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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - ページ 8

ページ: 8

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【右ページ上段】 破壊し瞬間(しゆんかん)に切口(きりぐち)七拾余間に及び濁流 漲(みなぎ)り花畑村に浸水し たり扨水害(さてすいがい)の本源とも云(い)ふべき六ツ木の堤防(ていばう)は決潰したる場所 に於(おい)て厚(あさ)【ルビあつの誤り】さ三間に余(あま)り此に入樋を据(す)えて元荒川(もとあらかは)の西部を灌養し 来りたるに汐止(しほどめ)とて頗る危険(きけん)の場所なれば本年(ほんねん)四月入樋に改良 工事を施(ほどこ)し男柱を石材とし煉瓦造(れんぐわづく)りとして鉄戸を下(お)ろしたれば 如何なる出水(しゆつすい)にも破るゝことなしと油断(ゆだん)し初めは入樋番を置か ず土俵(どへう)をも積(つ)まざりしより破(やぶ)れかけたる次第(しだい)なり(通常入樋は 其外部(そのぐわいぶ)に土俵百五十俵を積(つ)みて防(ふせ)ぎ果(おは)せたり)然るに同村の有 力者星野文蔵浅田周次郎等一 派(ぱ)の人々は元荒川(もとあらかは)の水と綾瀬川の 水とを比(くら)ぶれば高低凡(かうていおよ)そ三尺五寸の差(さ)あれば尚(な)ほ他を切り開て 浸水時間を短縮(たんしゆく)せしは如何抔 言(い)ひ居(を)りしも反対論者多(はんたいろんしやおほ)くして果 さず然(しか)るに何者とも知(し)れず十六日の夜(よ)に乗(じよう)じ汐止の下手に於て 堤防破潰を企(くはだ)てたるものありしより番人(ばんにん)は直ちに引捕(ひきとら)へて之れ を出張警官に訴(うつた)へしが元より悪意(あくゐ)ありしに非(あら)ず只救済の意見を 異(こと)にしたるのみなれば向後(かうご)心得違ひなき様(やう)との旨(むね)を諭して放免 せり今 左(さ)に某新聞社員か目撃(もくげき)せし詳況(しやうけう)を掲く    ●六ツ木堤防破壊の詳況 数日来の降雨(かうゝ)にていとゞ 水量(すゐりやう)を増(ま)したる諸川十五日よりの大雨(たいう) に又も濁波(だくは)の漲(みなぎ)るべしとて大川 最寄(ももより)の人々は流石(さすが)に安眠もなら ざりしに十六日 午前(ごぜん)一時と覚(おぼ)しき頃千住(ころせんぢゆ)のかたに方れて梵鐘ゴ ン〴〵と鳴(な)り渡(わた)り何処(どこ)とはなしに人声(ひとごゑ)ソツト聞(きこ)えたり何事と驚 て戸を固く鎖(とざ)す者(もの)あれば火事と心得(こゝろえ)て駈出す者(もの)もあり坂本堺隈 は一時 混雑(こんざつ)を極(きは)めしか是なん元荒川の堤防(ていぼう)が南足立郡六ツ木(き)の 【右ページ下段】 汐止に於(おい)て決潰したる為(た)め千住(せんぢゆ)二丁目正泉寺の鐘(かね)を続け撞して 最寄の村民(そんみん)を警戒(けいかい)したるにてありき 余は鳴鐘の何事(なにこと)たるを解(かい)せざれ共 兎(と)に角様子(かくやうす)を窺はんものと鐘 の音(おと)を知(し)るべに千住の方(かだ)へ向(むか)へば撞丁(つきて)も少(すこ)し労れしか暫時鳴り