翻刻
国に遣し琉球を招諭せしかとえ猶従わされは
詮方なくは布甲を掠め取りて辺帰りける
是より先き天皇十四年の秋七月大礼小野臣妹
子《割書:隋ニ在リテハ蘇因|高ト称セシトシテ》を使とし鞍作福利を通事
として隋国に遣はされしか十六年の夏四月に
至り帰朝せしも同年秋九月再ひ小野を大使と
し吉士雄成を副へ鞍作を通事とし西人の帰る
に伴はしめて隋国にそ差遣わさしれぬ朱寛か布
甲を取りて還りたるも観て是れは邪久国人の
用ゐし物の具なりと申しとそ其後天皇十八
年の時に至り隋主は遂に武賁郎将陳稜、朝請大
夫張鎮州等を将とし崑崙軍人の琉語に通する
との及前きに擒はれて還りたる男《割書:已ニ西語|ニ通ス》な
とを合せて数万の兵を率ゐ軍船数多に乗せて
来り攻めたりけるか遂に従はさりてれは又男
女五百人《割書:中山世鑑ニ拠ル白石カ五事略ニハ五|千人トアリ又別設ニ福州廬山ニ隋ノ》
《割書:時琉球ノ五千戸ヲ掠|メ此ニ居クトアリ》を擒にして還る是より隋
復た来り侵す事なしとそ隋の此国を侵す事如
斯猛なれと遂に従はされし国なれとは本邦を
慕ふことは自然争ふへからさなものあり乃ち