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梅園先生百花画譜跋 【朱落款】
花之為 ̄ル_レ愛詠 ̄シ_二於詩 ̄ニ_レ賦 ̄シ_二於律 ̄ニ_一有_下愛 ̄スル_二富貴 ̄ヲ_一者_上有_下愛 ̄スル_二_君子 ̄ヲ__一者_上
有_下愛 ̄スル_二隠逸 ̄ヲ_一者_上古今愛 ̄ノ之不 ̄ル_レ公 ̄ナラ特 ̄ ̄ニ愛_二 ̄メ一花_一 ̄ヲ而不_レ及_二 ̄ハ於他_一 ̄ニ
余所_レ ̄ノ視者不_二 一 ̄ニメ而足_一陸務観有_二牡冊 ̄ノ譜_一劅貢父有_二芍
薬 ̄ノ譜_一范石湖有_二 ̄ノ譜_一載凱之有_二竹 ̄ノ譜_一及 ̄ヒ趙時庚 ̄ノ蘭賦
王西楼 ̄ノ野菜 ̄ノ譜范石湖梅 ̄ノ譜甫 ̄ノ梅品陳思 ̄ノ海棠 ̄ノ譜
皆淫 ̄メ_二其 ̄ノ ̄ニ_レ好 ̄ム而不_レ公 ̄ナラ加 ̄ルニ_レ之花 ̄ノ之為 ̄ル_レ物或 ̄ハ破 ̄リ_二蕾 ̄ヲ於春 ̄ニ_一或
發 ̄シ_二葩 ̄ヲ於秋 ̄ニ_一或飄-_二散 ̄シ於巽二勝六 ̄ニ_一或 ̄ハ毀_二傷 ̄シ樵―夫牧―竪 ̄ニ_一其 ̄ノ
盛幾 ̄ハク時 ̄ノ矣可 ̄メ_三以為 ̄ス_二 一時 ̄ノ観 ̄ト_一而不_レ可 ̄フ_三以為 ̄ス_一 四時 ̄ノ之観 ̄ト_一夫 ̄レ
冊青 ̄ ̄ノ枝 ̄ヤ也錯-綜変化 ̄ノ之巧富-麗艶-妖使 ̄ム天-真 ̄ニ不 ̄ラ_三及 ̄ハ_二於
其 ̄ノ妙 ̄ニ_一故 ̄ニ寫 ̄メ_二富貴 ̄ヲ_一而有 ̄リ_下燦然可 ̄キ_上_レ説 ̄シム_二 人目 ̄ヲ_一者寫 ̄メ_二隠逸 ̄ヲ_一而有 ̄リ_下
婉然若 ̄キ_二織錦 ̄ノ_一者_上固 ̄ヨリ無 ̄メ_二風-雪樵牧之害_一而可 ̄キ_三以 ̄テ為 ̄ス_二 四時 ̄ノ
之観_一 ̄ト者非_二 ̄メ丹青 ̄ノ之妙_一 ̄ニ而何 ̄シカ有矣梅園先生掌 ̄テ著_二 ̄シ百花
画譜_一 ̄ヲ示_レ ̄メ余 ̄ニ曰古人 ̄ノ之愛_レ ̄スル花 ̄ヲ特 ̄ニ一花_一 ̄ヲ而不_レ及_二 ̄ハ於他_一 ̄ニ余
常 ̄ニ悪_二 ̄ム其愛 ̄ノ之不_一 ̄ルヲ公 ̄ナラ於_レ ̄テ是 ̄ニ写_二 ̄シ四時 ̄ノ之花_一 ̄ヲ以為_二 ̄シ四時 ̄ノ之観_一 ̄ト
以明_二 ̄ス余愛_レ ̄スルノ花 ̄ヲ之不_レ ̄ルヲ私 ̄ナヲ余喜 ̄テ而閲_レ ̄スル之梅 ̄ノ清臞 ̄ヤ也牡丹 ̄ノ之
富貴 ̄ヤ也蓮 ̄ノ之君子 ̄ヤ也菊 ̄ノ之隠逸 ̄ヤ也凡 ̄ソ四時之観_一者
無_下 ̄シ不_レ ̄ル備_二 ̄ハ於是 ̄ノ画譜_一 ̄ニ者変化 ̄ノ之巧錯綜 ̄ノ之妙実 ̄ニ奪_二 ̄ヒ天工_一 ̄ヲ
使_四 人 ̄ニ知_三 ̄ヲ其妙入_二 ̄ルヲ於神_一 ̄ニ嗚呼先生 ̄ノ之於_二 ̄ル是画譜 ̄ニ也花神
