東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 6

女学範 - 翻刻

女学範 - ページ 11

ページ: 11

翻刻

【右丁】 いふあり。これは もろこし(唐土)の 小学(しやうかく)に。なずらへて/つく(作)れり。このふみ の/をはり(終)に/かみ(神)の/やしろ(社)のことしるせり。この/をのこ(男)。かみ(神)の/みち(道)この めるゆえにや。 女小学(をんなしやうがく)は。宇保氏(うほうぢ)の/ひと(人)の/つく(作)れるなり。をんな(女)の/たヾしき(正)/みち(道) を。その(其)むすめ(娘)に/しめ(示)したるを。あづさ(梓)にちりばめたるとなり。 女大学(をんなだいがく)は。筑前(ちくぜん)の貝原益軒(かいばらえきけん)。名(な)は篤信(あつのぶ)といふ ひと(人)つくれり。 大和俗訓(やまとぞくくん)も益軒(えきけん)つくれり。一ニの/まき(巻)を為学(いがく)といふ。三四の まき(巻)を心術(しんしゆつ)といふ。五の/まき(巻)に衣服(いふく)言語(げんぎよ)をとけ(説)り。六七の/まき(巻) に。躬行(きうかう)をのす。八の/まき(巻)に応接(おうせつ)をとき(説) たり。 五常訓(ごじやうくん)。童子訓(どうじくん)。家道訓(かだうくん)。みな貝原益軒(かいばらえきけん)つく(作)れり 大和女訓(やまろぢよくん)は肥後(ひご)隈本(くまもと)の幡龍子(ばんりやうし)。井沢長秀(いざはまさひで)といふ/人(ひと)つくれり。 【左丁】 女訓雎鳩草(ぢよくんみさごぐさ)も。井沢長秀(いざはまさひで)つく(作)れり。此(この)序文(じよぶん)は。井沢氏(いざはうぢ)のむ(女) すめ須賀(すが)つく(作)れり。 女訓翁草(ぢよくんおきなぐさ)は。筑前(ちくぜん)の/竹田春庵定直(たけだしゆんあんさだなお)といふ/ひと(人)つく(作)れり。 女実語教(をんなじつごきやう)。女童子教(をんなどうじきやう)。女今川(をんないまかは)のたぐひは。なべて/ふみ(文)のみち うとき(疎)にたれど。いとけ(幼)なきをんな(女)にをしへて。あしからぬ かたにおぼゆ。    廿一代集(にじふいちだいしふ) 廿一代集(にじふいちだいしふ)といふは。みな/やまとうた(和歌)を。あつめ(集)たる/ふみ(書)なり。万(まん) 葉集(ゑふしふ)といふ/ふみ(書)は。ふる(古)き うた(歌)の ふみ(書)にて。なら(奈良)のみかど(天皇)の/おん(御) とき(宇)。左大臣(さだいじん)橘諸兄(たちばなのもろえ)公(こう)の。えらひ(撰)たまへりしか。この(此)うちにはい らず。廿一代集とは。古今和歌集(こきんわかしふ)廿巻(はたまき)《割書:紀貫之 紀友則 凡|河内躬恒  壬生忠岑》

現代語訳

【右丁】 というものがある。これは中国の『小学』に倣って作られたものである。この書物の終わりに神社のことが記されている。この男性が神道を好むためであろうか。 『女小学』は、宇保氏の人が作ったものである。女性の正しい道を、その娘に示したものを、印刷に付したということである。 『女大学』は、筑前の貝原益軒、名は篤信という人が作った。『大和俗訓』も益軒が作った。一、二の巻を「為学」という。三、四の巻を「心術」という。五の巻に衣服・言語を説き、六、七の巻に躬行(身を修めること)を載せ、八の巻に応接を説いている。 『五常訓』『童子訓』『家道訓』は、皆貝原益軒が作った。 『大和女訓』は肥後熊本の幡龍子、井沢長秀という人が作った。 【左丁】 『女訓雎鳩草』も、井沢長秀が作った。この序文は、井沢氏の娘の須賀が作った。 『女訓翁草』は、筑前の竹田春庵定直という人が作った。 『女実語教』『女童子教』『女今川』の類は、一般に文学の道に疎い者たちによるものだが、幼い女性に教えるには、悪くない方に思われる。    二十一代集 二十一代集というのは、皆和歌を集めた書物である。『万葉集』という書物は、古い歌の書物で、奈良の天皇の御代に、左大臣橘諸兄公がお選びになったものだが、この中には入らない。二十一代集とは、『古今和歌集』二十巻《割書:紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑》

英語訳

【Right page】 There is one such work. This was created following the model of the Chinese "Xiaoxue" (Elementary Learning). At the end of this book, matters concerning Shinto shrines are recorded. This may be because this man favored the Way of the Gods. "Onna Shōgaku" (Elementary Learning for Women) was created by a person of the Uhō family. It presents the righteous way for women, showing it to his daughter, and was committed to print. "Onna Daigaku" (Great Learning for Women) was created by Kaibara Ekiken of Chikuzen, whose given name was Atsunobu. "Yamato Zokukun" (Japanese Popular Instructions) was also created by Ekiken. Volumes one and two are called "Igaku" (For Learning). Volumes three and four are called "Shinjutsu" (Mental Arts). Volume five explains clothing and language, volumes six and seven contain "kyūkō" (personal cultivation), and volume eight explains social interaction. "Gojōkun" (Instructions on the Five Constants), "Dōjikun" (Instructions for Children), and "Kadōkun" (Instructions on Family Way) were all created by Kaibara Ekiken. "Yamato Jogun" (Japanese Instructions for Women) was created by Banryōshi of Kumamoto in Higo, a person named Izawa Masahide. 【Left page】 "Jogun Misago-gusa" (Women's Instructions: Osprey Grass) was also created by Izawa Masahide. The preface to this work was written by Suga, the daughter of the Izawa family. "Jogun Okina-gusa" (Women's Instructions: Old Man Grass) was created by a person named Takeda Shun'an Sadanao of Chikuzen. Works like "Onna Jitsugo-kyō" (True Word Teaching for Women), "Onna Dōji-kyō" (Children's Teaching for Women), and "Onna Imagawa" (Imagawa for Women) are generally by those unfamiliar with the way of literature, but they seem not bad for teaching young women.    The Twenty-One Imperial Anthologies The Twenty-One Imperial Anthologies refers to collections of Japanese poetry (waka). The "Man'yōshū" is a book of ancient poems, selected by Minister of the Left Tachibana no Moroe during the reign of the Nara emperor, but it is not included among these. The Twenty-One Imperial Anthologies begin with the "Kokin Wakashū" in twenty volumes 《marginal note: Ki no Tsurayuki, Ki no Tomonori, Ōshikōchi no Mitsune, Mibu no Tadamine》