翻刻
せよ神|威(ゐ)もくはゝるものなれは刃物にて雷難を除くなど□
覚束(おぼつか)なし
〇天保二辛卯四月下旬信州善光寺より須坂(すさか)に至(いた)る時
塩(しほ)川村をすぎて細(ほそ)道にかゝりけるに雨いよ〳〵|強(つよ)く
瀧(たき)の落るか如し案内(あんない)かた〳〵分持(ぶんもち)をもたせし人歩(にんぶ)
先にたち三人道を急ぐ処に此日は雨のみにて雷気は
少しもあらざりしに光ると倶(とも)にどうと落たり其|響(ひびき)
大地を打ちかへせしと覚へ人足も僕(しもへ)も打|倒(たほ)れやつかれも思
はずしらず傘を取落とす真黒になりて物のあいろも
わかず只|焔硝(へんしよう)の匂(にほ)ひして気血脳乱(きけつのふらん)する事はな〳〵し
両人を呼(よ)べどもさらに答(こたへ)なけれは即死(そくし)やせしとあやし
む内猶々雨強く懐中(くはゐちう)ものまて一しぼりとなるほどに
暫(しばら)く有て両人やゝ性気つきけれども夢中の如し拠(よんどころ)
なく荷物を捨(すて)おき須坂(すさか)までかけ付とりつきの茶屋(ちゃや)へ駈(かけ)
込み人をやとひ荷物をとりよせ改めみれば分持の桐油(とうゆ)剃(かみ)
刀(そり)にて切たるごとく一文字にきれ取落(とりおと)したる傘(かさ)の
端(はし)三寸程かけて壱尺あまりはさみ切たる如し是(これ)則(すなはち)釼に
当りたるならん危(あやうい)哉(かな)一足|遅(おそ)くは人歩はゆくはやつかれ即死