之霊使_三 ̄ルカ先生 ̄ニ有_二 ̄ラ是挙_一乎抑亦先生丹青 ̄ノ之妙黙_二契 ̄スルカ於
花神之意_一 ̄ニ乎先生 ̄ノ之意有_二 ̄リ与_レ余脃合 ̄スル者_一及_二 ̄フ其尤_一_レ ̄ニ跋 ̄ヲ也
不_レ可_レ ̄ラ得_レ辞 ̄スルニ遂 ̄ニ不_二 ̄メ捘拒_一 ̄セ而書_二於其尾_一 ̄ニ
現代語訳
梅園先生百花画譜の跋 【朱落款】
花が詩に愛でられ詠まれ、賦や律に詠まれるにあたって、富貴(牡丹)を愛する者あり、君子(蓮)を愛する者あり、隠逸(菊)を愛する者あり。古今を通じて、花への愛情が公平でなく、ただ一つの花のみを愛して他には及ばないことがある。
私が見るところ、一つに満足することなく、陸務観(陸游)には牡丹の譜があり、劉貢父には芍薬の譜があり、范石湖(范成大)には梅の譜があり、戴凱之には竹の譜がある。また趙時庚の蘭賦、王西楼の野菜の譜、范石湖の梅の譜、(林)甫の梅品、陳思の海棠の譜など、いずれもその好むものに溺れて公平ではない。
加えて言えば、花というものは、あるいは春に蕾を開き、あるいは秋に花を咲かせ、あるいは風雨に散り、あるいは樵夫や牧童によって傷つけられる。その盛りはいくばくの時ぞ。一時の観賞には足りても、四季を通じての観賞とはなし得ない。
ところが丹青(絵画)の技の巧みなることよ。変化の巧みさと富麗艶妖なる美しさは、まるで天の造化にも及ばぬほどの妙を持つ。ゆえに富貴を描けば燦然として人の目を説き伏せる美しさがあり、隠逸を描けば婉然として錦を織るがごとき美しさがある。もとより風雪や樵夫・牧童による害もなく、四季を通じての観賞に供し得るもの——これは丹青の妙によるのでなくして何によろうか。
梅園先生はかつて百花画譜を著して私に示し、こう言われた。「古人の花への愛は、ただ一種の花のみを愛して他には及ばなかった。私は常々その愛の公平でないことを憎んでいた。そこで四季の花を描いて四季の観賞に供し、もって私の花への愛が偏らぬことを明らかにしたのである。」
私は喜んでこれを閲覧した。梅の清らかな痩身よ、牡丹の富貴よ、蓮の君子たる姿よ、菊の隠逸よ——およそ四季の観賞に値するものは、この画譜に備わらないものはない。変化の巧みさ、錯綜の妙は、実に天工を奪うがごとく、人をして其の妙が神の域に入ることを知らしめる。
ああ、先生がこの画譜においてかくも成し遂げられたのは、花の神霊が先生をして此の挙あらしめたのであろうか。それとも先生の丹青の妙が、黙して花神の意に契合したのであろうか。先生の意は私と脃合(きざし合う)するところがあり、その跋を求められるに及んで、辞することを得ず、遂に固辞することなく、その末尾に書した次第である。