翻刻
焼(やけ)ちゞれ菅笠(すげかさ)に七八分とも思ふ穴あきたり是全く釼にあたり
たるならん落かゝりたるは中々右様のものにあらず其以前同郡
大熊(おゝくま)村にて小児(しやうに)を負(おひ)たる女雷に壓(う)たれ母子ともに五躰
みぢんになり手足一丁余もとひちりしとの噂(うはさ)なり
〇文化十三丙子六月下旬同国筑摩郡と伊奈郡の境(さかひ)勝弦(かつゝる)峠(たふげ)
にて雷鳴せし時は真くらやみになり鼻(はな)の先もみへわかず進(しん)
退途(たいど)を失ひしばらく彳(たゝすみ)居たるうち眼(め)の先へ松火(たいまつ)をふり
立る如くにて同時に鳴響くこと天地もくつかへる心地(ここち)せり
拠なく道の片はらの大石を探(さぐり)りもとめ後ろ楯(だて)にとり
僕をあひだに囲ひ刀を抜(ぬき)はなし前にかまへ一時あまりうづく
まり居たり此時しもいろ〳〵のものにて腹を巻〆漸々(やうやう)凌(しのき)し
ことあり此事を暫(しばら)く後にさる老人にかたりければ夫は
全く刀を抜たる故に危難を脱(のがれ)たるなり予(よ)か家に宝蔵院
の元祖|文殊菩薩(もんしゆほさつ)より授(さづか)る処の十文字鎗|所持(しよじ)せり奇妙(きめう)
に雷災を除く総て両刃のものは雷除(らいよけ)になるもの也
と云けるが信用しがたきことなり上杉家の重宝(じうほう)に小豆
長光(なかみつ)の太刀民間に有し時山中にて雷難にあひ長光を
抜て頭にかざしけれは切先血にそみて其災を脱(のが)れし