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【枠外右上】
四四【但し算用数字】
【枠外右横上】
法華經第八卷開示抄第一 普門品
【枠外右横下】
四八〇
【本文二段構成】
【上段】
生煩惱業苦無_レ有_二盡期_一。寧皆發心修行。悉歸_二寂滅_一耶。聖
敎中多不_レ許_二此事_一。如_二華嚴普賢行願品等說_一。若夫以_レ有_二
種性_一。遂《割書:考【四角で囲む】遂一|本作是》可_レ盡者。無始以來。旣經_二無邊劫_一以前。何不_二
滅盡_一。但以_レ理所_レ責。實雖_レ難_レ遁。盡與_二不盡_一倶是道理也。
二理中不盡爲_レ實。諸法功能。自_レ本雖_レ具。若有_二違緣_一不_二必
顯現_一。談_レ能指_レ實。多以如_レ此。彼如來智惠。遍緣_二諸法_一。須_下
横盡_二 十方_一竪窮_中 三世_上。若許_レ爾者。何處 ̄ヲハ爲_二世界極_一。何時
爲_二衆生始_一。不_レ知_二其至極_一者。何稱_二正遍知_一。然而無始無邊
佛亦所_レ許也。如_レ此疑難。凡智未_レ決。就_レ 中凡夫本來迷故。
設雖_二無始_一。諸佛各有_二發心師_一。前後相繼。何無_二彼最初佛_一。
彼旣無始。此何有_レ終。一々有性雖_レ須_レ得_レ果。無_レ緣無_レ願
自然流轉。是又法爾道理也。次佛地論文。且付_二有性_一假
許_二盡期_一解。《割書:考【四角で囲む】解一|本作說》殊擧_二無性_一欲_レ顯_レ無_レ窮。與奪之意。多
以如_レ此。樞要以_二 二故_一成_二大悲闡提不成佛義_一。准_レ彼可_レ
知。畢竟無性 ̄ハ於_二佛出世_一不_レ聞不_レ見。若爾。最後佛化《割書:考【四角で囲む】|化》
《割書:一本|作倶》身猶無_二所化_一。況於_二報身_一耶。無數佛土。悉皆滅盡。世
界空虛者。指_二何時_一耶。
【下段】
玄贊云。無盡意者。阿差末經說。行_二 六度四攝等種々行_一。
誓_レ度_二衆生_一。衆生界盡。菩薩之意乃盡。衆生未_レ盡。菩薩之
意無_レ盡。故名_二無盡意_一。十地經中。以_二 十界盡句_一成_二諸大願_一。
一一切衆生界盡。二世界盡。三虛空界盡。四法界盡。五𣵀
槃界盡。六佛出世界盡。七如來智界盡。八心所緣界盡。
九佛境界智入界盡。十世界轉法輪智轉界盡。且如_二衆生
界盡我願乃盡_一。如_レ是衆生界不_レ盡。我願亦不_レ盡。乃至第
九佛智證入一切境界都盡。第十轉_二法輪_一。智轉_二諸法_一盡。
我願亦不_レ盡。無垢稱經云。雖_下得_二佛道_一轉_中於法輪_上。而不_レ
捨_二於菩薩之道_一。是名_二菩薩行_一。故此菩薩名_二無盡意_一。雖_二諸
菩薩願行皆同_一。諸號有_レ殊。願各別故《割書:云云》。
佛地論二云。受用變化二身功德雖_二性無常_一。無_二斷盡_一故。
故無盡究竟。一切如來。本發_二弘願_一爲_二有情_一故求_二大菩提_一。
若諸有情。盡得_二滅度_一。爾時諸佛有爲功徳。何不_二斷滅_一。諸
有情界。無_レ有_二 一切盡滅度時_一。故佛功德無_レ有_二斷滅_一。所以
者何。由_二法爾_一故。無始時來。一切有情有_二 五種性_一。一聲聞
種性。二獨覺種性。三如來種性。四不定種性。五無有出世
【左頁】
【枠外左上】
四五【但し算用数字】
【枠外左横上】
法華經第八卷開示抄第一 普門品
【枠外左横下】
四八一
【上段】
功德種性。如_下餘經論。廣說_二其相_一分別建立_上。前四種性。雖_レ
無_二時限_一。然有_下畢竟得_二滅度_一期_上。諸佛慈悲巧方便故。第
五種性無_レ有_二出世功德因_一故。畢竟無_レ有_下得_二滅度_一期_上。諸
佛但可_下爲_レ彼方便示_二-現神通_一。說_中離_二惡趣_一生_二善趣_一法_上。彼
雖_下依_レ敎勸_二-修善因_一。得_上レ生_二 人趣乃至非想非々想處_一。必還
退下墮_二諸惡趣_一。諸佛方便。復爲現_レ通說法敎化。彼復修_レ
善得_レ生_二善趣_一。彼還退墮受_二諸苦惱_一。諸佛方便復更拔濟。
如_レ是展轉。窮_二未來際_一。不_レ能_レ令_二レ其畢竟滅度_一。雖_下餘諸經
中演_二-說一切有情之類【一点脱ヵ】。皆有_二佛性_一。皆當_中作佛_上。然就_二眞如
