翻刻
【右側上段】
々々の声喧(こへかし)ましかりしに松過ぎて日(ひ)も経(たゝ)ぬ正月十五日正午の頃
本郷丸山に住(す)む一橋御守殿付 勘定役(かんぢやうやく)坂本平方より出火(しゆつくわ)し佃島
本所、深川迄 延焼(えんせう)し町数(まちかず)五百三十五町を焦土(せうど)と為し焼死人二百
三十四人を出(いだ)し明暦以来(めいれきいらい)の大火なりと孰(いづ)れも戦き慄(おそ)れて上を下
へと騒(さわ)ぎ立ち二月三月は空(くう)に過去(すぎさ)り焼け場の騒動(さうどう)も漸く治りて
各々 家作(かさく)に取掛り昨日迄(きのふまで)手斧聞きし町々に今日(けふ)は青簾の夏座敷
を見(み)ると思(おも)ふ間(ま)もなく同年六月三日より霖雨晴間(りんうはれま)なく降りしき
りて同(どう)十日 頃(ころ)より折々 雲切(くもき)れて日光を洩(もら)したれど快(こゝろ)よく霽れも
せず同二十日 頃(ころ)よりは利根川 荒川筋(あらかはすぢ)一面に増水して今日(けふ)は大川
筋の水量(すいりやう)一丈八尺五 寸増(すんま)したり昨日 戸田川(とだがは)の渡しは止まりたり
六郷川も同様(どうやう)なりなど噂(うわさ)せしが春の大火(たいくわ)で丙午年の厄(やく)は払ひた
れば此上(このうへ)に出水などはあるまじと一 向頓着(かうとんちやく)せずして唯斯う降続
かれては困(こま)ると呟(つぶや)くのみなりしが次第に大雨降(たいうふ)り続き川々は増
水して遂(つひ)に二十七日の夜(よ)四ツ時(とき)頃武州 羽生領(はにふりやう)の利根川堤防八十
間程 破壊(はくわい)して堺村高柳村 以下数箇村(いかすうかそん)濁流に押流され溺死人数多
ありと代官所(だいくわんしよ)より馬喰町の郡代屋敷に早飛脚(はやひきやく)の着すると同時に
葛飾郡権現同村より六 里上(りかみ)の方の堤切れて本川股村(もとがはまたむら)を始めとし
て洪水数箇村(こうずいすうかそん)に漲り家土蔵流失少なからずとの急報(きうはう)ありたれは
斯は大変(たいへん)と南北町奉行は与力(よりき)同心等を率(ひきゐ)て出張したるに最早(もはや)葛
西より向島(むかうじま)本所一円千住吉原三の輪入谷坂本通(わいりやさかもととほ)りに浸水し孰れ
も床上三 尺余(じやくよ)を浸し其 騒動(さうどう)一方ならず向島の溺死(できし)二十人千住に
三十人ありとの始末(しまつ)なるにぞ町奉行(まちぶぎよう)は向島本所深川、吉原(よしはら)千住
浅草と二 手(て)に分(わか)れて水防と救助(きうじよ)に力を尽くしたり明(あく)れば六月二
【右側下段】
十九日 水害地(すいがいち)は益々其量を増(ま)し三大橋も危(あやう)く見(み)えたれば町奉行
は本所深川の士民(しみん)に立退の用意然(ようゐしか)るべしと触(ふれ)させければ各々山
の手辺の親族(しんぞく)を便り立退の準備(じゆんび)を為し或は橋(はし)の落(お)ちぬ前にと老
幼婦女を親類先(しんるゐさ)きに送るなど宛然火事場(さながらくわじば)の如く夜に入りては愈
々混雑を極(きは)めたるが同日(どうじつ)の夜九ツ時 葛飾(かつしか)郡人民の力及ばずして
遂に権現堂の堤防破壊(ていばうはくわい)し翌日の七ツ時頃葛飾郡内は勿論(もちろん)向島、
本所、深川、千住、吉原(よしはら)、浅草橋場 今戸(いまど)、田町馬場、観音地内、田原町
門跡前(もんぜきまへ)、鳥越、三筋町、新堀端(しんぼりばた)、又大通りは並木、駒形(こまごみ)、蔵前通
り浅草 見附外(みつけそと)迄一円に浸水し又一 方(はう)は小塚原(こづかはら)、箕の輪、入谷 山下(やました)
通(とほ)り御成街道筋違 見附外(みつけそと)迄又広徳寺前通ゟ 三味線堀(さみせんぼり) (佐竹邸に
は浸水せず)新し橋 (現今(げんこん)の美倉橋)及び和泉橋佐久間町、練塀町
迄 場所(ばしよ)に依り床上八尺より五六尺を浸(ひた)したるにぞ其騒動大方な
らず御目付は町奉行(まちぶぎやう)の請求に依て川船改役に命(めい)じ江戸地中より
大小の船四百十四艘を徴集(ちやうしふ)し浅草見附外に集(あつ)めて救助の為め四
方に乗出(のりだ)し町会所よりは二百三十艘の小舟(こぶね)を出して御用船と筆
