翻刻
【右丁】
及差図候ニ付為御褒美采配一柄被下置
候事
一 同年十二月 御入内ニ付御祝儀
御使被 仰付京都江罷登翌寅二
月罷下候事
一 文政元《割書:寅》年十二月
殿様御引移以来御徒共去十一月中迄
御参詣御出世始御供相勤候ニ付而は臨
時之取計共有之勤身致候ニ付従
御同人様御酒被下置候事
【左丁】
一 同年十二月三ノ丸教場稽古之儀不
時御徒勤之者共列伍足並等相揃当年上
等江相進候段精出及差図候儀与被
思召之候旨被 仰出候事
一 同二《割書:卯》年四月八日五拾三歳ニ而病死法
名後徳院玄道日達導師法紹山浄
光寺葬所境内菩提山
養女《割書:十重| 明和四亥年四月廿三日誕生》養子伊右衛門景昶妻
現代語訳
【右丁】
指図したことにより、御褒美として采配一柄を下賜された。
一 同年十二月、御入内につき御祝儀の御使を仰せ付けられ京都へ出向き、翌寅二月に帰国した。
一 文政元(寅)年十二月、殿様の御引移以来、御徒共が去る十一月中まで御参詣・御出世始めのお供を勤めたことについて、臨時の取り計らいもあって勤身したことにより、御同人様より御酒を下賜された。
【左丁】
一 同年十二月、三ノ丸教場稽古について、不時御徒勤の者共の列伍足並み等が揃い、当年上等に進歩した段について、精出して指図した功績であると思し召される旨をお言葉いただいた。
一 同二(卯)年四月八日、五十三歳にて病死。法名は後徳院玄道日達、導師法紹山浄光寺、葬所は境内菩提山。
養女(十重、明和四亥年四月二十三日誕生)は養子伊右衛門景昶の妻となった。