(はなは)だ面白(おもしろ)く感(かん)ずるのである
サテ大体(だいたい)右(みぎ)の如(ごと)き事情(じぜう)で信祝(のぶとき)は初(はじ)めて此(この)吉田城主(よしだじようしゆ)と相成(あひな)つたのであるが話(はなし)は再(ふたゝ)び前(まへ)に戻(もど)つて当時(たうじ)前将(ぜんせう)
《割書:七代将軍家|継》 軍(ぐん)家宣(いへのぶ)は薨(こう)じて其(その)嗣子(ちやくし)鍋松君(なべまつぎみ)は御承知(ごせうち)の如(ごと)くまだ四 歳(さい)の幼童(ようどう)であつたが之(これ)が七 代将軍(だいせうぐん)家継(いへつぐ)となつたの
《割書:将軍家宣と|新井白石並|に間部詮勝》 である然(しか)るに此人(このひと)も亦(ま)た正徳(せうとく)六年 僅(わづか)に八 歳(さい)で薨去(こうきよ)されたので徳川家(とくがはけ)に取(と)つては不幸(ふかう)が相継(あひつ)いだのであ
つたが併(しか)し先(さき)にも申述(もをしの)べた如(ごと)く前将軍(ぜんせうぐん)家宣(いへのぶ)と云(い)ふ人(ひと)は実(じつ)に人物(じんぶつ)であつて特(とく)に新井白石(あらゐはくせき)を用(もち)ゐ又(ま)た彼(か)の
間部詮勝(まなべのりかつ)に信頼(しんらい)したが其(その)在職(ざいしよく)は僅(わづか)に四年であつたにも拘(かゝは)らず成蹟(せいせき)は頗(すこぶ)る挙(あが)つて所謂(いはゆる)正徳(せうとく)の政(まつりごと)は行(おこな)は
れたのである従(したがつ)て其(その)薨去(こうきよ)後(ご)も此(この)両人(れうにん)は幼主(ようしゆ)家継(いへつぐ)を扶(たす)けて誠意熱心(せいいねつしん)に天下(てんか)の事(こと)を行(おこな)つた勿論(もちろん)此両人(このれうにん)に対(たい)
しては当時(たうじ)幼主(ようしゆ)を擁(えう)して大政(たいせい)を左右(さゆう)した事(こと)であるし殊(こと)に詮勝(のりかつ)は其(その)位置(ゐち)が側用人(そばようにん)と云(い)ふのであつたから
多少(たせう)の批難(ひなん)もないではなかつたが併(しか)し此(この)両人(れうにん)がいづれも私心(ししん)なく誠意(せいい)であつた事は後世(こうせい)の認(みと)むる処(ところ)で
かゝる訳(わけ)であつたから徳川(とくがは)の天下(てんか)も先(ま)づ乱(みだ)るゝ事(こと)なく都合(つごう)よく経過(けいくわ)したのである又(ま)た前章(ぜんせう)に申述(もをしの)べた
如(ごと)く嘗(かつ)此(この)吉田(よしだ)に城主(じようしゆ)たりし久世重之(くせしげゆき)が若年寄(わかとしより)から老中(らうちう)の列(れつ)に入(い)つたのも此(この)正徳(せうとく)三年の八月三日であ
《割書:八代将軍吉|宗》 るがサテ家継(いへつぐ)薨去(こうきよ)の後(あと)を受(う)けて八 代将軍(だいせうぐん)と相成(あひな)つたのは諸君(しよくん)も御存(ごぞんじ)の如(ごと)く徳川吉宗(とくがはよしむね)で此人(このひと)は紀州家(きしうけ)か
【欄外】
豊橋市史談 (松平信祝と其時代) 二百七十三
現代語訳
【欄外】
豊橋市史談(松平信祝とその時代) 二百七十二
【本文】
一、通り町は公儀御定めを堅く相守り、旅人に対し少しもみだりな儀をしてはならない。もしそのような者がいれば、町内より早速奉行へ訴え出るべく、隠し置いて後日に現れれば落度となるべき事
一、旅人以外の知人であっても疑わしい者を宿泊させてはならない。親類または由緒正しい知り合いを泊める場合は役人へ相談し指図を得るべし。常々旅宿を営まない所では、理由なく旅人に宿を貸してはならない。他領の者をやむを得ない事情で泊める場合も、これまた役人へ相談し指図に任せるべき事
一、諸商売物を高値にしてはならない。もっとも、詮無い売り物は無用であるべし。質物に疑わしい物を取ってはならず、もし盗み物であって後日に相知れた場合は本人も同罪となるべき事
附(つけたり)諸商売は道路往還の妨げにならないよう心得るべき事
一、博奕・諸勝負は堅く停止の事
