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【欄外】
豊橋市史談 (尊号事件と信明) 三百廿二
【本文】
る此(この)時(とき)の事(こと)が太平秘録(たいへいひろく)と云(い)ふ書物(しよもつ)の中(なか)に書(か)いてあるが果(はた)して其(その)記事(きじ)が確実(かくじつ)であるかドウかは他(た)は証(せう)す
べき事(こと)もないので何(なん)とも云(い)へぬが兎(と)に角(かく)全然(ぜん〴〵)虚構(きよかう)となすべきでないのみならず誠(まこと)に信明(のぶあき)の気性(きせう)を現(あら)は
して面白(おもしろ)いと思(おも)ふから之(これ)を左(さ)に申述(もをしの)べようと思(おも)ふ
即(すなは)ち其(その)記事(きじ)の大要(たいえう)を申述(もをしの)ぶると今度(このたび)京都所司代(けうとしよしだい)交迭(かうてつ)に就(つい)て松平伊豆守信明(まつだひらいづのかみのぶあき)が上京(ぜうけう)せられる事(こと)と成(な)つた
のであるが之(これ)は其外(そのほか)にも参内(さんだい)して太上天皇(たいじようてんわう)の尊号(そんがう)延期(えんき)の事(こと)を御願(おんねがひ)する用事(ようじ)があるので夫(それ)に就(つい)ては聖天(せいてん)
子(し)並(ならび)に仙洞御所(せんどうごしよ)へ進献物(しんけんもつ)をするのであるが幕府(ばくふ)では其(その)品物(ぶつぴん)は猩々緋(せう〴〵ひ)がよかろうと云(い)ふ評定(へうぜう)になつて呉(ご)
服屋(ふくや)から大極上(だいごくぜう)の品(ひな)と上々(ぜう〳〵)の品(しな)と上(ぜう)の品(しな)との三 通(とほ)りを取寄(とりよ)せて評議(へうぎ)をされたが其時(そのとき)は最(もつと)も倹約(けんやく)を主(しゆ)と
した時代(じだい)であつたから其(その)三 通(とほ)りの中(なか)で中位(ちうぐらゐ)にある上々(ぜう〳〵)の品(しな)がよかろうと云(い)ふ事(こと)になつた然(しか)るに独(ひと)り信(のぶ)
明(あき)は不服(ふふく)で苟(いやしく)も将軍職(せうぐんしよく)から聖天子(せいてんし)へ献(けん)ずるものゝ外(ほか)天下(てんか)に重(おも)いものはある筈(はづ)がないソレに今度(このたび)中位(ちうぐらゐ)
の品(しな)を用(もち)ゆると云(い)ふ事(こと)になれば世(よ)の中(なか)に大極上(だいごくぜう)の品(しな)は全(まつた)く不用(ふよう)の訳(わけ)である慮外(りよぐわい)ならば此(この)儀(ぎ)に於(おい)ては倹(けん)
約(やく)は御無用(ごむよう)かと存(ぞん)ずると云(い)つたので遂(つひ)に其(その)事(こと)に決(けつ)して大極上(だいごくぜう)の品(しな)を上(あぐ)る事(こと)になつたと云(い)ふことであるまた又(また)
信明(のぶあき)が上京(ぜうけう)してからの事(こと)に関(くわん)してもイヨ〳〵所司代(しよしだい)の事務引継(じむひきつぎ)となつて信明(のぶあき)は将軍(せうぐん)の名代(みようだい)として上座(ぜうざ)
になほり声高(かうせい)にて番頭(ばんがしら)並(ならび)に番衆(ばんしう)当城堅固(たうじようけんこ)に相守候段大儀也(あひまもりそろだんたいぎなり)と述(の)べたとの事(こと)が記(しる)してあるが元来(がんらい)之(これ)は
前例(ぜんれい)によると当城堅固(たうじようけんこ)に相守(あひまも)られ御太鐵也(ごたいぎなり)と云(い)ふべきであつたが特更(ことさら)に叮嚀(ていねい)なる語(ご)を省(はぶ)いたのは如何(いか)
にも無礼傲慢(ぶれいがうまん)なようではあるが却(かへつ)て将軍(せうぐん)の名代(みようだい)としての事(こと)であるから威厳(ゐげん)があつて有(あ)り難(がた)く覚(おぼ)へたと
て聴(き)くものが歎賞(たんせう)したと云(い)ふことが記(しる)してあるのである元来(がんらい)信明(のぶあき)には他(た)にも之(これ)に似寄(にかよ)つた行(おこなひ)があつた
ので今(いま)の松浦伯爵(まつうらはくしやく)の四 世(せい)の祖(そ)肥前平戸(ひぜんひらど)の藩主(はんしゆ)であつた松浦静山公(まつうらせいざんこう)の書(か)き置(お)かれた甲子夜話(きのへねよばなし)と云(い)ふ随筆(ずいしつ)
の中(なか)にも左(さ)の如(ごと)き話(はなし)が載(の)つて居(お)るのである
【欄外】
豊橋市長大口喜六氏は其該博なる智識と不尽の精力傾け豊橋市史編纂に従ふこと一年有余、今や其稿略ぼ成るに際
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【左頁】
