翻刻
【右丁】
公可申上候相残御知行藤太郎ニ不足ニも
不被 思召候而様被 仰出候上重而
何様之義申上候とも理外之義
思召候間一切御取上被遊間敷由被
仰出候事
一 同九《割書:酉》年四月
鳳翔院様御家替被為成 御帰城被
遊候為御祝儀諸家ゟ御使者参候節加須屋
左近中沢六右衛門一同御使者衆送迎且
御城ニ而料理被下候御使者取持相伴
【左丁】
被 仰付候事
一 同十《割書:戌》年十月 御参府ニ付三ノ
御丸へ相詰御留主居仕候事
一 同十二《割書:子》年九月 御来府ニ付三ノ
御丸へ相詰御留主居仕候事
一 同年十二月十八日
土津様御逝去被遊
御尊骸御下ニ付為御迎三代村罷越
御着之日ゟ御側衆同様三ノ御丸御番猪
苗代御移迄相勤御小祥忌御大祥忌之
現代語訳
【右丁】
公に申し上げるべきである。残りの御知行は藤太郎には不足とも思われないような内容で仰せ出され、その上で重ねてどのような事を申し上げても理に外れた事と思われるので、一切お取り上げになることはないと仰せ出された。
同九(酉)年四月
鳳翔院様が御家督交代をされて御帰城された時の御祝儀のため、諸家から御使者が参上した際、加須屋左近と中沢六右衛門が一緒に御使者衆の送迎、および御城での料理を下賜された御使者の取り持ち相伴を仰せ付けられた。
【左丁】
同十(戌)年十月 御参府につき三の御丸へ詰めて御留守居を務めた。
同十二(子)年九月 御来府につき三の御丸へ詰めて御留守居を務めた。
同年十二月十八日
土津様が御逝去され、御遺体の御下向につき御迎えのため三代村へ赴き、御着の日から御側衆同様に三の御丸御番を猪苗代御移転まで相勤め、御小祥忌・御大祥忌の