法身佛性_一。或少分一切有情方便而說。爲_レ令_下二不定種性
有情_一。決定速證_中無上正等菩提_上故。由_二此道理_一。諸佛利樂
有情功德。無_レ有_二斷盡_一。此利他德等《割書:云云》。
同論三云。由_二此法界一切有情心相續中平等有_一故。說_二
如_レ是言_一。一切有情是如來藏。一切有情。皆有_二佛性_一。爲_下
引_二不定種性有情_一。令_中心決定趣_中大乘_上 故。【中点重複】就_下有_二如來種
性_一有情_上。說_二如_レ是言_一。一切有情皆當_二作佛_一。如_二有說言_一。一切
無常。一切皆苦。如_レ是皆說_二少分一切_一。非_二全一切_一。若不_レ爾
【下段】
者。便違_二所_レ說五種々性_一。諸佛功德。應當_レ有_レ盡。無_二所度_一
故。則違_二所說_一。如來功德。常無_二斷盡_一。不_レ應_三無_レ益常住_二
世界_一。本期_三度_レ生求_二佛果_一故《割書:云云》。
問。無盡意菩薩爲_二大悲闡提_一。爲當如何。 若闡提菩薩者。
見_二有經說_一。此菩薩是東方不眴世界 ̄ノ普賢如來 ̄ノ一生補
處大士也《割書:云云》。旣是補處菩薩。定可_レ有_二當作佛義_一。況玄贊
釋_二此菩薩名_一。引無垢稱經 ̄ノ難得佛道轉於法輪 ̄ノ文_一。而
玄贊下文。雖得佛道者。果位成道《割書:ト見タリ》。准_レ之非_二大悲
闡提菩薩_一也。若依_レ《割書:考【四角で囲む】依一|本作由》之如_レ此《割書:考【四角で囲む】如此二字|一本作爾》者。○經說_二此
菩薩願_一云。衆生未_レ盡。菩薩願未_レ盡《割書:云云》。豈非■【闡ヵ】提願_一
哉。
會云。無盡意者。闡提菩薩也。贊引_二阿差末經_一。述_二無盡意
名_一云。衆生界盡。菩薩之○意乃盡。衆生未_レ盡。菩薩之意
無_レ盡《割書:云云》。十地經中。以_二 十無盡句_一。成_二諸大願_一。是皆闡提
相也。普賢文殊觀音淨名等。皆雖_レ有_二闡提願_一。過去未來
成_二正覺_一。何獨疑_二不眴世界補處_一乎。
現代語訳
【右頁】
生の煩悩・業・苦に尽きる期がない。どうして皆発心修行して、悉く寂滅に帰すことができようか。聖教の中では多くこのことを許さない。華厳普賢行願品等の説のようにである。もし種性があることによって、遂に尽きることができるなら、無始以来、既に無辺劫以前を経ているのに、何故滅尽しないのか。しかし理によって責められるとしても、実には逃れ難いとしても、尽きることと尽きないことは共に道理である。
二つの理の中で、尽きないことを実とする。諸法の功能は、本来具わっているとはいえ、もし違緣があれば必ずしも顕現しない。能を談じて実を指すのは、多くこのようなものである。かの如来の智慧は、諸法を遍く縁とする。須らく横に十方を盡くし、竪に三世を窮めるべきである。もしそれを許すなら、何処を世界の極とし、何時を衆生の始めとするのか。その至極を知らない者を、何故正遍知と称するのか。しかしながら無始無辺を仏もまた許すのである。このような疑難は、凡智では未だ決しない。この中で凡夫は本来迷っているからである。
設い無始であっても、諸仏は各々発心の師がある。前後相継いで、何故その最初仏がないのか。それが既に無始なら、これに何故終わりがあろうか。一々の有性は果を得ることを須うとはいえ、縁もなく願もなく自然に流転する。これもまた法爾の道理である。次に仏地論の文は、且つ有性に付いて仮に尽期を許して解するのである。殊に無性を挙げて窮まりのないことを顕そうとする。与奪の意は、多くこのようなものである。枢要は二つの故を以て大悲闡提不成仏の義を成す。それに準じて知ることができる。畢竟無性は、仏の出世に聞かず見ず。そうであるなら、最後仏の化身すら所化がない。況んや報身においてをや。無数の仏土が悉く皆滅尽し、世界が空虚になるというのは、何時を指すのか。
【下段】
