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洲崎〆切の切放 業平橋、報恩寺橋通りは十七日 朝来(てうらい)著しく増
水せしを以て本所区洲崎弁天町二丁目の〆 切(きり)を切り放(はな)し以上の
増水(ぞうすゐ)を排除(はいじよ)せんとて仝日 午後(ごゞ)一時三十分頃より其準備(そのじゆんび)に取掛れ
り今回(こんくわい)の出水は実に数十年来 未曾有(みそゆう)の洪水なるを以て取敢(とりあへ)ず本
所区太平町一丁目法恩寺及び同区表(どうくおもて)町明徳学校を以て水難者立
退所に充てたりしが十一日 午前(ごぜん)十時頃突然 東方(とうほう)に当(あた)り梵鐘間 近(ちか)
く響き渡(わた)りけるに人々(ひと〳〵)驚き警鐘を的として馳せ集りしに是(こ)れは
太平町法恩寺にして同寺(どうじ)は押上堤破壊(おしあげつゝみはくわい)の為め十一時頃に浸水し
たれは避難所(ひなんじよ)は牛島神社内へ移転(いでん)せしめたり
左れば横川以西業平橋北辻間 凡(およそ)十六丁間は沿岸(えんがん)に土俵を築き
万一(まんいち)の時の用意(ようい)に充(あて)たりしが是れより先に南北 両割下水(りやうわりげすゐ)は往還
に溢れ尚ほ増水(ぞうすゐ)の模様なれば若宮町、松倉町、緑町、三笠町、
長崎町、長岡町、北新町辺は多少出水(たしようしゆつすゐ)あるべき勢ひなり出水場
所 近傍(きんぼう)の各村に於ては両三日来 昼夜梵鐘(ちうやぼんしよう)の響き絶間無(たえまな)く人々安
き心もあらざりしに十七日三時頃突然本所区石原町にて警鐘烈(けいしやうは)
敷打鳴(げしくうちな)らすや否同区(いなどうく)亀沢町之に応じて合図(あひづ)の銅盥類(かなだらひるゐ)を打叩き接
近の地に水押来(みづおしきた)りし如く一時中々の騒(さわ)なりしが是れは何等かの
間違(まちがひ)なりし
向島(むかふじま)にていまだ浸水(しんすゐ)せざるは牛島神社と長命寺間のみにて榎本(えのもと)
子爵邸辺(しゝやくていへん)は深さ凡六尺に達したり
十七日正午頃迄 本所市内(ほんじよしない)浸水町数は須崎町、請地町、新小梅町、
向島中の郷町、小梅瓦町、小梅町、押上町、柳島町、太平町、
錦糸町、松代町等なり
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本所区役所員は出水地(しゆつすゐち)へ出張に付同役員は恰も休日(きうじつ)の如く区吏(くり)
僅(わづか)五六名の詰合(つめあひ)あるのみ
●東京集治監附近 東京集治監(とくけうしうちかん)は綾瀬川上流の方面非常(はうめんひじよう)の出水
にて同監(どうかん)と出水面と僅かに四五間を隔(へだ)てたるのみにて一時は頗(すこぶ)
る危険を極(きは)めたるも水勢 水戸街道(みとかいどう)の右手に向つて流逸(りういつ)したる為
め綾瀬(あやせ)の堤防一二ケ所の小決潰(せうけつくわい)ありしのみにて遂に同監内には
浸水せざりし
●浸水の箇所 十七日 午後(ごゞ)一時三十分頃迄 浸水(しんすゐ)の箇所は南葛飾
郡水元、東淵江、金町、新宿、亀青、奥戸、小岩、本田、平井、
本、松江、小松川、大木、亀戸、寺島、隅田、南綾瀬、吾嬬、
各村全部(かくそんぜんぶ)、船堀、大島、一の江 等各村(とうかくそん)の一部及び本所区、深川区
の一部南足立郡の一部なり
●府庁(ふてう)への広報(こうほう) 其後 郡区役所(ぐんやくしよ)及出張員等より東京府庁(とうけうふてう)へ達(たつ)し
たる報告(はうこく)左の如し
南足立郡花畑村六ツ木地先切所用材料手配の為同郡役所に滞
在中明十七日早天より買上人夫七十人其他杭木土俵を以て復
旧工事着手の筈 (十六日午後九時発)
押上堤防増水の為め防禦し難き旨本所区役所より電話ありた