附(つけたり)人集めばなしみだりに近隣までも騒がしい体は無用であるべき事
一、家中の者を触れ回すことは一切してはならない。家中へもこの段触れ置いた間、その旨を存ずべし。家中がみだりに徘徊し、下々等が乱暴な儀があれば奉行へ訴え出るべく、後日にその者へ害がないよう取り計らうべき事
一、町在ともにみだりに武具を蓄え、浪人等をかくまい置いてはならない事
附(つけたり)火の元は随分念を入れ、一町一村申し合わせて火消し道具を相応に用意し、一軒々々水桶を釣り置くべき事
一、嫁取りの義または寺社の寄進・法事等は分限相応に執行すべし
総じて衣服等何事によらず驕奢・華麗な体は無用であるべき事
附(つけたり)雑説・風聞等は堅く停止の事
右の条々、町在とも堅くこれを相守るべし。もし違反これある者については、急度罪科に処せられるべき者なり
【左頁】
【欄外】
参陽新報四千百三十七号附録 (大正元年八月十三日発行)
【本文】
正徳二年十一月
《割書:信祝移封当時の地図》
またその当時のもので頗る興味のある地図が今も幸いに大河内家に残っているが、それは牧野氏時代のものへ朱書をもって新たに大河内家すなわち松平氏の家来の宿所を割り付けたものである。いかにも転封当時の状態というものが目前に見るごとくで、最も史料となるべきものと思うが、その中で一二の例を挙げて見れば、これまで牧野氏在城時代にその家老の藤江竹右衛門がいた屋敷へは朱書で大河内家の西村治右衛門の名が書き込んであり、また牧野家の樋口市左衛門という人がいた屋敷には同じく大河内家の遊佐平馬の名が書き入れてあるという訳で、その外実に細かい処まで一々朱書がしてあるのは甚だ面白く感ずるのである。
さて、大体右のような事情で信祝は初めてこの吉田城主と相成ったのであるが、話は再び前に戻って、当時前将軍家宣は薨じてその嗣子鍋松君は御承知のようにまだ四歳の幼童であったが、これが七代将軍家継となったのである。
《割書:七代将軍家継》《割書:将軍家宣と新井白石並びに間部詮勝》
然るにこの人もまた正徳六年僅かに八歳で薨去されたので、徳川家にとっては不幸が相継いだのであったが、しかし先にも申し述べたように前将軍家宣という人は実に人物であって、特に新井白石を用い、また彼の間部詮勝に信頼したが、その在職は僅かに四年であったにも拘らず成績は頗る挙がって、所謂正徳の政は行われたのである。従ってその薨去後もこの両人は幼主家継を扶けて誠意熱心に天下の事を行った。勿論この両人に対しては当時幼主を擁して大政を左右した事であるし、殊に詮勝はその位置が側用人というのであったから多少の批難もないではなかったが、しかしこの両人がいずれも私心なく誠意であった事は後世の認める処で、かかる訳であったから徳川の天下も先ず乱るる事なく都合よく経過したのである。
また前章に申し述べたように、嘗てこの吉田に城主たりし久世重之が若年寄から老中の列に入ったのもこの正徳三年の八月三日であるが、さて家継薨去の後を受けて八代将軍と相成ったのは諸君も御存知のように徳川吉宗で、この人は紀州家か
《割書:八代将軍吉宗》
【欄外】
豊橋市史談(松平信祝とその時代) 二百七十三
英語訳
**Margin:**
Toyohashi City Historical Discourse (Matsudaira Nobutoki and His Era) 272
**Main Text:**
1. Main streets should strictly observe government regulations, and no improper conduct should be shown toward travelers. If there are such people, they should immediately be reported to the magistrate from within the town, and if they are concealed and discovered later, it will be considered a serious fault.