玄賛に云う。「無尽意とは、阿差末経に説く。六度四摂等の種々の行を行じ、誓って衆生を度す。衆生界が尽きれば、菩薩の意も乃ち尽きる。衆生が未だ尽きなければ、菩薩の意に尽きることがない。故に無尽意と名づく。十地経中には、十の無尽句を以て諸の大願を成す。一に一切衆生界尽、二に世界尽、三に虚空界尽、四に法界尽、五に涅槃界尽、六に仏出世界尽、七に如来智界尽、八に心所縁界尽、九に仏境界智入界尽、十に世界転法輪智転界尽である。且つ衆生界が尽きれば我が願も乃ち尽きるというように。このように衆生界が尽きなければ、我が願もまた尽きない。乃至第九の仏智が一切境界に証入することが都て尽き、第十の法輪を転じ、智が諸法を転ずることが尽きても、我が願もまた尽きない。無垢称経に云う『仏道を得て法輪を転ずといえども、而も菩薩の道を捨てない。これを菩薩行と名づく』と。故にこの菩薩を無尽意と名づく。諸の菩薩の願行は皆同じといえども、諸号に殊があるのは、願が各々別だからである」と。
仏地論二に云う。「受用変化の二身の功徳は、性が無常といえども、断尽がない故に、故に尽きることなく究竟である。一切如来は、本より弘願を発して有情の為に大菩提を求める。もし諸の有情が、尽く滅度を得るなら、爾の時諸仏の有為功徳は、何故断滅しないのか。諸の有情界には、一切が尽く滅度する時がない。故に仏功徳に断滅がない。その理由は何か。法爾によって、無始時来、一切有情に五種性がある。一に声聞種性、二に独覚種性、三に如来種性、四に不定種性、五に無有出世」
【左頁】
功徳種性である。他の経論のように、広くその相を説き分別建立する。前の四種性は、時限がないといえども、然し畢竟して滅度を得る期がある。諸仏の慈悲巧方便の故である。第五種性は出世功徳の因がない故に、畢竟して滅度を得る期がない。諸仏はただ彼の為に方便して神通を示現し、悪趣を離れ善趣に生ずる法を説くことができるのみである。彼は教えに依って善因を修することを勧められ、人趣乃至非想非非想処に生ずることを得るといえども、必ず還って退下して諸の悪趣に堕ちる。諸仏の方便として、復た為に神通を現じ説法教化する。彼は復た善を修して善趣に生ずることを得る。彼は還って退堕して諸の苦悩を受ける。諸仏の方便として復た更に抜済する。このように展転して、未来際を窮めても、その畢竟滅度を能わしめることができない。他の諸経中で一切有情の類は皆仏性があり、皆当に作仏すべしと演説するといえども、然し真如法身仏性について、或いは少分の一切有情に方便して而も説くのである。不定種性の有情をして、決定して速やかに無上正等菩提を証せしめる為の故である。この道理によって、諸仏が有情を利楽する功徳に断尽がない。この利他徳等」と。
同論三に云う。「この法界によって一切有情の心相続中に平等に有る故に、このような言を説く。一切有情は如来蔵である。一切有情は皆仏性がある。不定種性有情を引いて、心をして決定して大乗に趣かしめる為の故である。如来種性がある有情について、このような言を説く。一切有情は皆当に作仏すべしと。『一切は無常』『一切は皆苦』と言うようなものである。このように皆少分の一切を説くのであって、全一切ではない。もしそうでなければ」
【下段】
便ち所説の五種性に違し、諸仏の功徳に応当に尽きることがあるべきである。度すべき所がない故である。則ち所説に違する。如来の功徳は、常に断尽がない。益なく世界に常住すべきでない。本より生を度し仏果を求めることを期するからである」と。
問:無尽意菩薩は大悲闡提か。或いはどうか。もし闡提菩薩であるなら、経説を見るに、この菩薩は東方不眴世界の普賢如来の一生補処大士であるとある。既に補処菩薩であるなら、定んで当に作仏の義があるべきである。況んや玄賛がこの菩薩の名を釈して、無垢称経の「仏道を得て法輪を転ずといえども」の文を引く。而も玄賛の下文で「仏道を得るといえども」とは、果位の成道と見える。これに准ずれば大悲闡提菩薩ではない。もしこれに依ってこのようであるなら、経がこの菩薩の願を説いて「衆生が未だ尽きなければ、菩薩の願が未だ尽きない」と云う。豈に闡提の願ではないか。
答える:無尽意は、闡提菩薩である。賛が阿差末経を引いて、無尽意の名を述べて云う「衆生界が尽きれば、菩薩の意も乃ち尽きる。衆生が未だ尽きなければ、菩薩の意に尽きることがない」と。十地経中に、十無尽句を以て諸の大願を成す。これは皆闡提の相である。普賢・文殊・観音・浄名等は、皆闡提の願があるといえども、過去未来に正覚を成ずる。何故独り不眴世界の補処を疑うのか。