地誌・紀行

コレクション: 眞澄遊覽記(削除予定)

眞澄遊覽記[第2冊] - 翻刻

眞澄遊覽記[第2冊] - ページ 5

ページ: 5

翻刻

【右丁】 【本文】 乏(ボク)な《送り仮名:ン》とも書記(カキナ)しまたそか乏(トホシキ)の文字(コエ)の不詳(フサハシ)から ねは千福(センフク)な《送り仮名:ン》と字(カキ)あらためしもいと近き世の事 とも見えすそは東鑑沙石集な《送り仮名:ン》とにも見ゆ山北(ヤマキタ) とは駒形峯(コマガタミネ)《割書:陸奥国式内神|馰形山に鎮座》の山陰(ヤマキ)てふ事をいへるな るへし今の仙北の文字は天正のころよりこな たにこそ多くは書(かき)つらめ今はもはら郡の名と なりて古への山本郡を仙北 ̄ノ郡と呼て郡の部(ウチ)に そかそへ入られたるなほ考へ合する事も多か るへけれと書(フミ)乏しく才(サえ)みしかけれはすへなし ○阿麻加須物語(アマカスモノカタリ)に山北左衛門九郎吉定(ヤマキタ          ヨシサダ)といふ 【左丁】 【頭書】 信長記十二巻 ̄ニ波多 野誅せらるゝ事 云々おなしく十八日出 羽の大宝寺よりす くれたる駿馬を揃へ 五匹逸鷹十一聯内 白鷹二足のほせ進 上す大宝寺方へ黄 金二百両鈍子廿端虎 皮五枚くたしたふまり けり又奥州の遠野 孫次郎白の鷹はこ 是を進上す出羽の 千福前田薩摩のか みよりのほつて逸鷹 三疋さゝけ御礼申ける と見えたり 【本文】 人 百餘歳(モヽトセマリ)#2齢(ヨヲ)延(ヘ)て承平の年(コロ)卒(ミマカシリ)といへる事見え たりそは雄勝 ̄ノ郡なる杉 ̄ノ宮の條(トコロ)に委曲(ツハラカ)に記つ○ 砂石集五 ̄ノ巻に中古常州田中 ̄ノ荘といふ䖏に髙觀 坊といふ山卧ありけり隣家(トナリ)の藤追といふ百姓 か妻にしのひ〳〵よりあひけるまた山卧のたね つかむとおもひけるにや此事自然にもり聞え てくちをしく思ひされとも且は師檀の儀也熊 野の先達な《送り仮名:ン》とする名人なれは耻かましき事あ るへむもしかるへからすとおもひ熊野へ参詣 のとき妻をうちくして奥州《割書:出羽の国|謬なるへし》#3の千福とい

