翻刻
【右丁】
あまのかるもにすむ虫(むし)のわれからとねをこそなかめ世をばうらみじ
と。なきをれば。此男は人の国より。夜ことにきつゝ。ふへをいとおもしろくふ
きて。こゑはおかしうてぞあはれにうたひける。かゝれば此女はくらにこ
もりながら。それにぞあなるとはきけど。あひみるべきにもあらでなん有ける
さりともと思ふらんこそかなしけれあるにもあらぬ身をしらずして
と。思ひをり。男は女しあはねばかくし。ありきつゝ。人の国にありきて。かくうたふ
《送り仮名:古今無作者》いたづ□に行てはきぬる物ゆへに見まくほしさにいざなわれつゝ
水のをの御 時(とき)成べし。大みやすん所もそめ殿の后(きさき)也。五条のきさきとも
「六十六」むかし男。つの国にしる所有けるに。あにおとゝ友(とも)だちひきゐてな
にはのかたにいきけり。なぎさをみれば。ふねどものあるをみて
《送り仮名:後撰》なには津(ツ)をけさこそみつのうらごとに是や此世をうみわたるふね
これをあはれがりて。人々かへりにけり
「六十七」むかし。男せうえうしに。思ふどちかいつらねて。いづみの国へきさらぎ
【左丁】
はかりにいきけり。かうちの国いこま山をみれば。くもりみ。はれみ立。ゐる
くもやまず。あさよりくもりて。ひるはれたり。雪(ゆき)いとしろう。木のす
へにふりたり。それをみて。かの行(ゆく)人の中に。たゞひとりよみける
きのふけふ雲(くも)の立まひかくろふは花のはやしはやしをうしと成けり
「六十八」むかし男。いづみの国へいきけり。住(すみ)よしのこほり。住吉(すみよし)の里。住吉の
はまを行に。いとおもしろければをりゐつゝ行。ある人住吉の浜とよめといふ
かりなきて菊(きく)のはなさく秋はあれど春のうみへに住よしのはま
と。よめりければ。みな人々よまず成にけり
「六十九」昔。男有けり。其男。いせの国にかりのつかひにいきけるにかのいせの
さいくう成ける人のおや。つねのつかひよりは。此人よくいたはれといひやれり
ければ。おやの事成ければ。いとねん比(ころ)にいたわりけり。あしたにはかり
に出したてゝやり。ゆふさりはかへりつゝ。そこにごさせけり。かくてねん
ころにいたつきけり。二日といふ夜。男われてあわんといふ女もはたいとあは