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【本文二段構成】
【右頁】
【枠外右上】
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【枠外右横上】
明要鈔第四
【枠外右横下】
四二
【上段】
勝論宗義惣不_二究竟_一云歟。若又成_二作大有緣性意許_一。
非實言未了也云歟。若又付_二有性非實一量_一。勘_二有法
自相_一未了也。勘_二有法差別_一。知_二彼宗_一究竟也云歟。
私云。仙人對_二弟子_一。欲_レ成_二自宗_一。若唯立_二非實量_一者。顯_二
自宗義_一可_レ未_二究竟_一。《割書:爲言》。 問。以_二非實量_一。成_二有性離
實大有性_一。大有名體能顯。勝論宗義悉窮。何云_レ不_二究
竟_一哉。加之。作有緣性量。自_レ義傳僅顯_レ體。難_レ及_二前
量_一。何剩如_レ此云哉。 答。前意許未_レ顯_二其體_一。後意許
大有指_二名體_一。有緣性顯_二有體_一。前意許上更兼_二有體之
義_一。故燈抄云。亦容無體不能定立大有是有《割書:等文》。又
案。今云_二未了_一者。不_レ云_三勝論宗義不_二究竟_一付_レ成_二作大
有緣性意許_一。非實言未了也。以_二作有緣性言_一。能顯_二彼
意許_一《割書:爲言》。
又案。付_二有法差別作法_一。言陳意許相對。非實言未了
也。以_二作大有緣性意許_一爲_二究竟_一《割書:爲言》。此付_二本作法_一所_二
料簡_一也。
已上三義。對_二子嶋御意_一。同異可_レ思_レ之。但子嶋記
【下段】
立理之中。勝論俱義未_二究竟_一云事不_レ見歟。以_レ彼推_レ
之。第二義無_レ過歟。
斷云。
今云。見_二此問答_一。以_二加言量_一。名_二有法差別_一。有_二 二義_一
之中。初義者。以_二後量_一望_二前量_一立_二有法名_一。後義者。直
此量處。亦有_下可_レ名_二有法_一之義_上《割書:爲言》。
問。初義者。釋_二不加言量_一也。不_三後量望_レ前猶名_二有法_一。
若不_レ爾斷中豈不_レ明_二前作法_一耶。 答。斷旣付_二作有
緣性量_一起_レ問。其答文尤付_二所問_一。可_レ答_二加言量有法
義_一。又望字其意分明也。但斷雖_レ不_レ釋_二前量事_一。明_二後
量源_一之中。前量爲_二有法差別_一之旨顯歟。
○子嶋御傳。作有緣性量有法。有_二意許_一哉否。
《割書:考【※】一本傍註云存》
今云。後量有法可_レ有_二 二等意許_一。立者爲_レ成_二有性作大有
緣性_一。所_三別擧_二有法_一之時。豈不_レ思_二此有性作大有緣性
也 ̄ト_一。何況前量有法帶_二 二等_一義。上綱自許_レ之。至_二後量_一
何可_レ廢_レ之哉。若有法無_二意許_一者。何爲_二有法差別作法_一。然
成法意成有法者。成_二何物_一耶。故知。前量《割書:考【※】觀應本裏|校云後量歟》
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【枠外左横上】
明要鈔第四
【枠外左横下】
四三
【上段】
有法必可_レ有_二意許_一也。 問。一箇量中。二處置_二同意許_一。
甚不_レ應_二道理_一。違三違四量不_レ例。彼者有法意許。與_二能
別意許_一。其相異故。此者同作大有緣性作非大有緣性差
別也。若在_二有法_一者。何再安_二法宗_一。若能別言陳。帶_二作有
作非_一之義顯者。可_レ謂限_二能別_一。可_レ非_二有法意許_一。 答。有
性與_二有緣性_一。一法體與_レ義也。所別時任_二本意_一雖_レ帶_レ之。
能別詳云_二作有緣性_一。不_レ可_レ不_レ帶。如_レ此二處。重疊擧_二同
義_一之量。其例甚難_レ有。故二等亙_二 二處_一之例。又難_レ有。何
强疑_レ之哉。
問。前在_二所別_一。後下_二能別_一歟。將一時在_二 二處_一歟。 答。一
時在也。具如_二有法自相所立法中記_一_レ之。
或可_レ云。此量偏能別下有_二意許_一。隨_レ勝可_レ論_二所在_一故。但
以_二能別_一成_二有法_一。有法自爲_二作大有緣性_一。若以_二能違_一破_レ
之。又爲_二作非有緣性_一。未_二必所違時二等意許 ̄トシテ有_一_レ之。