り(十七日午前八時発)
綾瀬川以東一円浸水し堤防危険なりしが今朝に至り少しく減
水せり今後異状なきときは日ならず警戒を解くに至るべし
(十七日午前九時十七分発)
北多摩郡調布町字上給及上下布田地先決潰し郡長も出張あり
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協議の上防禦中去十五日より二尺程増水未だ減らず今日も帰れ
ず(十七日午前十時五十分発)
●府下浸水被害の区域
数日来各方面へ氾濫(はんらん)して止まるところを知らざりし府下中川よ
り西方(さいほう)即ち向島より本所へ押出(おしだ)したる洪水は堤(つゝみ)を切開きて隅田
川に落し又中川 以東(いとう)奥戸、鹿本の水は小松川近傍にて再び中川
の下流へ切落(きりおpと)したれば夫れよりは浸水地の区域(くゐき)を拡(ひろ)むるに至ら
さりし
被害(ひがい)の村数(そんすう)は左の如くなりといふ
花畑村、東淵江村、綾瀬村 (南足立郡)
本田村、隅田村、寺嶋村、大木村、吾嬬村、亀戸村、南綾瀬村、亀
青村 (南葛飾郡)
本所区
異状一区十一村は中川筋六ツ木の堤防(ていばう)決潰の為め水害を受けた
るものにして中川以西に氾濫(はんらん)し向島を浸(ひた)したるものなり
新宿町、水元村、金町村 (南葛飾郡)
以上(いじやう)の一町ニ村は中川以東にして一方は江戸川(えどかは)より浸水したる
と一方は新宿に於て中川の堤防 決潰(けつくわい)したるとの為めに受けたる
水害にして最早(もはや)大抵 退水(たいすゐ)したりと云
奥戸村、小岩村、鹿本村、平井村、小松川村 (南葛飾郡)
以上の五箇村は新宿の破堤(はてい)と奥戸の堤防(ていばう)決潰に因りて害を受け
たる地にして皆(みな)中川 以東(いとう)にあり
無事なる村落(そんらく) 今回の出水は以上(いじやう)の如く隅田川以東江戸川以西
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の地面(ぢめん)を殆んど残(のこ)りなく浸したるものゝ如くなれど尚ほ此間(このあひだ)に
無事なるを得たる場所(ばしよ)は
大島村、砂村、船堀村、葛西村、端穂村、一之江村、松江村、(南
葛飾郡)
の八箇村と深川 全体(ぜんたい)、本所の大部分(だいぶぶん)にして地図上の面積より記
せば南足立郡は四分、南葛飾郡は八分、本所は三分の被害(ひがい)なる
べし
損害は稲田なり 被害の村々は有名(いうめい)なる二合半の接続(せつぞく)の地方な
れは早場(はやば)は既に刈取(かりとり)に着手したるところもあり毎年今頃は到る
ところ稲穂の風に戦(そよ)きて鳴子に驚(おどろ)く郡雀の彼岸参りを驚かす頃
なるに今年は此 稲田(たうでん)変じて全く泥海(どろうみ)と化したれば損害の額も少
からざるべし今年一月一日府庁の調査(てうさ)に拠るに被害地二郡の地
租は左の如くなり
南足立 四万九千百八十六円
南葛飾 九万千七百八十六円
是によりて推算(すゐさん)すれば両郡の地価金は大凡六百万円にして仮り
に此 全部(ぜんぶ)を稲田として算(さん)すれば地価 平均(へいきん)一反歩四十円として十
五万反あり一旦の生産米(せいさんまい)五俵として七十五万俵の収入(しうにふ)の中被害
の面積(めんせき)を両部【郡の誤りか】七分と見れば約(およそ)五十二万五千俵即ち二十一万石の
損失に当る算当(さんたう)なれど此は是れ全部を総て米田と見たる勘定に
して実際(じつさい)の額は何程に達せんか古来(こらい)此辺は五万石と称(しやう)したる葛
西領なりといふよしなれど古(むかし)の五万石は当てにもならねば損害
の石数(こくすう)は好(よ)しや二十万ならずとも相応(さうおう)の石数なるべしといふ