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コレクション: 諸士系譜

諸士系譜 巻之27 い之部27 - 翻刻

諸士系譜 巻之27 い之部27 - ページ 18

ページ: 18

翻刻

 仰付家督御知行百石無御相違被下置  外様組付被 仰付山崎左助組ニ而  御城御番相勤候事 一寛政元酉年六月簗瀬大作二男  吉次郎聟養子ニ仕度旨被任願候事 一同年十月頭山崎左助御役被  召放候ニ付跡御役梶原左門組ニ罷成候事 一同五丑年九月追鳥狩ニ罷出候   但此後壱度罷出候事 一同六寅年四月去秋追鳥狩之節  足並列伍之次第宜相揃兼而内稽古  等出精致候故之儀と被 思召候旨相組  一同御称被成下候   但此後御称美被成下候事 一同八辰年二月病気ニ付願之通悴孝蔵  御番代被 仰付候事 一享和四卯年四月廿日五拾六歳ニ而  病死法名見樹院宝岩石/穴(マヽ)玄居士  葬所同上

現代語訳

仰せ付けられ、家督御知行百石相違なく下し置かれ、外様組付を仰せ付けられ、山崎左助組にて御城御番相勤めた事 一、寛政元酉年六月、簗瀬大作の二男吉次郎を聟養子にしたい旨、願いの通りに任せられた事 一、同年十月、頭山崎左助が御役を召し放たれたに付き、跡御役として梶原左門組に属することとなった事 一、同五丑年九月、追鳥狩に参加した   但し、この後一度参加した事 一、同六寅年四月、去秋の追鳥狩の節、足並み列伍の次第がよく相揃い、兼ねてより内稽古等出精していた故の儀と思し召される旨、相組一同が御称美を成し下された   但し、この後も御称美を成し下された事 一、同八辰年二月、病気に付き願いの通り、悴孝蔵が御番代を仰せ付けられた事 一、享和四卯年四月二十日、五十六歳にて病死、法名見樹院宝岩石穴玄居士、葬所は同上