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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百二十四號 洪水地震被害録(上) - ページ 15

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【右ページ上段】 は同所(どうしょ)より牛島神社乃至明徳学校に仮設(かせつ)したる避難所に送り充(じう) 分(ぶん)之れを救助(きうじよ)したれども尚ほ食尽(しよくつ)きて両日間|絶食(ぜつしよく)のものさへ多 く如何(いか)に力を尽すも水中(すゐちう)意(ゐ)の如(ごと)くならず必死と困難(こんなん)の折抦恰も よし洲崎遊郭より凡五合取位の握飯(にぎりめし)一万個水難者恵与として寄(き) 附(ふ)したれば直(たヾち)に之れを数艘の小船(こぶね)をして夫々分配(それ〳〵ぶんぱい)したるに皆感(かん) 涙(るい)に咽び貴賤(きせん)の差別無くかぶり付く如く喰する有様(ありさま)は憫然(びんぜん)とい ふの外なかりしと ●本所区の避難所 府下の浸水(しんすゐ)に付き本所区役所にては被害者(ひがいしや) の避難所(ひなんじよ)を取敢へず牛の御前、法恩寺、明徳学校の三箇所に設 け老若男女の寄(よ)るべなき身(み)を集めて何呉(なにく)れとなく世話(せわ)せしか多 き時は牛(うし)の御前(ごぜん)に三百人、法恩寺に百四五十人、明徳学校に二 百人|餘(あま)りとなり東村西邑の人(ひと)互(たがひ)に枕(まくら)を幷べ南巷北衢の人共に膝(ひざ) を接(せつ)して過(す)ぎ去りし昔(むかし)を物語り行末を案じて不幸(ふかう)に泣き沈む物 の憐(あはれ)は室内に充ち亘りて見るさへ気(き)の毒(どく)なるに頑是(ぐわんぜ)なきわんば く盛りの子供等(こどもら)は面白さうに庭先(にはさき)など馳け廻り鬼ごっ子を為し て遊(あそ)ぶもあれば目隠(めかくし)して戯(たわむ)るヽもあり近所(きんじょ)の人々は被害者(ひがいしや)の心 情を察して不憫(ふびん)に思ひつれ〳〵の慰(なぐさみ)にとて塩煎餅を寄附するも あれば砂糖饅頭、餅菓子などを寄贈(きさう)するもあり掛員(かヽりゐん)は夫々之を 配布(はいふ)して避難者(ひなんしや)に分け与ふるより彼の小児等は喜(よろこ)び勇みて「い つまでも水が出て居れば可(い)いのねー」などヽ|打(うち)ち【ママ】騒(さわ)げるも思(おも)へ ば却ていじらしくかゝる幼児(をさなご)を連れ来りし親(おや)の心は如何ならん ●避難者(ひなんしや)の発病 今回の出水に付本所区牛島神社及び明徳学校(めいとくがくかう) 内(ない)仮設したる水難者立退所(すゐなんしやたちのきじよ)に於て目下救助しつゝある四百|名(めい) 【右ページ下段】 余(よ)の中の多くは数時間の中にありし為め吐瀉(としや)または腹痛(ふくつう)を発 し其他(そのた)種々(しゅ〳〵)の病人を生(しよう)じたれば同区は諸医(しよい)員(いん)をして施療せしめ 居るが中には産後(さんご)の肥立悪しくして起居(たちゐ)さへも自由ならぬに赤(あか) 子(ご)と八十才の老母(らうぼ)を抱へえつヽ|進退谷(しんたいきわま)り他所の見る目も哀(あはれ)なる婦 人などあり又牛島避難所にて年齢廿才位の女(をんな)が突然(とつぜん)苦痛を発し 種々治療(しゅ〳〵ちれう)を施し三時間斗りを経て漸く正気(せうき)に返らしめしが其の 病原は此の女|兼(かね)て知人(しりびと)より一疋の洋犬を預(あづか)り居しに出水(しゆつしゐ)の騒ぎ に其の行衛知れずとなりたるを心配(しんぱい)の余り持病の癪(しやく)を起せしと の事なり ●牛(うし)の立退(たちの)き 向島附近は突然浸水(とつぜんしんすゐ)したれば各々家財(おの〳〵かさい)を取片付 ける遑も無く其の狼狽(らうばい)一方ならざりしが就中同所(とりわけどうしよ)三囲稲荷際牛 乳搾場はあはやといふ間に浸水(しんすゐ)して牛を引出す間も無かりしよ り残(のこ)らず二|階(かい)に押上げて二階窓より向島堤上へ桟橋(さんばし)を渡し窓口 より牛を立退かせたりといふ ●易者(えきしや)に誤(あやま)られて水難(すゐなん)に遇ふ 寺島村|土手下(どてした)に年齢三十四五歳 の男茫然として水中に《ルビ:彳み|たヽず》【ママ】居るは狂人にてはなきかと人々(ひと〳〵)怪(あや)し み眺(なが)め居る中追々増水(おい〳〵ぞうすゐ)して既に胸部(きようぶ)に達しけるも尚動く気色な り仔細(しさい)を尋ねたるに此者は豫(かね)て深川区鶴歩町に住居したりしに 女房は四年前より長病(ながわづらい)に罹り居るのみならず其他(そのた)種々(しゅ〳〵)不幸(ふかう)の事 のみ多(おほ)きは全く居宅に祟(たヽり)ありと某易者の判断(はんだん)を真に受け両三日 