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【右側上段】
〇豪家池田氏の宅 同氏(どうし)の宅(たく)も有名の大厦高屋なりしか僅かに
数分間(すうふんかん)にして崩壊(ほうくわい)し周囲三四尺の柱悉く折挫(をれくちけ)し五棟の内ニ棟は
崩壊し三棟は大破(だいは)を蒙(かうむ)れり
〇同氏の義侠 同氏は大害(だいがい)を被(かうむ)りなから災民救護(さいみんきうご)として籾五十
石に金一千円を義捐(ぎえん)せり実(じつ)に奇特(きとく)の人(ひと)と云(い)ふへし
〇焼失ニ戸 焼失(せうしつ)せし家屋(かおく)は二 戸(こ)あり大事(だいじ)に至(いた)らずして止(や)みぬ
〇亀裂陥落 本村も亀裂(きれつ)を生(せう)し陥落(かんらく)せし所数十ケ所あり
〇田地の破損 田地も著しく破損(はそん)し稲(いね)は皆泥中に埋没(まいぼつ)せる為め
植直すとも其損害は多額(たかく)なるべし
〇植木倒る 周囲(しうい)四五尺の大木根際(たいぼくねきわ)より挫折したるもの二三本
ありと
〇妊婦の惨死 同村某の婦人懐妊中(ふじんくわいにんちう)なりしか劇震の際一子を手
に扣へつゝ将(まさ)に屋外(おくぐわい)に逃(に)け去(さ)らんとする一刹那 震動(しんどう)の急劇(きうげき)なる
ため梁木頭上(はりきとうじやう)に落(お)ち来(きた)り胎中(たいちう)の児(こ)と併せて母子三人は無残(むざん)の死(し)
を遂けたりと云ふ
●横堀村
横堀村は戸数(こすう)三百七十戸人口二千五百四十九人あり同村の全潰
家屋(かおく)は百三十三戸にして半潰は二百五十 戸(こ)の多(おほ)きに至(いた)り死亡者(しぼうしや)
七名 負傷(ふしやう)者六名あり牛馬即死八頭なり焼失(せうしつ)家屋は一戸に止まる
〇田地の被害 田地の被害は三百町歩にして平作(へいさく)三分の二以上
は損失(そんしつ)に帰したりと云ふ
〇妹を助(たす)けんとして死す 本村字横堀伊岡森与郎吉の長女マツ
(九年)を震動の際一旦 戸外(こぐわい)に出てんとせしが奥の間に当時二才
なる妹 遊(あそ)び居り之を助けんと駈戻(かけもど)り同人を抱き今一歩にて戸外
に出んとしたる時俄然家屋崩壊し無惨(むざん)にもマツは背部(はいぶ)を痛く打
たれ即死(そくし)を遂けたるか尚ほ妹を離(はな)さゝる為め其一念に依り妹は
些細の負傷をなしたるのみにて生命(せいめい)には別条なし姉妹 友情(いうじやう)の厚
【右側下段】
き死して尚ほ妹を助く見るもの何れもマツの最後(さいご)を憫まさるも
のなし
〇孫と共に圧(あつ)せらる 本村草薙仁兵衛と云ふは震災の際娘の孫
を抱(いだ)き逃れ出てんとしたるに余り震動の激(はげ)しき為め歩行(ほかう)するを
得す其内終に家屋 崩壊(ほうくわい)し孫は無惨の死を遂けたるも仁兵衛は軽
傷にて堀り出され漸く助命(ぢよめい)せりと云ふ
●横沢村
横沢村は六郷町角館町間の中央(ちうわう)にある村落にして戸数四百八十
四戸人口二千九百〇一人あり本村の被害は全潰(ぜんくわい)百三十五戸半潰
百戸余 破損(はそん)二百戸に下らす即死五人 負傷(ふしやう)十二人牛馬即死合せて
九頭学校 役場(やくば)は半潰となれり
●長信田村
長信田村は戸数(こすう)三百五十七戸人口二千三百三十七人あり家屋全
潰百三十九戸半潰三十六戸破壊百四十戸にして即死者(そくしゝや)十六人負
傷二十七人 牛馬(ぎうば)即死八頭を出せり又震災当時の状況を聞くに震
動急激の為め歩行するを得す皆 匍匐(ほふく)して逃け出てたりと其内に
一歩 後(おく)れて逃け出てたるものは無惨(むざん)の死を遂けたりと云ふ
〇焼失戸数 は三戸ありて何れも鍬(くは)一挺も残さす鳥有(ういう)に帰した
りと云ふ
〇山崩 山崩は四十四ケ所の多きに至(いた)り甚(はなは)たしきは大台と称す
る所にして巾二間 長(なが)さ千五六百間程崩壊し山腹(さんふく)に新道を開通せ
しものゝの如し
〇生(いき)なから火葬(くわさう)せらる 同村字川口は五十戸斗りの所四十四五
