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コレクション: 曲亭馬琴

鎭西八郎爲朝外傳椿説弓張月(前編) - 翻刻

鎭西八郎爲朝外傳椿説弓張月(前編) - ページ 12

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【右丁】  夫(らを)にも劣(おと)らず。久後(ゆくすゑ)いかなる事をかなさん。彼(かれ)はわが児(こ)ながらいと勇(ゆゝ)こしき  もの也とて。父為義(ちゝためよし)も生平(つね)に舌(した)を棹(ふるひ)て。驚嘆(きやうたん)し給ひけるとぞ。この時(とき)鳥羽(とば)  の上皇(じようくわう)《割書:諱(いみな)は|宗仁(むねひと)》は。いぬる保安(ほうあん)四年正月廿八日。宝算(おんとし)二十一にして御位(みくらゐ)を第一(だいいち)の  宮(みや)。顕仁王(あきひとおほきみ)に伝(つた)へ給へり。治承(ぢしよう)元年六月廿九日に追号(ついごう)ありて。崇徳院(しゆとくいん)と申す  は是(これ)なり。されど天下(あめがした)の政(まつりごと)は。大小となく院(いん)《割書:鳥羽(とば)|上皇》より制度(さた)し給ひつるが。保(ほう)  延(ゑん)五年十八日。美福門院(びふくもんいん)の御腹(おんはら)に。皇子《振り仮名:皇子|○わうじ|○みこ》《割書:諱(いみな)は躰仁(としひと)|近衛院(このゑのいん)是(これ)也》誕生(たんじよう)ありしかば。上皇(じようくわう)  殊(こと)に悦(よろこ)びおぼして。やがて東宮(とうぐう)にたてまいらせ。永治(ゑいぢ)三年十二月七日。御年(おんとし)僅(わづか)三  才にして。天子(てんし)の位(くらい)に即(つけ)まゐらせ。先帝(せんてい)《割書:崇徳(しゆとく)|院(いん)》をば新院(しんいん)とぞ申ける。これみな上(じよう)  皇(くわう)の御はからひより出たれば。新院(しんいん)《割書:崇(しゆ)|徳(とく)》も推辞(いろひ)給ひがたく。只(たゞ)御(み)こゝろの底(そこ)にいた  く恨(うら)みおぼして。御父子(ごふし)の中も眤(むつま)しからず。寔(まこと)に御心(みこゝろ)の外(ほか)に御位(みくらい)を去(さ)り給へば。  さこそと推量(おしはかり)まいらせながら。代謝世(うつればかわるよ)のならひにて。早晩(いつしか)新院(しんいん)の御かたへは。 【左丁】  参(まい)りさかふる人もなく。公卿(くぎやう)には宇治左大臣頼長公(うぢのさだいじんよりながこう)。少納言入道信西(しようなごんにうどうしんせい)なんど僅(わづか)に  五三 輩(はい)に過(すぎ)ず。武士(ぶし)には六条判官為義(ろくでうのはんぐわんためよし)父子(ふし)のみ。をり〳〵参(まい)り慰(なぐさ)め奉(たてまつ)りける。  しかるに有(ある)一日(ひ)。少納言信西(しようなごんしんせい)。新院(しんいん)の御所(ごしよ)に参(まい)りて。韓非子(かんひし)といふ書(ふみ)を読(よむ)よし。  その聞(きこ)えありしかば。為好朝臣(ためよしあそん)も聴聞(ちやうもん)の為(ため)に参(まい)り給ふ折(をり)しも。若殿(わかとの)ばらは。  かゝる事を聞おくにしかず。子ども多(おほ)かる中に。八郎はわきて心(こゝろ)勇(たけ)ければ。いまだ学(がく)  問(もん)をばようせずと覚(おほゆ)るぞ。御許(みゆるし)を蒙(かうむ)らで。召倶(めしぐ)したりとも。さまで御咎(おんとがめ)もある  まじきに。誘(いざ)給へと仰(おふ)すれば。為朝(ためとも)はこゝろえ侍(はべ)りと回答(いらへ)て。衣服(いひく)かい繕(つくろ)ひ。  従者(ともびと)などのごとく打扮(いでたち)て。彼御所(かのごしよ)に参(まい)り。御階(みはし)の下(もと)についゐて。遥(はるか)に信西(しんせい)の  説(とく)ところを聞(きゝ)給ひけり。抑(そも〳〵)少納言藤原道憲入道信西(しようなごんふぢわらのみちのりにうどうしんせい)は。山井三位永頼(やまのいさんいながより)  卿(きやう)八世(はつせ)の後胤(こういん)。越後守季綱(えちごのかみすゑつな)が孫(まこ)。《割書:一 説(せつ)に実範(さねのり)|が孫(まご)と云々》鳥羽院御宇(とばのいんのぎよう)。進士蔵人実兼(しんしくらんどさねかね)が子(こ)  にて。南家(なんけ)の儒流(じゆりう)たりといへども。高階氏(たかはしうぢ)の養子(ようし)となりしを以(もて)。儒官(じゆくわん)に昇(のぼら)ず