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【欄外】
豊橋市史談 (今橋築城と牧野古白) 十二
【本文】
古白の研究 扨(さ)て之(これ)からが此(この)牧野古白(まきのこはく)の研究(けんきう)であるが之(これ)が実(じつ)に困難(こんなん)であると云(い)ふのは、 其(その)時代(じだい)に於(お)ける此(この)地方(ちほう)に関(かん)
する史料(しれう)を得(う)るのが実(じつ)に六ケ 敷(しい)事業(じげう)で、 又(ま)た、 到底(とうてい)得(う)る事が出来(でき)ぬと云(い)ふのが其(その)原因(げんいん)である、 元来(がんらい)史(し)
実(じつ)の研究(けんきう)は其(その)当時(とうじ)に於(お)ける文書(ぶんしよ)を得(う)るのが第(だい)一の必要(ひつよう)であるが、 此(この)時代(じだい)に於(お)ける其種(そのしゆ)のものはニ三の
棟札(むねふだ)位(ぐらゐ)より外(ほか)には無(な)いのみならず之(これ)に関(かん)する書物(しよもつ)と云(い)ふものも沢山(たくさん)にはあるが殆(ほとん)ど材料(ざいれう)とすべきもの
が少(すくな)いと云(い)つてよい、一 例(れい)を挙(あ)ぐれば、 書物(しよもつ)として吉田城廓由来記(よしだぜうかくゆらいき)だの吉田城主記(よしだぜうしゆき)だの三 州吉田記(しうよしだき)だ
のと云(い)ふようなものは幾種類(いくしゆるい)もあるが、 皆(みな)後世(こうせい)好事(こうじ)の人(ひと)の作(つく)つたもので的(あて)にならぬ事(こと)が多(おほ)い、 又(また)其(その)時(じ)
《割書:今橋時代に|関する史料》 代(だい)前後(ぜんご)の事を書(か)いたもので三 河後風土記(かはごふうどき)の如(ごと)きものもあるが、 之(これ)は平岩親吉(ひらいはしんきち)の著(ちよ)だと称(せう)せられて居(を)る
にも拘(かゝは)らず其実(そのじつ)は全(まつた)く偽作(ぎさく)であることは伊勢貞丈(いせてんぜう)初(はじ)めが証拠(せうこ)立(だ)てゝ 居(を)る、 其他(そのた)創業記(さうげうき)を初(はじ)め三河記(みかはき)の如(ごと)
き数(かぞ)へ切(き)れぬ程(ほど)であつて、 此(この)三河記(みかはき)には更(さら)に三河記(みかはき)異本考(ゐほんこう)と云(い)つて其本(そのほん)の種類(しゆるい)に就(つい)て研究(けんきう)した本(ほん)があ
る位(くらい)で種類(しゆるい)の多(おほ)き事が分(わか)る、 又(また)三河後風土記(みかはごふうどき)にも成島司直(なるしまじちよく)等(ら)が校訂(こうてい)した改正(かいせい)三河後風土記(みかはごふうどき)と云(い)ふのが
あるし創業記(さうげうき)にも紀州家(きしうけ)で研究(けんきう)した創業記(さうげうき)考異(こうい)と云(い)ふのがある、 此(かく)の如(ごと)き状態(ぜうたい)であるから書物(しよもつ)の種類(しゆるい)
は成程(なるほど)少(すくな)くないが其(その)多(おほ)くは後世(こうせい)の作(さく)で到底(とうてい)直(たゞ)ちに史料(しれう)とすることの出来(でき)ぬのが当然(とうぜん)である、 只(た)だ大久保(おほくぼ)
三河物語 彦左衛門忠教(ひこざえもんたゞのり)の書(か)き遺(のこ)して置(お)いた三河物語(みかはものがたり)と云(い)ふのがある、 之(これ)にも同名(どうめい)異書(ゐしよ)があつて三河記(みかはき)の多(おほ)くは
之(これ)から出(で)たと云(い)ふ事であるが其(その)原本(げんほん)は今(いま)徳川公爵家(とくがはこうしやくけ)の所蔵(しよぞう)で確実(かくじつ)なものと認(みと)められる又(ま)た深溝(ふかみぞ)松平氏(まつだひらし)
家忠日記 の祖(そ)家忠(いへたゞ)の書(か)いた日記(につき)があつて其(その)原本(げんほん)は今(いま)尚(な)ほ松平子爵家(まつだひらししやくけ)に存(ぞん)して居(を)る此(この)家忠(いへたゞ)と云(い)ふ人(ひと)は慶長(けいてう)五 年(ねん)伏(ふし)
