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入て腹(はら)搔切(かききつ)て失(うせ)にける邦胤(くにたね)の息男(そくなん)千霍丸(せんくわくまる)僅(わつか)に六歳の義(き)なれは譜第(ふだい)
の家人等(かにんら)相議(あいき)して先(まつ)もつて南方(なんほう)へ注進(ちうしん)し氏政(うしまさ)父子(ふし)へ伺(うかゝ)ひけれは千葉(ちは)《割書:治乱記|千葉城》
《割書:は小田原|より持つ》佐倉(さくら)は敵地(てきち)にはさまり要枢(えうすう)の所(ところ)なりとて臼井(うすゐ)の城主(じやうしゆ)原(はら)式部(しきふ) ̄ノ少輔
胤成(たねなり)を佐倉(さくら)に移(うつ)し入(い)れて軍代(くんたい)に定(さた)め千鶴丸(せんくわくまる)【隺は鶴の俗字】をは小田原(をたはら)に招(まねき)て家臣(かしん)とも
の人質(ひとしち)とぞせられける後(のち)に新助(しんすけ)重胤(しげたね)と号(かう)せしは是(これ)なり老臣(ろうしん)設楽(したら)左衛
門尉 相従(あいしたかつ)て南方へ趣(おもむき)介輔(かいほ)してこそ居(ゐ)たりけれ千鶴丸の姉(あね)十二歳にて有(あり)
しを是(これ)も氏直(うしなほ)の下知(げち)として其年(そのとし)の十一月 総州(さうしう)加島(かしま)《割書:△加島は鹿島山のこと也| 今の佐倉城の地なり》と云
処に新(あらた)なる屋形(やかた)を補(こしらへ)移(うつ)されてけり中村雅楽(なかむらうた) ̄ノ介(すけ)介佐(かいさ)の臣(しん)と成(なつ)て養育(よういく)の功(こう)
をこそ励(はけ)みける云々 千葉家(ちはけ)に於て四老(しろう)といへるは原(はら)《割書:•》円城寺(えんじやうし)《割書:•》《割書:印播郡城村に円城寺|と云寺あり是千葉家の》
《割書:建るとこ|ろと云》木内(きのうち)《割書:•》鏑木(かふらき)《割書:•》これなり円城寺は武州(ふしう)石浜(いしま)の千葉(ちは)に属(ぞく)して総州(さうしう)を離散(りさん)
し其後(そのゝち)は三家老(さんかろう)となれり中(なか)にも原式部 ̄ノ少輔は元(もと)是(これ)当家(たうけ)の一族(いちそく)にて小金(こかね)
の高城(たかき)源二郎 胤則(たねのり)《割書:•》土気(とけ)の酒井 伯耆守(はうきのかみ)康治(やまはる)《割書:•》東金(とうかね)の酒井左衛門 ̄ノ佐 重政(しけまさ)
現代語訳
林に入って腹を掻き切って死んでしまった。邦胤の息子千鶴丸はわずか六歳であったので、譜代の家臣たちが相談して、まずは南方(小田原)へ注進し、氏政父子に伺いを立てたところ、千葉・佐倉は敵地に挟まれた要所であるとして、臼井の城主原式部少輔胤成を佐倉に移して軍代に定め、千鶴丸は小田原に招いて家臣たちとともに人質とされた。後に新助重胤と号したのがこの人である。老臣設楽左衛門尉が付き従って南方へ赴き、補佐していた。千鶴丸の姉は十二歳であったが、これも氏直の下知によってその年の十一月、総州加島という所に新しい屋形を建てて移された。中村雅楽介が介佐の臣となって養育に励んだということである。千葉家において四老と言われるのは原、円城寺、木内、鏑木である。円城寺は武州石浜の千葉に属して総州を離散し、その後は三家老となった。中でも原式部少輔は元々この当家の一族で、小金の高城源二郎胤則、土気の酒井伯耆守康治、東金の酒井左衛門佐重政
英語訳
[Kamata] entered the forest, disemboweled himself, and died. Since Kunitane's son Senkakumaru was only six years old, the hereditary retainers consulted together and first sent word south [to Odawara] to seek guidance from Ujimasa and his son. [They responded that] since Chiba and Sakura were strategic locations sandwiched between enemy territory, Hara Shikibu-no-shosuke Tanenari, lord of Usui Castle, was transferred to Sakura and appointed as military deputy, while Senkakumaru was summoned to Odawara as a hostage along with his retainers. This person later took the name Shinsuke Shigetane. The senior retainer Shitara Saemon-no-jo accompanied him south to serve as his aide. Senkakumaru's twelve-year-old sister was also, by order of Ujinao, moved in the eleventh month of that year to a newly built mansion at a place called Kashima in Soshu. Nakamura Utano-suke became her guardian and devoted himself to her upbringing. The Four Elders of the Chiba house were Hara, Enjoji, Kinouchi, and Kaburaki. Enjoji belonged to the Chiba of Ishihama in Mushu province and scattered from Soshu, after which there were Three Elders. Among them, Hara Shikibu-no-shosuke was originally a member of this house's clan, along with Takagi Genjiro Tanenori of Kogane, Sakai Hoki-no-kami Yasuharu of Toke, and Sakai Saemon-no-sa Shigemasa of Togane.