問。若爾前後二時不同歟。若爾者前旣無_二意許_一。後何始
出來耶。 答。有法若決定不_レ應_二作有作非_一者。設雖_レ成_二
能別_一。其爭留_二能別_一。可_レ不_レ成_二有法_一。而有性本可_レ爲_二
【下段】
有緣性_一故。能別成畢之時。還見_二有法_一。作大有緣性物
也 ̄ケリト被_レ知也。猶如_二隱顯義_一。若夫於_二如_レ此義_一。强難不_レ許_レ
之者。於_二差別相違_一。作_二能違_一時。如何言陳下。始破_二樂爲_一。
替_二-處不樂爲 ̄ヲ_一耶。
問。此例猶不_レ例。彼本有_二 二等_一之時。意先樂爲在_二 一邊_一。
爲_レ之引_二因喩_一。敵者作_二能違_一之時。彼本有_二 二等_一之中。不
樂爲邊能被_二成立_一。成立之時。不_二始出來_一。云_二替處_一者。能
違有法也。不_二所違中前後差別_一。 答。二等意許自_レ本雖_二
相竝_一。其言陳實所_レ目之體。前後有_レ異。本量時。立者以_二
眞他用_一爲_二他言所目_一。言陳自雖_レ似_レ亙_二假他_一。意中竊差_二【一点無】-
別此 ̄ノ他 ̄ハ者眞他 ̄ナリ也不_二 ̄スト假他_一 ̄ニハ之故也。而敵者作_二能
違_一之時。以_二因喩力_一。令_三彼 ̄ノ他 ̄ノ體 ̄ヲ卽爲_二假他 ̄ト_一。一言陳
雖_レ不_レ改。前後所_レ目旣異也。前後雖_レ異。不_二 一向改反_一。自_レ
本彼言陳宜_レ如_レ此之故也。今量又爾。有性本或可_二作大
有緣性_一。或可_二作非大有緣性_一。而能別言陳。分明帶_二其意
許_一故。雖_レ不_レ名_二正有法意許_一。義之所_レ至。不_レ可_レ遮_レ之。以_二
不可言量_一。爲_レ例。不_レ可_二偏奪_一故也。 問。前唯成_二有緣性_一。
【※ 「考」は四角囲み文字】
現代語訳
【本文二段構成】
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四二
【上段】
勝論宗の義は総じて究竟しないということか。もしまた作大有縁性の意許を成ずれば、非実の言が未了であるということか。もしまた有性非実の一量について、有法自相を勘ずるのが未了であり、有法差別を勘じて、彼の宗を知ることが究竟であるということか。
私に云う。仙人が弟子に対して、自宗を成じようと欲する。もし唯非実量のみを立てるなら、自宗の義を顕すことが究竟でないであろう《という意味》。問う。非実量をもって、有性は実を離れた大有性を成ずる。大有の名体が能く顕れる。勝論宗義は悉く窮まる。何故究竟でないと云うのか。加えて、作有縁性量は、自義の伝では僅かに体を顕すのみで、前量に及び難い。何故剰えてこのように云うのか。答える。前の意許は未だその体を顕さない。後の意許は大有が名体を指す。有縁性は有の体を顕す。前の意許の上に更に有体の義を兼ねる。故に燈抄に云う。「また体が無いことも容れられ、大有は有であると定立することができない《等の文》」。また案ずる。今「未了」と云うのは、勝論宗義が究竟しないと云うのではなく、作大有縁性の意許を成ずることについて、非実の言が未了であるということである。作有縁性の言をもって、能くその意許を顕す《という意味》。
また案ずる。有法差別の作法について、言陳と意許が相対して、非実の言が未了であり、作大有縁性の意許をもって究竟とする《という意味》。これは本作法について料簡するところである。
已上の三義について、子嶋の御意に対して、同異を思うべきである。ただし子嶋記
【下段】
の立理の中で、勝論の俱義が究竟でないということは見えないであろうか。それをもって推すに、第二義に過はないであろうか。
断に云う。
今云う。この問答を見るに、加言量をもって、有法差別と名づけることに、二義がある。その中で初義は、後量をもって前量に望んで有法の名を立てる。後義は、直接この量の処で、また有法と名づけるべき義がある《という意味》。
問う。初義は、不加言量を釈するのである。後量が前に望んでなお有法と名づけるのではない。もしそうでなければ、断中にどうして前の作法を明かさないのか。答える。断は既に作有縁性量について問いを起こしている。その答文はもっとも問われたことについて、加言量の有法の義を答えるべきである。また「望」の字の意は分明である。ただし断は前量のことを釈さないといえども、後量の源を明かす中で、前量を有法差別とする旨が顕れるであろうか。