の戸数(こすう)は全潰となりし程の激烈(げきれつ)にして戸外に逃け出せる者は恰
も豆の如くに顚倒(てんたう)せり此の如き有様なるを以て即死者も多く其
中尤も惨状を極(きは)めしは藤峯常吉母いわ(六十五年)同孫清治 (ニ
年)にて両人(りやうにん)は老人と小児の事とて逃け後れ終に家屋(かおく)の下にな
【左側上段】
りしか即死(そくし)せざると見へ幽(かす)かに救を呼ふの声を聞きしか其内に
出火(しゆつくわ)して両人とも焼死せり
〇又 同村清水川友吉 (五年)といふものは逃(に)け後(おく)れて今一歩に
て戸外(こぐわい)に出てんとする斎家屋崩れ友吉は柱(はしら)の間に挟れて抜くこ
とを得ず頻りに救を呼ひしを以て両親(りやうしん)は聞附けて力を極めて抜
き取らんとするも抜けず彼此(かれこれ)する内火は炎々と燃上(もえあが)り両親の身
も危(あやふ)くなりしに依り已を得ず逃けたるに友吉は遂に無惨の焼死(やけしに)
をなしたりと
〇田畑に小山を生ず 同村字石神と云ふ所の畑及び田地の中に
田地 崛起(くつき)して恰も小山を生したるか如き所数ケ所あり震動(しんどう)の激
しきを知るに足るべし
〇一家悉く圧(あつ)せらる 同村字田森藤原七太郎は震災の当時 他村(たそん)
にありしが家に帰れば無惨にも全家 押潰(おしつぶ)さら居れり因て力を尽
し漸(やうや)く嫁ソテ孫キエノ、キヨノの三人を掘り出し直に母の居間
を掘しに無惨にも母は背部を打撲(だぼく)し即死し居れりと外三人の無
事なりしは不幸中(ふかうちう)の幸と云ふべし
〇月二つ現はる 震災のありし二週間間に月二つ現はれたるを
本村民にして見たるものありとの事なるが多分(たぶん)天変の前兆なら
んといふ果(はた)して然(しか)るや否や
〇田地より砂(すな)を噴(ふ)く 字石神の田地は亀裂して砂を噴出し田地
一面の砂地(すなぢ)と化(くわ)せり
〇田地四尺程高くなる 字永台の田地(でんち)二十町歩程は一体に四尺
余も高地(かうち)になれり
〇苗代に土手(どて)を生ず 字石神桜木といふ所の苗代の中央(ちうわう)に三尺
余の土手出来 自然(しぜん)に苗代を区別せり不思議(ふしぎ)と云ふべし
〇家屋一丈程上る 字黒沢の某の家屋(かおく)は震動の為め一丈程 高(たか)く
なれりと
【左側下段】
〇田地の損害(そんがい) 凡そ百町歩に及べりと
●清水村
本村は戸数(こすう)三百〇六戸人口一千七百四十四人あり震動軽き穏か
に被害も亦 少数(せうすう)なり全潰家屋は二十八戸にして半潰(はんつぶれ)三十戸土蔵
の破壊(はくわい)三十余棟即死一人負傷十二三人あり田地(でんち)の被害は八十町
歩の見込(みこみ)なりと
●豊川村
本村は戸数二百五十九戸人口一千四百九十三人あり被害は清水
村より多く家屋(かおく)の全潰百二十七戸半潰六十一戸破壊百七十戸な
り死亡(しぼう)五人負傷二十二人にして牛馬の即死(そくし)十頭田地の被害は百
町歩と云ふ
●豊岡村
本村は戸数二百七十一戸人口一千五百ニ十八人あり其被害は全
潰家屋九十七戸半潰三十三戸 破壊(はくわい)二百〇一戸なり死亡一人負傷
十一人あり田地(でんち)は三百五十町歩の被害あり字中荒井の道路は亀
裂二間余ありたり又字中西の田地三枚は陥落(かんらく)して穴となり稲は
悉く泥中(でいちう)に埋没せり
〇横沢外六ケ村家屋損害高 総計(そうけい)十五万五千円に上(のぼ)れり左に記す
横沢 三万八千五百四十円〇横堀二万八千六百七十円〇長信田 一万九千百九十
五円〇豊岡 一万六千二百八十円〇豊川 三万〇八百八十円〇清水 一万〇〇四
十五円〇長野 千二百三十円
●金沢村
本村は戸数七百七十三戸人口五千〇十六人あり当地(たうち)の震動急劇
にして僅(わづ)か二分時計りにして家屋 檐(のき)を連て崩壊せり其 轟然(がうぜん)劇震
を起して四壁墜落柱折れ梁落(はりお)ちんとするや人々屋外に飛出んと
するも動揺(どうやう)歩行に堪へず匍匐亦 容易(やうゐ)に為し得ざるが如き有様な
るを以て終に脱出(だつしゆつ)するを得すして圧死(あつし)の惨状に陥り若くは負傷(ふしよう)