太に記したる高張(たかはり)提灯を推立て中川の関所へは御用船の幟と提
灯を建てたるものは通行勝手次第 差許(さしゆる)すとの事にて市中を自由
に漕廻(こぎまわ)らせたれば同晦日の朝七千二百余人の男女を助けて浅草
見附に立戻り見附内の広場に荒筵(あらごも)を敷き焚出しの握飯を与へ置
き翌(よく)七月朔日の夕よりは一人に付一日銀壱匁づゝの宿泊料にて
馬喰町其他 市内(しない)百十三軒の旅人宿及び郡代屋敷、寺院等に割付(わりつ)
けたれど猶追々 救助人(きうじよにん)を増し同く四日迄の調に壱万四千人余に
達したりと云ふ実に前代未聞の浩水(こうずゐ)にてありたり扨此年の浩水
【左側上段】
は利根川筋の被害地は武州川俣、忍、行田、下総栗橋、中田、古河、
関宿(せきやど)、木下(きおろし)、布佐、取手、鴻崎(かうざき)、滑川、佐原、十六島、銚子、川口
等にて荒川筋は川越、戸田川、葛飾(かつしか)、葛西、隅田、江戸近在、本所請
地、押上、亀戸、小梅、本所、深川、千住等なりと云ふ又
霖雨は六月三日より七月十七日迄 降(ふ)り続(つゝ)き大道商人は生活に困
しみ居たるに権現堂の堤切(つゝみき)れて江戸市内に押水の来ると聞き昨
日まで壱両に五斗三四升の白米相場は騰貴(たうき)に騰貴して四斗二三升
となり小売(こうり)は百文に付五合五夕と云ふ価(あた)ひなるにそ愈々難儀し
て多くは粥(かゆ)を啜(すゝ)り其日を送りたるもあり其中にて心なき者は少
しの晴間(はれま)を見ては吉原土手へ水見物(みづけんぶつ)に出掛けたるより町奉行は
其 不実(ふじつ)を憎み左の如く布告(ふこく)されたり
吉原日本堤に水見物に参る者多人数之有不埒至極の事に候親類共へ見舞に参り
候儀は格別以後見物人は勿論猥りに往来に立留り候者は召捕の上急度吟味可致
此旨町々へ無洩様可触知もの也
又此時の地口(ちぐち)に「丙午(ひのへうま)寄せ来る水と異国船今日もふらんす明日
もふらんす」
●秋田県下の震災
●震源調査報告 秋田升屋旭水稿
(一)[震源]今回の地震(ぢしん)に於ける震動 区域(くゐき)の広大なると実地探
撿に依り地震に伴(ともな)へる種々の現象(げんしやう)調査に基くも震源は火山に
あらずして地辷(ちすべり)なり
【左側下段】
(ニ)[土地の異状(ゐじやう)]地震の結果として来せし土地の主なる異状を
を挙くれば左の如し
(イ)[土地の凸起]仙北郡に位する真昼山及連続 山脈(さんみやく)の西及
ひ西南麓に沿(そ)うて最も高(たか)き所一丈余最も広き所百間許り長
さ五里位 凸起(とつき)し真昼山及連続山脈の東麓(とうろく)即ち岩手県和賀
郡の部分に於ても亦 前(さき)に述(の)へたるか如く土地の凸起せし所
あるも其長さに至ては凡(およ)そ五分一位なり
(ロ)[山頂の低下(ていか)凸起]したる山の麓(ふもと)に居住する人民は地震
前より山頂低下せりと云ふ是れ或は多少(たせう)あるへしと雖も亦
住居(じゆうきよ)する土地の凸起に依り斯いふものならん
(ハ)[山頂の破壊]震動の為め山の破壊(はくわい)したるもの其数多しと
雖も真昼山の西南(せいなん)に位する妙殿山の如きものはあらさるへ
し妙殿山千屋村大字千屋小字善知鳥の東山中一里半斗りの
善知鳥の沢にあり高(たか)さ五百間斗り絶頂(ぜつてう)より半は崩壊し横巾
二十町斗り其内二百間斗りの沢を埋(うづ)め直径(ちよくけい)五百間斗りの湖
水となり湖水(こすゐ)の南に水の出口を造(つく)れり
善知鳥沢 山腹(さんふく)破壊の景況を見るに真昼山の下西南に面する
山腹は東北に面するものなり比較上 劇烈(げきれつ)なり而して震動に
因り山脈の破壊 堕落(だらく)したる所此 近傍(きんぼう)に於ても尚ほ百数十ケ
所あり
真昼山の南に位(くらゐ)し岩手県西和賀郡に属(ぞく)して山に破壊の殊に
多き所は沢内村大字大田小字大平沢に接(せつ)する山腹(さんふく)に高さ百
間計り横巾二百間計り崩壊(ほうくわい)し沢を埋めたる所あり又真昼山
の同しく南に位する通し川の東西山腹の両面(りやうめん)高さ七十間巾
百五十間計り崩壊せる所(ところ)あり南新町より西北に当(はが)る真昼山
の前森即ち真昼山の東南(とうなん)に位する山に高(たか)さ百間計り巾三百