1. Even acquaintances other than travelers should not be allowed to lodge if they are suspicious. For relatives or those with proper credentials, officials should be consulted and instructions obtained. Places that do not regularly operate as inns should not provide lodging to travelers without reason. When people from other domains must be accommodated due to unavoidable circumstances, this should also be reported to officials and their instructions followed.
1. Commercial goods should not be sold at high prices. Moreover, worthless items should not be sold. Suspicious items should not be accepted as collateral, and if they are later discovered to be stolen goods, the person will be considered equally guilty.
Addition: All commercial activities should be conducted so as not to obstruct roads and highways.
1. Gambling and all forms of wagering are strictly prohibited.
Addition: Gatherings and idle talk that cause disturbances even to the neighborhood are unnecessary.
1. Retainers should never be sent around on errands. Since this matter has been communicated to the retainer band, this should be understood. If retainers wander about improperly and lower ranks commit violent acts, this should be reported to the magistrate, with care taken to ensure no harm comes to those individuals later.
1. Towns and rural areas should not store weapons improperly or harbor rōnin.
Addition: Fire prevention should be taken very seriously, with each town and village coordinating to prepare appropriate fire-fighting equipment and each house hanging water buckets.
1. Marriage ceremonies, temple and shrine donations, memorial services, and such should be conducted according to one's station.
In general, clothing and all other matters should avoid ostentation and luxury.
Addition: Rumors and gossip are strictly prohibited.
The above articles should be strictly observed by towns and rural areas alike. Those who violate these will definitely be subject to punishment.
**Left Page:**
**Margin:**
San'yō Shinpō No. 4,137 Supplement (Published August 13, Taishō 1)
**Main Text:**
Shōtoku 2, 11th month
*Inset: Map from the time of Nobutoki's domain transfer*
There is also a very interesting map from that period that fortunately still remains in the Ōkōchi family. This was originally from the Makino period, but new red ink annotations were added to designate the residences of the Ōkōchi family's retainers, that is, the Matsudaira clan's retainers. It truly shows the situation at the time of the domain transfer as if one were seeing it firsthand, and I think it represents the most valuable historical material. To give one or two examples from it: the residence where Fujie Takeemon, the chief retainer of the Makino clan during their time at the castle, had lived now has the name of Nishimura Jiemon of the Ōkōchi family written in red ink, and the residence where Higuchi Ichizaemon of the Makino family had lived now has the name of Yusa Heima of the Ōkōchi family written in. The fact that red ink annotations have been made down to such minute details throughout is quite fascinating.
Now, under roughly these circumstances, Nobutoki first became lord of Yoshida Castle. But returning again to earlier events, at that time the previous shogun Ienobu had died, and his heir Prince Nabematsu was, as you know, still a four-year-old child, who became the seventh shogun Ietsugu.
*Inset: Seventh Shogun Ietsugu* *Inset: Shogun Ienobu with Arai Hakuseki and Manabe Norikatus*
However, this person also died in Shōtoku 6 at merely eight years of age, so misfortune continued for the Tokugawa house. But as I mentioned earlier, the previous shogun Ienobu was truly an outstanding person who particularly employed Arai Hakuseki and trusted that Manabe Norikatus. Although his term was only four years, his achievements were quite remarkable, and the so-called "Shōtoku administration" was implemented. Consequently, after his death, these two men assisted the young lord Ietsugu and sincerely and zealously handled the affairs of the realm. Of course, there was some criticism of these two men at the time for wielding great political power while supporting a young lord, especially since Norikatus held the position of personal attendant to the shogun, but the fact that both men acted without personal ambition and with sincerity is recognized by later generations. For this reason, the Tokugawa realm continued peacefully and proceeded smoothly.
Also, as mentioned in the previous chapter, Kuze Shigeyuki, who had once been lord of this Yoshida, entered the ranks of senior councilor from junior councilor on August 3 of this Shōtoku 3. Now, the one who became the eighth shogun after Ietsugu's death was, as you all know, Tokugawa Yoshimune, who was from the Kishū house...
*Inset: Eighth Shogun Yoshimune*
**Margin:**
Toyohashi City Historical Discourse (Matsudaira Nobutoki and His Era) 273