【欄外】
此の豊橋市史談は毎周一回(火曜日)に発行し参陽新報読者諸君に進呈す
【本文】
嘗(かつ)て信明(のぶあき)が同(おな)じ老中職(らうちうしよく)の戸田采女正(とだうねめのしやう)と共(とも)に上野(うへの)の廟(べう)を拝(はい)して退(しりそ)く時(とき)二 天門(てんもん)の間(あひだ)にて雁間衆(かりのましう)の嫡子(ちやくし)某(ばう)に
行逢(ゆきあ)つたが其(その)人(ひと)は地(ち)に平伏(へいふく)して礼(れい)したのであるソコで采女正(うねめのしやう)は膝(ひざ)まで手(て)を下(お)ろして返礼(へんれい)したが信明(のぶあき)は
一 向(かう)に見向(みむき)もせずに行過(ゆきす)ぎた蓋(けだ)し此(この)身分(みぶん)の人(ひと)が老中(らうちう)に逢(あ)つた時(とき)には歩(ほ)を留(と)めて立(たち)ながら礼(れい)するのが通(つう)
《割書:信明非礼を|受けず》 例(れい)であるのに某(ばう)のやり方(かた)が分(ぶん)を過(あやま)つて既(すで)に礼(れい)に過(す)ぎたのであるから之(これ)を受(う)くるのは寧(むし)ろ非礼(ひれい)であると
した信明(のぶあき)の態度(たいど)は如何(いか)にも感心(かんしん)であると観者(くわんしや)が評(へう)したと云(い)ふ事(こと)であるが信明(のぶあき)が青年時代(せいねんじだい)の意気(いき)と云(い)ふ
ものは実(じつ)に彼様(かやう)であつたであろうと思(おも)はるゝのである私(わたくし)は前(まへ)にも申述(もをしの)べた如(ごと)く定信(さだのぶ)が其(その)書翰(しよかん)の中(なか)に御(ご)
明敏(めいびん)は御油断被成(ごゆだんなされ)まじくとして信明(のぶあき)を戒(いまし)めたのも此処(こゝ)にあるが又(ま)た若年(じやくねん)の信明(のぶあき)に対(たい)し異数(ゐすう)の抜擢推挙(ばつてうやすいきよ)
をなしたのも此処(こゝ)であると思(おも)ふのである
かくて尊号事件(そんがうじけん)は最後(さいご)に中山(なかやま)正親町(おほぎまち)二 卿(けう)の閉門(へいもん)となつて終局(しうきよく)を告(つ)げたのであるが程(ほど)なく其(その)年(とし)の七月廿
三日に至(いた)つて定信(さだのぶ)は遂(つひ)に重職(ぢゆうしよく)を辞(じ)するに至(いた)つたのである
⦿定信の退職
定信の退職 定信(さだのぶ)が此(この)将軍(せうぐん)補佐(ほさ)の重職(ぢゆうしよく)を退(しりぞ)くに至(いた)つたのは実(じつ)に急遽(きふきよ)の事(こと)であつたから其(その)原因(げんゐん)に対(たい)する疑説(ぎせつ)は百 出(しゆつ)
で三上博士(みかみはかせ)の白河楽翁公(しらかはらくおうこう)と徳川時代(とくがはじだい)と云(い)ふ書物(しよもつ)にも恐(おそら)くは千 古(こ)の一 疑団(よだん)ならむとしてある然(しか)れ共(とも)同書(どうしよ)
の中(なか)に定信(さだのぶ)が辞職(じしよく)に当(あた)つて其(その)内縁(ないゑん)ある関白(くわんぱく)鷹司輔平公(たかつかさすけひらこう)に贈(おく)つた手書(てがみ)の一 節(せつ)が載(の)つて居(お)るが之(これ)は最(もつと)も参(さん)
考(かう)になるものであると思(おも)ふ其(その)主意(しゆい)は「定信(さだのぶ)が此(この)度(たび)の事(こと)定(さだ)めて意外(いぐわい)に思(おも)はれ候(そうろ)はん去(さ)れども定信(さだのぶ)職(しよく)を奉(ほう)
ずること年(とし)既(すで)に久(ひさ)しく改革(かいかく)の事(こと)など又(また)少(すくな)からず候(そろ)天下(てんか)の耳目(じもく)今(いま)も既(すで)に定信(さだのぶ)が一 身(しん)に 集(あつ)するの勢(いきほひ)見(み)え候(そろ)然(しか)
るに尚(なほ)重(おも)き職(しよく)に居(お)りて威権(ゐけん)を貪(むさぼ)らむは畏(かしこ)し国家(こくか)の御為(おんため)にも亦(また)然(しか)るべからず候(そろ)且(か)つ将軍(せうぐん)も御年(おんとし)最早(もはや)壮(さかん)に
【欄外】
豊橋市史談 (定信の退職) 三百廿三
現代語訳
【欄外】
豊橋市史談(尊号事件と信明) 三百二十二
【本文】
この時の事が『太平秘録』という書物の中に書いてあるが、果たしてその記事が確実であるかどうかは他に証すべき事もないので何とも言えぬが、とにかく全然虚構とすべきでないのみならず、誠に信明の気性を現わして面白いと思うからこれを左に申し述べようと思う。