○子嶋の御伝で、作有縁性量の有法に、意許があるかどうか。
《考【※】一本の傍註に云う「存」》
今云う。後量の有法には二等の意許があるべきである。立者が有性の作大有縁性を成じようとして、別に有法を挙げる時に、どうしてこの有性は作大有縁性であると思わないことがあろうか。何況んや前量の有法が二等を帯びる義を、上綱が自ら許している。後量に至って何故これを廃すことができようか。もし有法に意許が無いなら、何を有法差別の作法とするのか。然るに能別を成じて有法を成ずるというが、何物を成ずるのか。故に知る。前量《考【※】観応本の裏に|校して云う「後量か」》
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四三
【上段】
の有法には必ず意許があるべきである。問う。一つの量の中で、二箇所に同じ意許を置くのは、甚だ道理に応じない。違三違四量は例にならない。それは有法の意許と能別の意許とで、その相が異なるからである。これは同じ作大有縁性と作非大有縁性の差別である。もし有法にあるなら、何故再び法宗を安んずるのか。もし能別の言陳が、作有・作非の義を帯びて顕れるなら、能別に限ると謂うべきで、有法の意許ではないはずである。答える。有性と有縁性は、一法の体と義である。所別の時は本意に任せてこれを帯びるといえども、能別で詳しく作有縁性と云うのであれば、帯びないわけにはいかない。このように二箇所で重ねて同じ義を挙げる量は、その例は甚だ有り難い。故に二等が二箇所に亙る例もまた有り難い。何故強いてこれを疑うのか。
問う。前には所別にあり、後には能別に下るのか。将た一時に二箇所にあるのか。答える。一時にあるのである。有法自相所立法中に記すが如く具わっている。
或いは云うべし。この量は偏に能別の下に意許があり、勝に随って所在を論ずべきだからである。ただし能別をもって有法を成ずる。有法自らが作大有縁性となる。もし能違をもってこれを破れば、また作非有縁性となる。未だ必ずしも所違の時に二等の意許として有るのではない。
問う。もしそうなら前後の二時は同じでないのか。もしそうなら前には既に意許が無いのに、後に何故始めて出来するのか。答える。有法がもし決定して作有・作非に応じないなら、設い能別を成ずるといえども、その争いは能別に留まり、有法を成じないであろう。しかるに有性は本来有
【下段】
縁性となることができるから、能別が成じ畢った時、還って有法を見ると、作大有縁性の物であったと知られるのである。猶お隠顕の義の如くである。もしそれこのような義について、強いて難じてこれを許さない者があるなら、差別相違について、能違を作る時、如何にして言陳の下で、始めて楽為を破って、不楽為に替え処するのか。
問う。この例はなお例にならない。彼は本来二等がある時、意は先に楽為が一辺にあり、これのために因喩を引く。敵者が能違を作る時、彼の本来二等がある中で、不楽為の辺が能く成立せられる。成立の時、始めて出来するのではない。「替処」と云うのは、能違の有法である。所違中の前後の差別ではない。答える。二等の意許は自ら本より相並ぶといえども、その言陳が実に目するところの体は、前後に異がある。本量の時、立者は真他用をもって他言の目するところとする。言陳自らは假他に亙るように似るといえども、意中で窃かにこの他は真他であって假他ではないと差別するからである。しかるに敵者が能違を作る時、因喩の力をもって、彼の他の体をして即ち假他とならしめる。一つの言陳は改めないといえども、前後の目するところは既に異なる。前後は異なるといえども、一向に改反するのではない。自ら本よりその言陳はこのようであるべきだからである。今の量もまたそうである。有性は本来或いは作大有縁性となることができ、或いは作非大有縁性となることができる。しかるに能別の言陳が、分明にその意許を帯びるから、正しく有法の意許と名づけないといえども、義の至るところ、これを遮ることはできない。不可言量を例とするように、偏に奪うべきではないからである。問う。前は唯有縁性を成ずるのみで、