伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 1

無足諸士勤仕録(六) - 翻刻

無足諸士勤仕録(六) - ページ 8

ページ: 8

翻刻

              北原儀右衛門 真如院様御代 一享保十四己酉十一月十七日御徒士格郷方物書ゟ  御供番格被成下壱両壱人扶持御加増高  五両弐分三人扶持御代官被 仰付 一同十八癸丑十二月十五日御中小性格壱両弐分  御加金七両高ニ被成下 一元文三戊午十月廿一日願之通御役 御免 一同四己未       病死      勤仕              北原文五右衛門 源隆院様御代 一元文二丁巳三月朔日御供方御徒士被 召出三両  弐分二人扶持被下候出府被 仰付御徒士頭支配 一同四未正月廿六日亡父儀左衛門役式高弐拾弐俵  二人扶持被下候勤方是迄之通 【北原儀】

現代語訳

北原儀右衛門 真如院様の御代 一、享保十四年己酉(1729年)十一月十七日、御徒士格郷方物書から御供番格に昇格させられ、一両一人扶持の御加増、高五両二分三人扶持で御代官に任命される。 一、同十八年癸丑(1733年)十二月十五日、御中小性格一両二分の御加金で七両の高に昇格させられる。 一、元文三年戊午(1738年)十月二十一日、願い出の通り御役を免ぜられる。 一、同四年己未(1739年)病死 勤仕 北原文五右衛門 源隆院様の御代 一、元文二年丁巳(1737年)三月一日、御供方御徒士として召し出され、三両二分二人扶持を下される。江戸出府を命じられ、御徒士頭の支配下に入る。 一、同四年未(1739年)正月二十六日、亡父儀左衛門の役職と高二十二俵二人扶持を下され、勤務内容はこれまでの通り。 【北原儀】