翻刻
明暦(めいれき)三酉年
正月十八十九日江戸大火
にて焼亡(せうぼう)十万八千人有依之本所に
諸宗山無縁寺回向院(しよしうざんむえんじえかういん)を建立在(こんりうまし〳〵)て
右 追福(ついふく)を修せしめ給ふ是を莫大(ばくだい)に思ひたるに
今度の騒乱(そうらん)は右の高より多しといへる人あり
何にして其数を知(しる)そと尋(たづね)るに御当地の中
諸宗の寺院 幾千(いくばく)あり其 塔中(じちう)を加(くは)へて
一寺に五人宛 葬(ほうむ)る時は廿万余と成と云云
是 冝(うべ)なる義ゆへ尚(なを)深く考(かんがへ)見れば
実(げに)も明暦より遥(はるか)に多きを悟(さとり)
初て驚(おとろき)しなり右 震火(ちしんくはじ)鎮つてより死体を
幾(いくつ)共なく莚(むしろ)に包又四斗樽に入車にのせ其
香花院(だんなてら)に送る容(さま)なんど実(じつ)に歎(なけき)ても余有
他邦(たこく)の人は是を知ざるゆへ爰に図して
其節の体相(ありさま)を見せしむ予(われ)は眼前(がんぜん)
見る事なれば其大数を量(はか)るに
概(およそ)は違(たが)ふべからずと尓云(しかいふ) 一登斎
芳綱画