前吉方を択(えら)み寺島村に移転(いてん)したるに今亦此の水災(すゐさい)遭ひ途方に 【左ページ上段】 暮(く)れ居たるものなりしとぞ ●小船陸(こぶねりく)を走る 本所区内(ほんじょくない)は高地の場所と雖ども万一の時(とき)の為 め夫々(それ〳〵)立退(たちの)きの準備を為し伝馬(でんま)或(あるひ)は荷たり釣舟の類まで借受(かりう)け 居宅附近に繋留(けいりう)し置かんと欲するも場所(ばしょ)に依ては激流に遮(さへぎ)られ 容易(ようゐ)に上手へ引舟(ひきふね)する能はざるより小舟の分はいづれも車(くるま)に乗 せて陸を運搬(うんぱん)するもの幾艘(いくそう)なるを知らさりしと ●川越しの便所(べんじょ) 向島近傍の女連(をんなれん)は大商便に拘(かゝは)らず渡舟を越し て今戸橋場(むかふがし)まで行けりと ●籾(もみ)に根(ね)を生ず 六ツ木 辺(へん)は浸水清冽(しんすゐせいれつ)にして水底の稲は茎倒(くきたふ)れ て籾悉く根を生じ居れり籾(もみ)の形宛かも百足(むかで)かゲヂ〳〵の如きを 見ては農民(のうみん)の落膽(らくたん)想(おも)ひ遣らるゝなり八ツ頭(かしら)の類も亦皆無なりと 云ふ ●団扇(うちわ)問屋(とひや)の災難 日本橋区堀江町《ルビ:辺|へん》の団扇問屋は今度(こんど)の出水 にて小梅辺(こむめへん)の各下手間の家(いへ)に預(あづ)けありし団扇の板木(はんぎ)が悉く水に 浸(ひた)り役に立たなくなりしには少(すくな)くも問屋一軒五百《ルビ:円|えん》以上千円余 の損耗(そんもう)なりといふ右板木(みぎはんぎ)は桜の木にて一《ルビ:端水|たんみづ》に浸りし後(のち)は乾か すも反(そ)るゆへ役には立たず団扇問屋の厄難(やくなん)といふへし 一《ルビ:植木屋|うゑきや》と金魚屋(きんぎょや) 向島請地及び亀戸、平井新田の植木屋(うゑきや)が今  回の洪水(こうずゐ)に蒙れる損害(そんがい)はすくなからず本所辺(ほんじょへん)の金魚やも養魚池  の溢れし為め金魚(きんぎょ)は押流(おしなが)されて玉なしとなれり 一紺屋(こんや)の損失(そんしつ) 府下(ふか)一《ルビ:般|はん》の裏地(うらぢ)を染める染紺屋(そめこんや)は亀戸、四ツ木  榎戸、新宿《ルビ:辺|へん》に多きが何れも今回の出水に藍瓶(あゐがめ)の藍汁(あゐ)は濁水  と共に流(なが)れ去りたれば資本(もとで)を失ひし者多し其損失は上中下三 【左ページ下段】  等《ルビ:平均|へいきん》して一《ルビ:瓶|かめ》五十円とするも其多額(そのたがく)なるを知べし 一《ルビ:草花類|くさはなるゐ》 毎朝花(まいてうはな)や〳〵売歩く草花類(くさばなるい)も八分通りまでは水害(すゐがい)  の地より買出(かひだ)し来りしなれども是も玉なしとなれり 一《ルビ:貸家|かしや》 水害に遭ひし者の立退(たちの)き場所として浅草(あさくさ)最寄(もより)の中等以  下のかし家(や)は一時に塞(ふさ)かり借家(しゃくや)に一層の払底(ふつてい)を告げたりと 一《ルビ:天保年度|てんほうねんど》より二尺の増水 古老(こらう)の咄に拠れば天保年度の出水(しゅつすゐ)  は向島牛の御前の石段(いしだん)まで侵入したる迄にて今回(こんくわい)より三尺以  上は低(ひく)かりしと云ふ 一《ルビ:物価|ぶつか》 不意の出水(しゅつすゐ)とて人々の何の用意(ようい)もなし置かざりしかば水(すゐ)  害地(がいち)近傍(きんばう)の商店は実に繁昌(はんじやう)を極め草鞋の如きは一《ルビ:足|そく》三《ルビ:銭|せん》に騰  貴しその他草(たくさ)簑草(みのくさ)縄(なは)ともに騰貴したるより浅草最寄にては品  切を告げ随(したが)つて飲食物類まで直上(ねあげ)を見るに及べりと ●向島の人出 水災(すいさい)の見舞なり見物(けんぶつ)なりにて日々《ルビ:向島|むかふじま》に出懸く る人々《ルビ:多|おほ》く土出(どて)は花見時に擬(ぎ)して賑ひけるが現(げん)に去日曜日の如 きは是迄(これまで)になき人出にて竹谷(たけや)の渡は乗客を渡し切れず午後(ごゞ )六時 二十分頃より危険(きけん)なりとて渡船(とせん)を見合したりと又た右に就(つ)き去 る日曜日吾妻橋を通行(つうかう)せし者を調べ見しに午前(ごぜん)十時より十一時 までの一《ルビ:時間|じかん》には男女六千七百九十《ルビ:人内|にんうち》女(をんな)二百八十二人通行し 午後二時より三《ルビ:時|じ》に至る一時間には男女(だんぢよ)六千四百人内女二百六 十二《ルビ:人通行|にんつうかう》せり而(しか)して之れを平均(へいきん)すれば男女《ルビ:共|とも》一時間に六千六 百四十九《ルビ:人|にん》にして一日を十《ルビ:時間|じかん》と見積れば六万六千四百九十人 となるべしとぞ ●言問団子の繁昌 墨堤(ぼくてい)に於ける出水《ルビ:見物|けんぶつ》は非常に多(おほ)く三囲前