見(み)の戦争(せんそう)で鳥井元忠(とりゐもとたゞ)と共(とも)に討死(うちじに)した人(ひと)であるが日記(につき)は其(その)若(わか)い時(とき)から書(か)いたもので最(もつと)も確実(かくじつ)なものとし
て貴(たつと)ばれて居(を)る併(しか)し此(この)日記(につき)にも矢張(やはり)同名(どうめい)異書(ゐしよ)があつて其(その)異書(ゐしよ)の如(ごと)きは全然(ぜん〴〵)偽本(ぎほん)であるから注意(ちうゐ)を要(よう)す
松平記 る処(ところ)である尚(なほ)其他(そのた)に松平記(まつだひらき)なる書物(しよもつ)がある、 著者(ちよしや)は不明(ふめい)であつて之(これ)にも偽本(ぎほん)があるが其(その)原本(げんほん)は余程(よほど)確(かく)
【左頁】
【欄外】
参陽新報三千六百九十四号附録 ( 明治四十四年二月二十八日発行 )
【本文】
実(じつ)なものとして信(しん)ぜられてある、 尤(もつと)も此(この)家忠日記(いへたゝにつき)松平記(まつだひらき)は孰(いづ)れも天文(てんぶん)以後(いご)の事を書(か)いたものであるか
ら、 今橋(いまはし)築城(ちくぜう)時代(じだい)より後(のち)のものであるが、 橋本(はしもと)にはズツト前(まへ)の今橋(いまはし)築城(ちくぜう)時分(じぶん)の事迄(ことまで)書(か)いてあるのであ
るから、 参考(さんこう)の為(た)めに此処(ここ)に掲(かゝ)げたのである、 又(また)後世(こうせい)三河(みかは)地方(ちほう)の事を調(しら)べたもので三河堤(みかはつゝみ)、 三河名蹤(みかはめいじう)
大三河志 綜録(そうろく)、 三河名所図会(みかはめいしよづえ)、 三河水(みかはみづ)、 三河船(みかはふね)、 三河志(みかはし)、 大三河志(たいみかはし)等(とう)色々(いろ〳〵)のものがある、 其中(そのなか)で 大三河志(たいみかはし)は寛(かん)
政(せい)年間(ねんかん)の著(ちよ)で西尾候(にしおこう)松平頼慎氏(まつだひららいしんし)の撰(えらみ)であるが頗(すこふ)る確実(かくじつ)なものであるとの評(へう)がある併(しか)し不幸(ふこう)にして私(わたくし)は
未(いま)だ見(み)た事がないのは遺憾(いかん)である、 又(また) 三河名所図会(みかはめいしよづえ)は吉田(よしだ)上伝馬(かみでんま)の金物商(かなものせう)で夏目重蔵(なつめぢうぞう)と云(い)ふ人(ひと)が全財(ぜんざい)
牛窪密談記 産(さん)を投(とう)じて熱心(ねつしん)に編集(へんしう)したものであるが如何(いかん)せむ引用書(いんようしよ)などが確実(かくじつ)でないから十 分(ぶん)なる参考(さんこう)に資(し)せら
れぬのは惜(おし)むべきである三河堤(みかはつゝみ)の如(ごと)きも矢張(やはり)同様(どうよう)で 今橋(いまはし)築城(ちくぜう)時代(じだい)の事などは多(おほ)く偽本(ぎほん)の家忠日記(いへたゝにつき)を唯(ゆ)
一の材料(ざいれう)として引用(いんよう)してあるから信(しん)ぜられぬ点(てん)が多(おほ)いのである然(しか)るに、 牛窪密談記(うしくぼみつだんき)と云(い)ふ書物(しよもつ)があつ
て単(たん)に牛久保記(うしくぼき)とも唱(とな)へられて居(を)るが古白(こはく)の事を主(しゆ)として其(その)以来(いらい)牛窪(うしくぼ)の事を書(か)いたものである之(これ)は元(げん)
禄(ろく)以後(いご)の著(ちよ)と思(おも)はるゝが続群書類従(ぞくぐんしよるいじう)の中(なか)にも納(おさ)められて参考(さんこう)とすべき点(てん)が多(おほ)いま又(ま)た宮嶋伝記(みやしまてんき)と云(い)ふも