やみて暗夜(あんや)に燈火を失(うしな)へるが如し大橋(おほはし)を渡れば河原田甫水減じ て掃部宿(かもんじゆく)までの間 僅(わづか)に足首を没するのみ難(なん)なく越えて千住三丁 目より右折堤(うせつどて)を辿(たど)れば大川の左岸(さがん)は浸水漫々として登たる稲は まばらに其穂(そのほ)を顕し農夫暗中(のうふあんちう)に小舟を出(い)だして水中に稲(いね)を刈る 此辺水多(このへんみづおほ)けれ共左のみ危急と認(みと)むべきものなし抔呟(などつぶや)く内又も梵 鐘 激(はげ)しく鳴り響て今度は早太鼓(はやだいこ)をさへ打ち交(まじ)ふ其音東北の方に 聞えければ南無三(なむざん)シクジリたりと足(あし)を転(てん)じて綾瀬の堤を溯り川 を越えて小谷野村(こやのむら)へ入れば蓑笠(みのかさ)の人夫続々として奔走(ほんそう)す水は如 何と問へば今(いま)がた六ツ木の堤百八十 間程切(けんほどき)れて専ら防禦中なり との答(こたへ)に夫見んとて人夫(にんぷ)と共に暗中を走(は)しれば何時(いつ)かは六ツ木 へ来りたり 汐止と云(い)ふ所(ところ)は曲折して水勢激(すゐせいはげ)しく当る場所(ばしよ)なれば近傍の人民 は勿論(もちろん)府庁吏員警官郡村吏等 予(かね)て出張し篝を焚(た)き高張(たかはり)を点じて 土俵配置に油断(ゆだん)なかりしかど其間数短(そのけんすうみづか)きにあらざれば土俵とす べき空俵の欠乏(けつばう)を来し平素(へいそ)は一俵高きも一 銭(せん)八厘に過(す)ぎざりし に一 昨日頃(さくじつごろ)よりは一俵五銭に騰貴(とうき)し昨日に至(いた)りては五銭を投ず るも得難き始末(しまつ)となりたるゆゑ人は市中(しちう)に往来(わうらい)して背負得る丈 の空俵を購(あがな)ひ来(きた)るを一と役(やく)とすされば水防 思(おも)はしからず此所を 防げば彼方破(かしこやぶ)れ後方を防げば此処破(こゝやぶ)るゝに余儀なく《ルビ:寄の|もより》人家よ 【左ページ上段】 り有丈の畳(たゝみ)を運(はこ)びて之を積ば激流忽(げきりうたちま)ち之を押流す或は松杉の樹 木を根(ね)より切(き)りて逆(さか)さまに堤の内部へ投(な)げ掛(か)け以て水勢を弱ら しむ既(すで)にして一ヶ 所又(しよまた)も破(やぶ)れんとしたるに此時 最早支(もはやさゝ)ふべきの 材料なかりしかば村民(そんみん)五七名裸体となりて其処(そこ)へ馳(は)せ付(つ)け互に 腕を組み合(あは)せて身(み)を以(もつ)て噴口を塞(ふさ)ぎ応急の防禦となしたるは勇 ましなんどといふ斗(ばか)りなかりしされど水量(すいりや)は益々殖え防材は愈々 欠乏を来(きた)し幾(いく)百千人の壮丁如何に尽力(じんりよく)するも到底(たうてい)防ぎ得べきに 非ず夜明(よあ)けに至(いた)りて全く防禦の望絶(のぞみた)へたらん如(ごと)くなれば一同声 を発(はつ)して傍近を警(いまし)め鐘鼓愈々 急(きう)を報(ほう)じて被難(ひなん)の少からん事を注 意せり 天明けて眼(まなこ)を一 転(てん)すれば長左衛門新田、又兵衛新田(またべゑしんでん)、久右衛門 新田、五兵衛新田、伊藤谷新田等の人民(じんみん)は老幼を問(と)はず皆軽装 鎌を携(たづさ)へて田野に在(あ)り或は稲の未(いま)だ浸水(しんすゐ)せざるを刈り或は東瓜 