東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 4

絵本写宝袋 9巻 3之巻 - 翻刻

絵本写宝袋 9巻 3之巻 - ページ 21

ページ: 21

翻刻

【右丁 上部】 堀河夜討(ほりかはようち)【隅切囲みの中】土佐房正俊(とさばうしやうじゆん)【正順と前出】は判官殿(はうぐわんどの)の御前(おんまえ)へ 参ちんじけるは此 度(たび)かまくら殿の御代官(ごだいくわん)と してくまのへ参候が路次(ろし)より風(かぜ)の心(こゝ)ちにて候 ゆへ遅参(ちさん)に及(および)候などゝ申ひらき ければ判官心に思(おほ)しけるは たとへ討手(うつて)に来(きた)るとも何(なに) 程の事かあらん重(かさね)てかれが よせ来らんときうつべしと て起請(きしやう)を書(かゝ)せかへしたまふ 土佐房は其(その)帰(かへ)るさに 案内(あんない)をよく見 置(をき)て 其夜に堀河へおし よせたり 御所(ごしよ)には よもこ よひは 【左丁 上部】 よせ じと 思はれ しかば さふらひ 一人も 有 合(あは)ず 判官(はうぐわん) みづから ふせぎ給ふ 土佐(とさ)もさう なくかけ入ず しばらく時 うつりしかば 判官殿のさふらひども 方々(はう〴〵)よりはせまいりて 【右丁 下部】   さん〴〵にたゝ  かひ正俊(しやうじゆん)がちやくし 土佐太郎同いとこ いわうの五郎も   いけどられて    正俊はくらま     をさして      おちけるを      大 勢(ぜい)      つゞいて        おつ        かけ         僧        正が         谷        にて 【左丁 下部】         べん         けいが        生(いけ)どり          て         六 条(てう)      河原(かわら)にひき     出し正 俊(じゆん)を    はじめちやくし    太郎さがみの    八郎いほうの    五郎みな切(き)られ  けり討(うち)もらされたる 者(もの)どもはおちくだりて かまくら殿へかくと 申上にけり

現代語訳

【右丁 上部】 堀河夜討(土佐房正俊(前出の正順と同一人物)が判官殿(源義経)の御前に参上して申し上げたのは「この度、鎌倉殿の御代官として熊野へ参る途中、風邪気味でしたので遅参いたしました」などと申し開きをした。判官は心の中で思ったことには「たとえ討手として来たとしても何ほどのことがあろうか。再度あれが攻め寄せてきた時に討ち取ればよい」として、起請文を書かせて帰した。土佐房はその帰り道に屋敷の様子をよく見置いて、その夜のうちに堀河へ押し寄せた。御所では夜もすがら攻め寄せようとは思われなかったので 【左丁 上部】 攻め寄せるとは思われなかったので、侍は一人もいなかった。判官自らが防戦された。土佐もすさまじく駆け入った。しばらく時が経つと、判官殿の侍たちが方々から馳せ参じて 【右丁 下部】 散々に戦い、正俊の嫡子である土佐太郎、同じく従兄弟の岩王の五郎も生け捕られて、正俊は鞍馬を目指して落ちていったが、大勢が追いかけて、僧正が谷で 【左丁 下部】 弁慶が生け捕りにして、六条河原に引き出し、正俊をはじめ、嫡子太郎、相模の八郎、岩王の五郎、皆切られた。討ち漏らされた者どもは落ち下って鎌倉殿へこのことを申し上げた。

英語訳

【Right Page, Upper】 The Night Attack on Horikawa: Tosabō Shōjun (same person as Shōjun mentioned previously) appeared before Lord Hōgan (Minamoto no Yoshitsune) and reported: "This time, as the representative of Lord Kamakura, I was on my way to Kumano, but I caught a cold on the journey, which caused my late arrival," and so forth, making his excuses. In his heart, the Hōgan thought: "Even if he comes as an attacking force, what could he possibly accomplish? When he attacks again, I shall strike him down," and had him write an oath before sending him away. On his way back, Tosabō carefully observed the layout of the residence, and that very night launched an attack on Horikawa. At the palace, since no one expected an attack throughout the night 【Left Page, Upper】 since an attack was not expected, not a single samurai was present. Lord Hōgan himself defended the position. Tosa also charged in fiercely. After some time had passed, Lord Hōgan's retainers came rushing from various directions and 【Right Page, Lower】 fought fiercely. Shōjun's eldest son Tosa Tarō, as well as his cousin Iwao no Gorō, were captured alive. Shōjun fled toward Kurama, but a large force pursued him, and at Sōjōgadani 【Left Page, Lower】 Benkei captured him alive. He was dragged out to Rokujō riverbank, where Shōjun, along with his eldest son Tarō, Sagami no Hachirō, and Iwao no Gorō, were all executed. Those who escaped the slaughter fled down to Kamakura and reported these events to Lord Kamakura.