すなわちその記事の大要を申し述べると、今度京都所司代交替について松平伊豆守信明が上京されることとなったのであるが、これはその外にも参内して太上天皇の尊号延期の事を御願いする用事があるので、それについては聖天子並びに仙洞御所へ進献物をするのであるが、幕府ではその品物は猩々緋がよかろうという評定になって、呉服屋から大極上の品と上々の品と上の品との三通りを取り寄せて評議をされたが、その時は最も倹約を主とした時代であったから、その三通りの中で中位にある上々の品がよかろうということになった。然るに独り信明は不服で「苟くも将軍職から聖天子へ献ずるもののほか天下に重いものはある筈がない。それに今度中位の品を用いるということになれば世の中に大極上の品は全く不用の訳である。慮外ならばこの儀においては倹約は御無用かと存ずる」と言ったので、遂にその事に決して大極上の品を上げることになったということである。
また、信明が上京してからの事に関してもいよいよ所司代の事務引継となって、信明は将軍の名代として上座になおり、声高にて「番頭並びに番衆、当城堅固に相守り候段、大儀なり」と述べたとのことが記してあるが、元来これは前例によると「当城堅固に相守られ、御大儀なり」と言うべきであったが、特更に丁寧なる語を省いたのは如何にも無礼傲慢なようではあるが、却って将軍の名代としてのことであるから威厳があって有り難く覚えたとて、聴くものが歎賞したということが記してあるのである。元来信明には他にもこれに似寄った行いがあったので、今の松浦伯爵の四世の祖、肥前平戸の藩主であった松浦静山公の書き置かれた『甲子夜話』という随筆の中にも左のような話が載っているのである。
【欄外】
豊橋市長大口喜六氏はその該博なる智識と不尽の精力傾け豊橋市史編纂に従うこと一年有余、今やその稿略ぼ成るに際[...]
【左頁】
【欄外】
この豊橋市史談は毎週一回(火曜日)に発行し参陽新報読者諸君に進呈す
【本文】
嘗て信明が同じ老中職の戸田采女正と共に上野の廟を拝して退く時、二天門の間にて雁間衆の嫡子某に行逢ったが、その人は地に平伏して礼したのである。そこで采女正は膝まで手を下ろして返礼したが、信明は一向に見向きもせずに行過ぎた。けだしこの身分の人が老中に逢った時には歩を留めて立ちながら礼するのが通例であるのに、某のやり方が分を過って既に礼に過ぎたのであるから、これを受くるのは寧ろ非礼であるとした信明の態度は如何にも感心であると観者が評したということであるが、信明が青年時代の意気というものは実に彼様であったであろうと思われるのである。私は前にも申し述べたごとく、定信がその書翰の中に「御明敏は御油断被成まじく」として信明を戒めたのもここにあるが、また若年の信明に対し異数の抜擢推挙をなしたのもここであると思うのである。
かくて尊号事件は最後に中山・正親町二卿の閉門となって終局を告げたのであるが、程なくその年の七月二十三日に至って定信は遂に重職を辞するに至ったのである。
定信の退職
定信がこの将軍補佐の重職を退くに至ったのは実に急遽の事であったから、その原因に対する疑説は百出で、三上博士の『白河楽翁公と徳川時代』という書物にも「恐らくは千古の一疑団ならん」としてある。然れども同書の中に定信が辞職に当ってその内縁ある関白鷹司輔平公に贈った手紙の一節が載っているが、これは最も参考になるものであると思う。その主意は「定信が此度の事、定めて意外に思われ候はん。されども定信職を奉ずること年既に久しく、改革の事など又少なからず候。天下の耳目、今も既に定信が一身に集するの勢見え候。然るに尚重き職に居りて威権を貪らんは畏し、国家の御為にも亦しかるべからず候。且つ将軍も御年最早壮んに
【欄外】
豊橋市史談(定信の退職) 三百二十三
英語訳
**Margin:**
Toyohashi City Historical Discourse (The Imperial Title Incident and Nobuaki) 322
**Main Text:**
This incident is recorded in a book called "Taihei Hiroku" (Secret Records of Great Peace), but whether that account is accurate cannot be determined as there is no other evidence to corroborate it. However, it should not be dismissed as entirely fictional, and since it interestingly reveals Nobuaki's temperament, I shall relate it below.