を水の浸(ひた)さゞるに取る其混雑(そのこんざつ)さながら火事場(くわじば)の如し忽にして六 ツ木の防禦 全(まつた)く破(やぶ)れたれば濁水一面 白波(しらなみ)を漲らして南方の田野 に浸水し今(いま)まで青く赤(あか)く見え渡(わた)りたる早稲晩稲(わせおくて)も見る〳〵内に 水底(すいてい)に没し六ツ木よりは最(もつと)も遠く離(はな)れたる伊藤谷小学校の如き も床上二 尺(しやく)はひたりつらん鉄道線路(てつどうせんろ)もアワヤ水越さんばかりに 見受(みうけ)られたり 是に於て警官(けいくわん)は村民を戒(いまし)めて婦人小児の警戒(けいかい)を充分ならしめ伊 藤谷と小菅(こすげ)との間に架(か)せる水原橋 (綾瀬川へ架(か)するもの)の右 岸に水防夫(すゐぼうふ)を集め援軍(えんぐん)して千住の方(はう)より繰(く)り込みたる人民をも 指揮して多(おほ)くの土俵を右岸(うがん)の堤上に積(つ)ましめ且(か)つ左岸に穿てる 【左ページ下段】 水門口をば悉く開(ひら)かしめぬ、是(これ)六つ木の堤防 破(やぶ)れて其水綾瀬川(そのみづあやせがは) 以東の田野(でんや)に氾濫(はんらん)したれ共幸ひにして大川(おほかわ)の水嵩卑ければ綾瀬 川の左岸を開(ひらき)て洪水(こうずゐ)をこゝへ切落(きりおと)さんとの計画にて其右岸(そのうがん)即ち 綾瀬の西岸堤上に土俵(どへう)を備(そな)へたるは決潟(けつしや)の濁水をして小菅、弥 五郎新田等を浸(ひた)さしめざらんとしたるなり 斯くて余(よ)は午前九時 過(すぐ)る頃濁水に追(お)はれて水害地(すゐがいち)を去りたるが 土地の者(もの)の言(げん)に依(よ)れば浸水も之(これ)よりは人家を漂(たゞよ)はすには至らざ らん是全(これまつた)く綾瀬の水量少(すゐりやうすく)なきが為めなりと 綾瀬川の堤防破る 花畑村字(はなはたけむらあざ)六ツ木の堤防(ていばう)破壊したる為め綾瀬 川の警備愈々急(けいびいよ〳〵きふ)を要する由(よし)は十六日午前三時四十五分 発(はつ)南葛飾 郡長よりの報告(ほうこく)に拠りて知(し)られたるが案(あん)に違(たが)はず其後綾瀬川は 俄然水量を増して東部堤防に決壊(けつくわい)を生じ南綾瀬村一円 浸水(しんすい)し尚 ほ西部の堤防も決壊の恐(おそれ)ありとのことは午前(ごぜん)十一時五 分発(ふんはつ)南葛飾 郡役所の急報(きうほう)に拠(よ)りて愈々 確(たし)かめられぬ東部の破堤は那処まで 其 影響(えいきやう)を及すべきやは未(いま)だ俄に判知し得(う)べからざるも万一西部 の堤防決潰を来(きた)さば大千住 地方(ちはう)一面の沼湖(せうこ)と化(くわ)すべきは必然な り随て同村(どうそん)元小菅御所跡なる東京集治監(とうけうしうちかん)も頗る危急に迫(せま)りたる に因り内務省警保局(ないむしやうけいほきよく)にては直ちに監獄課属を同 集治監(しうぢかん)に急派し 尚ほ府庁よりも属官(ぞくゝわん)数名空俵一万俵を携(たづさ)へて同地に出張(しやつちやう)せしめ たり 谷口参事官の惨話 中川(なかがは)の暴水漲溢して堤防(ていばう)を越え危機 愈々(いよ〳〵)迫 るとの急報に接(せつ)し谷口東京府参事官は被害(ひがい)の実況(じつきけう)を視察する為 め府属(ふぞく)二名を随へて十五 日午後(にちごゝ)新宿町に向(む)け出発し十六日帰庁