翻刻
ざるに似たり.中山世譜に云.南宋の乾道元年乙
酉.鎮西為朝公.隨_レ ̄テ流 ̄ニ至_レ ̄ル国 ̄ニ生_レ ̄テ一子_一 ̄ヲ而返 ̄ル其 ̄ノ子 ̄ヲ名_二 ̄ク
尊敦(ソントン)_一 ̄ト後為_二浦添(ウラソエノ)按司(アシスト)_一《割書:中略| 》国人 推(スイ)_二戴(タイス)尊敦_一 ̄ヲ為_レ君 ̄ト.
是舜天王也.《割書:云| 々》又云.舜天王.姓 ̄ハ源.号_二 ̄ス尊敦_一 ̄ト父 ̄ハ
鎮西八郎為朝公.母 ̄ハ大里 ̄ノ按司 ̄ノ妹 ̄ナリ《割書:云| 々》此文にて.
舜天王の父は為朝なる事明らかなり.
〇琉球人の書翰
此ごろはからずも.琉球の王子より.薩州の
家臣へ往来の書二通を得たり猶 銘(めづ)らしみ
玩(もて)あそはんも本意なければ本書のまゝを模(しき)写(うつし)
にして好事(かうじ)の士の看(かん)に呈(てい)す.上包は西の内の
如き紙にて封し状は唐紙を奉書だけに
切たるなり義村王子の書中に白麻二十
帖とあるは薩州にて製する紙の名なり.
義村王子(よしむらわうじ).大宜見王子(おふぎみわうじ)ともに.当年京都へ来
聘せる.宜野湾(ぎのわん)王子(わうじ)の兄弟なり.書翰の宛名
は憚りあれは闕たり.手跡あまりに日本風な
る故.疑筆にもやとうたがふ人あり.はしめ
にもいへる如く.此国にては大橋流もつはら
に行はるゝとなん.