のがあるか之(これ)は牛久保密談記(うしくぼみつだんき)に似寄(によ)つた者(もの)である外(ほか)に元文(げんぶん)年中(ねんちう)に著述(ちよじゆつ)された三河国二葉松(みかはのくにふたばまつ)幷(ならび)に後世(こうせい)之(これ)
が補正(ほせい)として作(つく)られた三河国刷補松(みかはのくにさつほまつ)と云(い)ふのがある、 又(また)三河雀(みかはすゝめ)と云(い)ふのがあるが之等(これら)は当時(とうじ)目撃(もくげき)した
る事 及(およ)び伝説(でんせつ)を正直(せうぢき)に記(しる)したものであるから却(かへつ)て材料(ざいれう)となるものが多(おほ)いのである其他(そのた)三河国古文書(みかはのくにこぶんしよ)三(み)
河雑書(かはざつしよ)などと云(い)ふ書物(しよもつ)は愛知県庁(あいちけんてう)の所蔵(しよぞう)で史料(しれう)となるべきことが少(すくな)くない三河聞書(みかはぶんしよ)、 田原近郷聞書(たはらきんごうぶんしよ)等(とう)も
捨(すて)られぬ処(ところ)があると思(おも)ふ。
右(みぎ)の如(ごと)き事情(じぜう)であるから到底(とうてい)此時代(このじだい)の古文書類(こぶんしよるい)は勿論(もちろん)此地方(このちほう)の事のみを書(か)き記(しる)した適確(てきかく)の材料(ざいれう)は得(え)ら
れぬ、 従(したがつ)て汎(ひろ)く一 般(ぱん)に渉(めくつ)て調(しら)べ出(いた)すより外(ほか)はない、ソコで一 般(ぱん)に通(つう)じたもので飯田氏(ゐゝだし)の野史(やし)の如(ごと)きも
【欄外】
豊橋市史談 (今橋築城と牧野古白) 十三
現代語訳
【欄外】
豊橋市史談 (今橋築城と牧野古白) 十二
【本文】
古白の研究 さて、これからがこの牧野古白の研究であるが、これが実に困難であるというのは、その時代におけるこの地方に関
する史料を得るのが実に難しい事業で、また、到底得ることができないということがその原因である。元来史
実の研究はその当時における文書を得るのが第一の必要であるが、この時代におけるその種のものは二三の
棟札ぐらいより他にはないのみならず、これに関する書物というものも沢山にはあるが、ほとんど材料とすべきもの
が少ないといってよい。一例を挙げれば、書物として『吉田城郭由来記』だの『吉田城主記』だの『三州吉田記』だ
のというようなものは幾種類もあるが、皆後世好事の人の作ったもので当てにならないことが多い。またその時
《割書:今橋時代に関する史料》 代前後のことを書いたもので『三河後風土記』のようなものもあるが、これは平岩親吉の著だと称せられてい
るにもかかわらず、その実は全く偽作であることは伊勢貞丈をはじめが証拠立てている。その他『創業記』をはじめ『三河記』のごと
き数え切れないほどであって、この『三河記』には更に『三河記異本考』といってその本の種類について研究した本があ
るくらいで種類の多きことが分かる。また『三河後風土記』にも成島司直等が校訂した『改正三河後風土記』というのが
あるし、『創業記』にも紀州家で研究した『創業記考異』というのがある。このような状態であるから書物の種類
は成程少なくないが、その多くは後世の作で到底直ちに史料とすることのできぬのが当然である。ただ大久保
三河物語 彦左衛門忠教の書き遺しておいた『三河物語』というのがある。これにも同名異書があって『三河記』の多くは
これから出たということであるが、その原本は今徳川公爵家の所蔵で確実なものと認められる。また深溝松平氏
家忠日記 の祖家忠の書いた日記があって、その原本は今なお松平子爵家に存している。この家忠という人は慶長五年伏
見の戦争で鳥井元忠と共に討死した人であるが、日記はその若い時から書いたもので最も確実なものとし
て尊ばれている。しかしこの日記にも矢張り同名異書があって、その異書のようなは全然偽本であるから注意を要す
松平記 るところである。なおその他に『松平記』なる書物がある。著者は不明であってこれにも偽本があるが、その原本は余程確
【左頁】
【欄外】
参陽新報三千六百九十四号附録 (明治四十四年二月二十八日発行)
