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コレクション: コレクション6

BnF. Département des Manuscrits. Japonais 376 - 翻刻

BnF. Département des Manuscrits. Japonais 376 - ページ 25

ページ: 25

翻刻

 三郎等を御旗本に召出(めしいた)され汝曹(なんちら)か本主(ほんしゆ)千葉家(ちばけ)には正統(しやうとう)の子孫(しそん)はなきか  と御 尋(たつね)ありしに海上押田 思案(しあん)を巡(めく)らし先年邦胤の家人(けにん)土方へ主用(しゆよう)これあ  り登(のほ)りける時 大神君の御使者(おんししや)上洛(しやうらく)せるとて途中(とちう)にて出会(しゆつくわい)口論(こうろん)して千  葉家人 以(もつて)の外(ほか)狼藉(らうせき)したりし事ありしか故(ゆへ)若又(もしまた)この義(き)を思召(おほしめし)出(いた)され御遺恨(ごいこん)  を果(はた)さるべき御存念(ごそんねん)にもやと心得(こゝろえ)違(たが)ふて邦胤(くにたね)若年(しやくねん)横死(わうし)に付(つい)て令嗣(れいし)なし  女子一人北條 氏康(うしやす)の息女(そくじよ)の腹(はら)にこれあるよし達聴(たつてい)しけれはさしもの豪家(かうか)  断絶(だんぜつ)の事(こと)不便(ふびん)の義(き)なりと仰(おほせ)られ件(くたん)の女子に扶助料(ふしよりやう)を下(くた)し賜(たまは)り重胤(しけたね)は  長(なか)く浪窂(ろう〳〵)したりける是(これ)併(しかし)押田海上か邪心(じやしん)に賢慮(けんりよ)を挹(はか)りて申なせしに  拠(よ)るところ也 良(まこと)に忠(ちう)の不忠(ふちう)となりし気数(きすう)の命(めい)こそ墓(はか)なけれ《割書:或云東金は左エ|門 ̄ノ尉政 辰(とき)也秩父》  《割書:の流(りう)にあらす家系遠江より出るとあれと大草紙の浜野 春利(はるとし)の後と見えたり|土気(とき)東金の先祖とあり○家系に重光なし政辰か子は金三郎政成といふ》 ○新編鎌倉志《割書:巻|五》ニ千葉屋敷(チバヤシキ)ハ天狗堂(テングドウ)ノ東ノ畠(ハタケ)ヲ云相 ̄ヒ伝 ̄フ千葉 ̄ノ介 常胤(ツネタネ)ガ  旧-宅ナリ 東鑑ニ阿静房安念 司馬(シバ)ノ甘縄(アマナハ)ノ家ニ向 ̄フ ト云ハ是ナリ司馬(シバ)

現代語訳

三郎等を御旗本に召し出され、「汝らの本主である千葉家には正統の子孫はいないのか」と御尋ねがあった。海上・押田は思案を巡らし、先年邦胤の家人土方に主用があって上洛した時、大神君の御使者が上洛するというので途中で出会い口論して、千葉家人がひどく狼藉を働いたことがあった。そのため、もしまたこの件を思い出されて御遺恨を晴らそうとお考えになるのではないかと勘違いして、「邦胤は若年で横死したため跡継ぎがなく、女子一人が北条氏康の息女の腹にいる」旨を報告した。すると「これほどの豪家が断絶するのは不憫なことだ」と仰せられ、その女子に扶助料を下し賜った。重胤は長く浪人していた。これはひとえに押田・海上の邪心が賢慮を誤らせて申し上げたことによるものである。まことに忠が不忠となった運命の皮肉というべきである。 《或る説によれば、東金は左衛門尉政辰のことで、秩父の流れではなく家系は遠江より出るとあるが、大草紙では浜野春利の後とみえる。土気・東金の先祖とある。家系に重光はなし。政辰の子は金三郎政成という》 ○『新編鎌倉志』巻五に「千葉屋敷は天狗堂の東の畠をいう。相い伝う、千葉介常胤の旧宅なり。『吾妻鏡』に『阿静房安念、司馬の甘縄の家に向かう』というのはこれである。司馬