The gist of that account is as follows: When Matsudaira Izu-no-kami Nobuaki was to travel to Kyoto for the change of Kyoto deputies, he also had the additional duty of entering the palace to request postponement of the imperial title matter. For this purpose, gifts were to be presented to both His Majesty and the Retired Emperor's palace. The shogunate council decided that red silk would be appropriate and ordered three grades from a textile merchant: supreme quality, high quality, and good quality. Since this was an era emphasizing frugality, they decided the middle grade (high quality) would be suitable. However, Nobuaki alone objected, saying: "Nothing in the realm should be more precious than what the shogun presents to His Sacred Majesty. If we use middle-grade items this time, then supreme quality goods would be completely unnecessary in the world. If I may be so bold, I believe frugality should be set aside in this matter." Consequently, it was decided to present the supreme quality items.
Regarding events after Nobuaki's arrival in Kyoto, when the actual transfer of deputy duties took place, Nobuaki took the superior position as the shogun's representative and declared in a loud voice: "Captains and guards, your diligent protection of this castle is commendable!" The account notes that according to precedent, he should have said "Your protection of this castle is most appreciated," but by deliberately omitting the polite language, though it might seem rude and arrogant, observers actually praised it as appropriately dignified for the shogun's representative. Nobuaki had other similar behaviors, as recorded in the essay "Kinoe-ne Yobanashi" (Rat Year Night Tales) written by Matsura Seizan, lord of Hirado in Hizen and great-great-great-grandfather of the current Count Matsura.
**Margin:**
Toyohashi Mayor Ōguchi Kiroku, applying his extensive knowledge and inexhaustible energy to compiling Toyohashi city history for over a year, now as his manuscript nears completion...
**Left Page:**
**Margin:**
This Toyohashi City Historical Discourse is published weekly (Tuesdays) and presented to San'yō Newspaper readers.
**Main Text:**
Once, when Nobuaki and fellow senior councilor Toda Une-no-shō were returning after paying respects at the Ueno mausoleum, they encountered the eldest son of a hatamoto retainer between the gates. This person prostrated himself completely on the ground in greeting. Une-no-shō lowered his hands to knee level in return, but Nobuaki passed by without even glancing at him. The protocol for someone of that status meeting senior councilors was to stop walking and bow while standing, but since this person had exceeded proper etiquette by prostrating himself, accepting such excessive deference would itself be improper. Observers praised Nobuaki's attitude as most admirable. This exemplifies the spirited character of Nobuaki's youth. As I mentioned before, this explains both why Sadanobu cautioned Nobuaki in his letters with "Your brilliance must not lead to carelessness," and also why he gave exceptional promotion and recommendation to the young Nobuaki.
Thus the Imperial Title Incident finally concluded with the house confinement of nobles Nakayama and Ōgimachi, but soon after, on the 23rd day of the 7th month of that year, Sadanobu finally resigned from his important position.
**Sadanobu's Retirement**
Sadanobu's departure from this crucial position as shogunal advisor came so suddenly that numerous theories arose about its cause. Dr. Mikami's book "Shirakawa Rakuō-kō and the Tokugawa Period" describes it as "perhaps an eternal mystery." However, the same book contains a passage from a letter Sadanobu sent to his relative Chancellor Takatsukasa Sukehira upon his resignation, which I believe is most instructive. Its main points were: "You must surely find this decision unexpected. However, I have served in office for many years now, and have undertaken considerable reforms. The nation's attention has increasingly focused on me alone. To remain in this weighty position coveting power would be presumptuous and inappropriate for the nation's welfare. Moreover, the shogun has now reached the prime of life...
**Margin:**
Toyohashi City Historical Discourse (Sadanobu's Retirement) 323