翻刻
【右丁】
宇多院(うだのゐん)の后宮(きさいのみや)。七条(しちぢやう)のきさい。温子(をんし)の おん(御)かた(▢)へ。たて(奉)まつりし
といふに。けつ(決)せりとあり。さもありぬべし。伊勢物語(いせものがたり)に ちう(注)
をせる ふみ(書)は。知顕抄(ちけんしやう)《割書:作者|不知》初冠(ういかうふり)《割書:作者|不知》愚見抄(ぐけんしやう)《割書:一条禅閣|の作》逍遥院(しやうやうゐん)
殿家説(てんのかせつ)《割書:三条西|殿作》惟清抄(いせいしやう)《割書:舟橋三位|環翠軒の作》肖聞抄(しやうもんしやう)《割書:牡丹花老人|肖柏の作》闕疑抄(けつぎしやう)《割書:細川玄旨|作》
杼海(じよかい)《割書:了意|作》盤斎抄(ばんさいしやう)《割書:踏雪|作》山口記(やまぐちのき)《割書:宗祇|作》秘訣抄(ひけつしやう)【注】《割書:高田宗|賢作》拾穂抄(しふずいしやう)《割書:北村|季吟》
などあり。また(又)六条宮(ろくじやうのみや)の。まな(真名)の伊勢物語(いせものがたり)といふあり。か(漢)
ん じ(字)に かい(書)て。かなの てん(点)を つけ(付)られたり。これは後(のち)の中(ちう)
書王(しよわう)の さく(作)といひ つたふ(伝)るなり。
大和物語(やまとものがたり)は。在原滋春(ありわらのしげはる)のつく(作)れるといふ。滋春(しげはる)は。業平(なりひら)
の次郎(じらう)ぎみにて。在次君(ざいしくん)とも な(名)づく。ある(或)は花山院(くわさんのゐん)の おん(御)
つく(作)り もの(物)ともいひつたへたり。この ものが(物語)たりの抄(しやう)。北村季吟(きたむらきぎん)つくる。
【注「決」は誤】
【左丁】
栄花物語(ゑいがものがたり)は。赤染衛門(あかそめゑもん)の つく(作)れるといふ。宇多天皇(うだのみかど)より。
後(のちの)朱雀院(すさくゐん)までのあひだの。帝王(みかど)。中宮(ちうぐう)。摂家(せつけ)のことを のせ(載)た
り。その ふみ(書)の かず(数)。四十 章(しやう)あり。こゝにのす。
つきのえん 花山(くわさん) さま〴〵の悦(よろこひ) 見はてぬ夢(ゆめ) うら〳〵の別(わかれ)
かゝやく藤壺(ふぢつぼ) 鳥辺野(とりべの) はつ花(はな) いはかげ 日影(ひかげ)の葛(かづら)
つぼみ花(はな) 玉村筆(たまむらのふて)【ママ】 木綿四手(ゆふしで) あさみどり 疑(うたがふ)
本(もと)のしづく をんがく 玉台(たまのうてな) 御着裳(みもぎ) 御賀(おんが)
後悔大将(こうくわいのだいしやう) 鳥舞(とりのまひ) 駒競(こまくらべ) わか枝(え) 峯(みね)の月(つき)
楚王(そわう)の夢(ゆめ) 衣珠(いしゆ) 若水(わかみづ) 玉(たま)のかざり 鶴林(つるのはやし)
殿上花見(てんじやうのはなみ) 哥合(うたあはせ) きるはわびしと歎女房(なげくにようばう) 晩待星(くれまつほし)
蛛振舞(くものふるまひ) 根合(ねあはせ) 煙後(けふりののち) 松のしつは【ママ】 布引滝(ぬのひきのたき) 紫野(むらさきの)
現代語訳
【右丁】
宇多院の后宮、七条の后、温子の御方へ献上したという説で決着しているとある。それももっともなことである。『伊勢物語』に注釈をした書物には、『知顕抄』(作者不詳)、『初冠』(作者不詳)、『愚見抄』(一条禅閣の作)、『逍遙院殿家説』(三条西殿作)、『惟清抄』(舟橋三位環翠軒の作)、『肖聞抄』(牡丹花老人肖柏の作)、『闕疑抄』(細川玄旨作)、『杼海』(了意作)、『盤斎抄』(踏雪作)、『山口記』(宗祇作)、『秘訣抄』(高田宗賢作)、『拾穂抄』(北村季吟)などがある。また六条宮の真名の『伊勢物語』というものがある。漢字で書いて、仮名の点を付けられている。これは後の中書王の作と言い伝えられている。
『大和物語』は、在原滋春が作ったという。滋春は、業平の次男で、在次君とも名付ける。あるいは花山院の御作り物とも言い伝えられている。この物語の抄は、北村季吟が作る。
【左丁】
『栄花物語』は、赤染衛門が作ったという。宇多天皇から後の朱雀院までの間の、帝王、中宮、摂家のことを載せている。その書の数は四十章ある。ここに載せる。
月のえん、花山、さまざまの悦び、見果てぬ夢、うらうらの別れ、輝やく藤壺、鳥辺野、初花、岩陰、日陰の葛、蕾み花、玉村筆(玉の斧?)、木綿四手、浅緑、疑う、本のしずく、音楽、玉の台、御着裳、御賀、後悔大将、鳥舞、駒競、若枝、峰の月、楚王の夢、衣珠、若水、玉の飾り、鶴林、殿上花見、歌合、切るは侘しと歎く女房、晩待星、蜘蛛振舞、根合、煙の後、松のしずく(?)、布引滝、紫野