【本文】
実なものとして信ぜられてある。もっともこの『家忠日記』『松平記』はいずれも天文以後のことを書いたものであるか
ら、今橋築城時代より後のものであるが、前にはずっと前の今橋築城時分のことまで書いてあるのであ
るから、参考のためにここに掲げたのである。また後世三河地方のことを調べたもので『三河堤』、『三河名蹤
大三河志 綜録』、『三河名所図会』、『三河水』、『三河船』、『三河志』、『大三河志』等色々のものがある。その中で『大三河志』は寛
政年間の著で西尾候松平頼慎氏の撰であるが頗る確実なものであるとの評がある。しかし不幸にして私は
未だ見たことがないのは遺憾である。また『三河名所図会』は吉田上伝馬の金物商で夏目重蔵という人が全財
牛窪密談記 産を投じて熱心に編集したものであるが、いかんせん引用書などが確実でないから十分なる参考に資せら
れぬのは惜しむべきである。『三河堤』のようなも矢張り同様で、今橋築城時代のことなどは多く偽本の『家忠日記』を唯
一の材料として引用してあるから信ぜられぬ点が多いのである。ところが、『牛窪密談記』という書物があっ
て単に『牛久保記』とも唱えられているが、古白のことを主としてその以来牛窪のことを書いたものである。これは元
禄以後の著と思われるが『続群書類従』の中にも納められて参考とすべき点が多い。また『宮嶋伝記』というも
のがあるがこれは『牛久保密談記』に似寄ったものである。他に元文年中に著述された『三河国二葉松』並びに後世これ
が補正として作られた『三河国刷補松』というのがある。また『三河雀』というのがあるが、これ等は当時目撃した
る事及び伝説を正直に記したものであるから、却って材料となるものが多いのである。その他『三河国古文書』三
河雑書などという書物は愛知県庁の所蔵で史料となるべきことが少なくない。『三河聞書』、『田原近郷聞書』等も
捨てられぬところがあると思う。
右のような事情であるから到底この時代の古文書類はもちろん、この地方のことのみを書き記した適確の材料は得ら
れぬ、従って広く一般に渉って調べ出すより外はない。そこで一般に通じたもので飯田氏の『野史』のようなも
【欄外】
豊橋市史談 (今橋築城と牧野古白) 十三
英語訳
【Margin】
Toyohashi Historical Discussion (Construction of Imahashi Castle and Makino Kohaku) 12
【Main text】
Research on Kohaku Now, this is where the research on Makino Kohaku begins, but this is truly difficult because obtaining historical materials related to this region during that period is an extremely challenging undertaking, and indeed, it is often impossible to obtain them—this is the cause of the difficulty. Originally, research into historical facts requires obtaining documents from the period in question as the first necessity, but for this era there are only a few wooden temple plaques (munefuda) and nothing else. Moreover, while there are many books related to this topic, there are few that can be considered reliable source material.
