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翻刻
明暦三年正月十八日十九日江戸大火《割書:火元|》本郷 御本丸二之丸三之丸不残
炎上御腰物大小千五十一腰焼失江戸中死亡拾万余回向院造立
此時也京橋常盤橋浅草ニて施行松浦肥前守殿石川主殿頭殿
六郷伊賀守殿被仰付右大事ニ付類焼之旗本御家人へ金子被下候割
三両《割書:十俵|》 三両弐分《割書:十五俵|》 四両《割書:廿俵|》 四両弐分《割書:廿五俵|》 《割書:此間ニ五両之|割脱スルカ乗邨按》
六両《割書:四十俵|》 六両弐分《割書:四十五俵|》 九両《割書:七十俵|》 十両《割書:八十俵|》 十壱両《割書:九十俵|》
十一両弐分《割書:九十五俵|》 十五両 《割書:百石より|百四十石迄》 廿両 《割書:百五十石ゟ|百九十石迄》 百両 《割書:千石より|千四百石迄》
百五十両 《割書:千五百石ゟ|千九百石迄》 弐百両 《割書:弐千石ゟ|弐千四百石迄》 七百廿五両 《割書:九千五百石ゟ|八千九百石迄》
右割大概如此被下候右旗本衆子息親ニ懸り一所ニ被居候衆中へ右知
行之被下金三ケ一被下候由江戸町中へ金十五万両被下候由
〽同年九月隠元禅師下向天澤寺ニ寄宿
〽同年八月三日四日西国筋摂州大風雨京都同断洛中水入
〽同年十月安藤右京亮殿死去追腹之者七百石加茂下外記《割書:五十三|》
五百石牧野主殿《割書:廿七|》 百五十石水谷勘右衛門《割書:三十|》
〽同年高力摂津守殿死去追腹之者拾三人有之
〽同年三州鳳来寺御神領御加増御寄附本知七百四拾二石余
御加増四百五十七石余
〽同年萬随長兵衛と申浪人水野十兵衛殿へ参り慮外ニ及候由切殺
被申奉行所へ被立其通ニて相済候由右は其頃六方と申て男
伊達之者所々に有之長兵衛町六方の頭取いたし候者也
〽同年大友内蔵介殿被召出鎌倉時代之家ニ候処其已後中絶微々
ニて被居候此度 女院様御取持ニて被召出候
現代語訳
明暦三年正月十八日・十九日、江戸大火(火元は本郷)。御本丸・二之丸・三之丸が残らず炎上し、御腰物大小千五十一腰が焼失した。江戸中の死者は十万余人で、回向院が建立されたのはこの時である。この時、京橋・常盤橋・浅草にて施行が行われ、松浦肥前守殿・石川主殿頭殿・六郷伊賀守殿が仰せ付けられた。右の大事につき、類焼した旗本・御家人へ金子が下された。その割当は以下の通り:
三両(十俵)、三両二分(十五俵)、四両(二十俵)、四両二分(二十五俵)[この間に五両の割が脱するか、乗邨按]、六両(四十俵)、六両二分(四十五俵)、九両(七十俵)、十両(八十俵)、十一両(九十俵)、十一両二分(九十五俵)、十五両(百石より百四十石まで)、二十両(百五十石より百九十石まで)、百両(千石より千四百石まで)、百五十両(千五百石より千九百石まで)、二百両(二千石より二千四百石まで)、七百二十五両(九千五百石より八千九百石まで)
右の割は大概このように下された。右旗本衆の子息で親に係り一所に居る衆中へは、右知行の三分の一が下された由。江戸町中へは金十五万両が下された由。
同年九月、隠元禅師が下向し、天澤寺に寄宿した。
同年八月三日・四日、西国筋摂州に大風雨があり、京都も同様で洛中に水が入った。
同年十月、安藤右京亮殿が死去し、追腹した者は、七百石加茂下外記(五十三歳)、五百石牧野主殿(二十七歳)、百五十石水谷勘右衛門(三十歳)。
同年、高力摂津守殿が死去し、追腹した者は十三人あった。
同年、三州鳳来寺御神領に御加増・御寄付があり、本知七百四十二石余に御加増四百五十七石余。
同年、萬随長兵衛という浪人が水野十兵衛殿に参り慮外に及んだ由で切殺しを申し、奉行所に立てられたがその通りで相済んだ由。右はその頃六方と申して男伊達の者が所々にあり、長兵衛は町六方の頭取をいたす者であった。
同年、大友内蔵介殿が召し出された。鎌倉時代の家であったが、その已後中絶し微々として居た。この度女院様のお取り持ちにて召し出された。