英語訳
【Right page】
It is said that it was presented to Empress Ōnshi at the court of Emperor Uda, specifically to the Empress of Shichijō, and this theory has been settled upon. This seems quite reasonable. Books that provide commentary on "The Tales of Ise" include: "Chiken-shō" (author unknown), "Ui-kōburi" (author unknown), "Guken-shō" (by Ichijō Zen'aku), "Shōyō-in Denka-setsu" (by Lord Sanjō-nishi), "Isei-shō" (by Funahashi Sanmi Kansuiken), "Shōmon-shō" (by Botanka-rōjin Shōhaku), "Ketsugi-shō" (by Hosokawa Genji), "Jokai" (by Ryōi), "Bansai-shō" (by Tōsetsu), "Yamaguchi-ki" (by Sōgi), "Hiketsu-shō" (by Takada Sōken), and "Shūsui-shō" (by Kitamura Kigin). There is also the "Mana Ise Monogatari" by Prince Rokujō. It is written in Chinese characters with kana reading marks attached. This is said to have been created by the later Chūsho-ō.
"Yamato Monogatari" is said to have been written by Ariwara no Shigeharu. Shigeharu was Narihira's second son, also called Zaishi-kun. Alternatively, it is also said to be a creation of Emperor Kazan. A commentary on this tale was written by Kitamura Kigin.
【Left page】
"Eiga Monogatari" is said to have been written by Akasome Emon. It records the affairs of emperors, empresses, and regent families from Emperor Uda to the later Emperor Suzaku. The number of books is forty chapters. They are listed here:
Tsuki no En, Kazan, Sama-sama no Yorokobi, Mihatenu Yume, Ura-ura no Wakare, Kagayaku Fujitsubo, Toribeno, Hatsuhana, Iwakage, Hikage no Kazura, Tsubomi-bana, Tamamura no Fude (?), Yūshide, Asamidori, Utagau, Moto no Shizuku, Ongaku, Tama no Utena, Mi-mogi, On-ga, Kōkai Daishō, Tori no Mai, Koma-kurabe, Waka-e, Mine no Tsuki, Sō-ō no Yume, Ishu, Wakamizu, Tama no Kazari, Tsuru no Hayashi, Tenjō no Hanami, Uta-awase, Kiru wa Wabishī to Nageku Nyōbō, Kurematsu-boshi, Kumo no Furumai, Ne-awase, Kemuri no Nochi, Matsu no Shizuku (?), Nunohiki no Taki, Murasaki-no