To give one example, there are many types of books such as "Records of Yoshida Castle's Origins," "Records of Yoshida Castle Lords," and "Records of Yoshida in Sanshū Province," but most are works by later amateur historians and are often unreliable. Also there are works describing events around that time such as "Mikawa Gofūdoki" (Later Gazetteer of Mikawa),
《Interlinear note: Historical materials related to the Imahashi period》 which is claimed to be authored by Hiraiwa Shinkichi, but in reality it is completely fabricated, as proven by Ise Tenjō and others. There are countless others such as "Sōgyōki" (Records of the Founding) and "Mikawa-ki" (Records of Mikawa), and for "Mikawa-ki" there is even a book called "Mikawa-ki Variant Text Study" that researches the types of editions, showing how numerous the variants are. There is also a "Revised Mikawa Gofūdoki" edited by Narushima Jichoku and others, and for "Sōgyōki" there is a "Sōgyōki Critical Variants" researched by the Kishū house. Given this situation, while there are indeed many types of books, most are later compositions that naturally cannot be used directly as historical sources. However, there is "Mikawa Monogatari" (Tales of Mikawa) left by Ōkubo
Mikawa Monogatari Hikozaemon Tadanori. This also has works of the same title but different content, and many of the "Mikawa-ki" works are said to derive from this, but the original is now in the collection of the Tokugawa ducal house and is recognized as reliable. Also there is a diary written by Ietada, ancestor of the Fukamizu Matsudaira clan,
Ietada Nikki and the original still exists in the Matsudaira viscount house. This Ietada was a man who died in battle along with Torii Mototada in the Battle of Fushimi in Keichō 5, but the diary was written from his youth and is treasured as the most reliable source.
However, this diary also has works of the same title but different content, and such variants are completely fake, requiring caution.
Matsudaira-ki There is also a book called "Matsudaira-ki." The author is unknown and there are also fake versions, but the original is believed to be quite reliable.
【Left page】
【Margin】
San'yō Shinpō No. 3694 Supplement (Published February 28, Meiji 44)
【Main text】
However, both "Ietada Nikki" and "Matsudaira-ki" describe events from the Tenbun era onward,
so they are from after the Imahashi castle construction period, but since they include accounts going back much earlier to the time of Imahashi's construction,
I have mentioned them here for reference. There are also various works from later periods that investigated the Mikawa region, such as "Mikawa Tsutsumi," "Mikawa Meishō
Dai Mikawa-shi Sōroku," "Mikawa Meisho Zue," "Mikawa Mizu," "Mikawa Fune," "Mikawa-shi," and "Dai Mikawa-shi." Among these, "Dai Mikawa-shi" was written during the Kansei era
and compiled by Matsudaira Raishin of the Nishio domain, and is reputed to be quite reliable. However, unfortunately I have
never seen it, which is regrettable. Also, "Mikawa Meisho Zue" was compiled with great enthusiasm by a metalware merchant from Yoshida Kamidenmachi named Natsume Jūzō, who invested his entire fortune,
Ushikubo Mitsudanki but unfortunately the sources he cited are unreliable, so it cannot serve as adequate reference material, which is regrettable. "Mikawa Tsutsumi" is similar, as for events during the Imahashi castle construction period it relies almost exclusively on the fake "Ietada Nikki," making many points unreliable. However, there is a book called "Ushikubo Mitsudanki"
which is also simply called "Ushikubo-ki," focusing mainly on Kohaku and describing events at Ushikubo since his time. This appears to have been written after the Genroku era
but is included in the "Zoku Gunsho Ruijū" and has many points worthy of reference. There is also something called "Miyashima Denki,"
which resembles "Ushikubo Mitsudanki." Additionally there is "Mikawa no Kuni Futabamatsu" written during the Genbun era, and its later supplement "Mikawa no Kuni Satsuhomatsu." There is also "Mikawa Suzume," and these works honestly record eyewitness accounts and traditions from the time, so they actually contain much useful material. Other works such as "Mikawa no Kuni Kobunsho" and "Mikawa
Zassho" are in the collection of the Aichi prefectural government and contain considerable material that can serve as historical sources. I think "Mikawa Kikigaki" and "Tahara Kingō Kikigaki" also have aspects that cannot be dismissed.
Given these circumstances, it is impossible to obtain reliable materials that record only events specific to this region, let alone original documents from this period. Therefore, we have no choice but to investigate broadly across general sources. So for works of general scope, something like Iida's "Yashi"
【Margin】
Toyohashi Historical Discussion (Construction of Imahashi Castle and Makino Kohaku) 13