現代語訳

【右丁】 【本文】 「北」なども書き記し、またその「乏(とぼしい)」の文字の意味が不明確だから 「千福(センフク)」などと字を改めたのも、それほど近世のことでもない ようで、東鑑や沙石集などにも見える。山北(ヤマキタ) とは駒形峰《割書:陸奥国式内神社、駒形山に鎮座》の山陰ということを言ったのであ ろう。今の仙北の文字は天正の頃からこち らにこそ多くは書かれたであろう。今はもっぱら郡の名と なって、古の山本郡を仙北郡と呼んで郡の部類に 加え入れられている。なお考え合わせることも多くあ るだろうが、書物が乏しく才知も短いので仕方がない。 ○甘粕物語(アマカスモノガタリ)に山北左衛門九郎吉定(ヤマキタサエモンクロウヨシサダ)という 【左丁】 【頭書】 信長記十二巻に波多 野が誅殺される事 云々同じく十八日、出 羽の大宝寺より贈 られた駿馬を揃えて 五匹、逸鷹十一連、うち 白鷹二羽を献上 する。大宝寺方へ黄 金二百両、鈍子二十反、虎 皮五枚を下賜したという ことである。また奥州の遠野 孫次郎が白い鷹を これを進上する。出羽の 千福、前田薩摩守 より献上して逸鷹 三匹を捧げ御礼を申したと 見えている。 【本文】 人物で、百余歳の齢を延ばして承平の年頃に亡くなったという事が見え ている。それは雄勝郡なる杉宮の条に詳しく記してある。○ 沙石集五巻に「中古、常州田中荘という所に高観 坊という山伏がいた。隣家の藤追という百姓 の妻と密かに通じ合っていた。また山伏の種を 宿そうと思ったのか、この事が自然に漏れ聞こえ て口惜しく思ったけれども、一方では師檀の関係であり、熊 野の先達などをする名人なので、恥ずかしい事があ ってはならないと思い、熊野へ参詣 の時、妻を打ち殺して奥州《割書:出羽の国の誤りであろう》の千福という 【左丁】 【頭書】 信長記十二巻に波多野が誅殺される事が記され、同じく十八日、出羽の大宝寺より贈られた駿馬五匹を揃え、逸鷹十一連のうち白鷹二羽を献上する。大宝寺方へ黄金二百両、鈍子二十反、虎皮五枚を下賜したということである。また奥州の遠野孫次郎が白い鷹をこれを進上する。出羽の千福、前田薩摩守より献上して逸鷹三匹を捧げ御礼を申したと見えている。 【本文】 人物で、百余歳まで生きて承平の年頃に亡くなったという事が見えている。それは雄勝郡なる杉宮の条に詳しく記してある。○沙石集五巻に「中古、常州田中荘という所に高観坊という山伏がいた。隣家の藤追という百姓の妻と密かに通じ合っていた。また山伏の種を宿そうと思ったのか、この事が自然に漏れ聞こえて口惜しく思ったけれども、一方では師檀の関係であり、熊野の先達などをする名人なので、恥ずかしい事があってはならないと思い、熊野へ参詣の時、妻を打ち殺して奥州《割書:出羽の国の誤りであろう》の千福という

英語訳

【Right page】 【Main text】 "boku" (north) and such were also written and recorded, and because the meaning of the character "bō" (lacking/scarce) was unclear, they changed the characters to "Senpuku" (thousand blessings) and such, which doesn't seem to be from such recent times either, as it appears in works like the Azuma Kagami and Shaseki-shū. "Yamakita" (Mountain-North) probably referred to the northern shadow of Komagata Peak 《marginal note: Iwashimizu Shrine within Mutsu Province, enshrined on Mount Komagata》. The current characters for Senboku were probably written mostly from around the Tenshō period (1573-1592) onward. Now it has become exclusively the name of a district, with the ancient Yamamoto District being called Senboku District and added to the district classification. There would be many more things to consider together, but with scarce books and limited wisdom, it cannot be helped. ○In the Amakasu Monogatari, there is a person called Yamakita Saemon Kurō Yoshisada. 【Left page】 【Header notes】 Shinchō-ki, Volume 12 records the execution of Hatano... Similarly, on the 18th day, five fine horses sent from Daihōji in Dewa Province were assembled, and eleven hunting hawks including two white hawks were presented as tribute. To the Daihōji side, 200 ryō of gold, twenty bolts of silk, and five tiger skins were bestowed. Also, Tōno Magojiirō of Mutsu Province presented white hawks. From Senpuku of Dewa Province and Maeda Satsuma no Kami, three hunting hawks were offered and gratitude was expressed, as recorded. 【Main text】 a person who lived over a hundred years and died around the Jōhei era (931-938), as recorded. This is detailed in the section on Sugi Shrine in Ogachi District. ○ In Shaseki-shū, Volume 5: "In ancient times, in a place called Tanaka Manor in Hitachi Province, there was a mountain ascetic called Kōkan-bō. He was secretly having an affair with the wife of a neighboring farmer named Fujitsui. Perhaps thinking to bear the mountain ascetic's child, this matter naturally became known and he felt ashamed, but since there was a teacher-patron relationship and he was a renowned master who served as a Kumano guide, thinking that shameful matters should not occur, when making a pilgrimage to Kumano, he killed his wife and went to a place called Senpuku in Mutsu Province 《marginal note: probably an error for Dewa Province》