日本の仏典を翻刻

コレクション: 大日本仏教全書第20巻

一 最勝問答抄十巻 - 翻刻

一 最勝問答抄十巻 - ページ 5

ページ: 5

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【一〇頁】 【上段】 靈鷲山宣說以釋自體擧用顯之《割書:ト述タル》此意也。餘師釋 ▢▢▢▢▢ 重尋云。疏次下憍陳如婆羅門 ̄ノ位 ̄ハ地前 ̄ナリト云事 ̄ヲ 釋 ̄スルニ。▢▢▢變化身說故。能化變化身者。所化可_二 ̄ト地 前 ̄ナル_一判 ̄セリ。而今何云_三法報 ̄ニシテ非_二 ̄ト化身_一耶。 會云。今此我常在鷲山等頌。三身俱兼說_レ之。常在之邊。 唯說_二法報二身_一。在鷲山 ̄トハ說_二化身_一也。爰以 ̄テ上 ̄ニ說_二法報 二身_一者。常在之邊ヲ釋 ̄スル ナリ。說_二化身_一者。釋_二在鷲山 之方_一也。仍上下不_二相違_一歟。或上下相違。可_レ云_二 二釋_一也。 問。經文有(淸辨已構爲之)婆羅門姓憍陳如《割書:云云》。爾者此婆羅門者。十廻 向之中。第十廻向 ̄ト云事 ̄ヲハ。淄洲大師何釋_レ之耶。 進 云。得_二法師授記_一故《割書:云云》。 付_レ之。法師者。能化如來。授記 者。所得記別也。而得_二授記_一。地位無_レ定。何云_二第十廻向_一 耶。彼三根聲聞。學無學位。預_二作佛授記_一。提謂長者 ̄ノ深 位 ̄ナル。旣得_二成佛記_一。何以_レ得_二授記_一釋_二法界無量廻向_一耶。 如何。問。經文有婆羅門姓憍陳如《割書:云云》。爾者本地何位耶。 進云。疏作_二 二釋_一。一第十廻向。二入地菩薩《割書:云云》。付_レ之。 【下段】 二釋俱不_レ明。披_二 ̄テ經文_一。尋_二 ̄ヌルニ法師授記 ̄ヲ_一。求_二 ̄メテ佛舍 利 ̄ヲ_一。願 ̄フ_レ生_二 ̄シト忉利天_一。智慧旣狹劣 ̄ナリ。第十廻向 ̄ハ。加行 位。智前至極處也。智慧廣大也。何云_二第十廻向_一耶。況 入地以去菩薩耶。 私云。經文以_レ無_二 一定_一。疏中作_二 二釋_一。 初釋 ̄ノ心 ̄ハ。經旣云_二我常在鷲山・宣說此經寶_一《割書:云云》。能化 ̄ノ 佛 ̄ハ靈山能居 ̄ノ變化身《割書:ト見タリ》。能化佛。旣地前如來也。 所化定可_二 地前_一。又如_二疑難_一。願_二忉利天_一行相。地前淺位 《割書:ト見タリ》。開_二方便門_一。爲_レ利_二-益衆生_一。求_二佛舍利_一。設加行位 菩薩。何無_二此作法_一耶。但得_二授記_一故。第十廻向云事者。 首楞嚴經中。授記說_二 四種_一。未發心授記。適發心授記。密 授記。得無生忍現前授記也。地前四十心。適發心授記 也。而第十廻向。發_二堅固菩提心_一以來。極位滿心也。故 云_二第十廻向_一歟。《割書:授記品疏可_レ見_レ之。》 重尋云。今此婆羅門。求_二佛舍利_一。欣_二忉利天_一。可_二是未發 心授記位_一。何堅固發心以去耶。次與_二記別_一事。位未足。 《割書:[考]足|恐定》設發心已去 ̄ナリトモ。在_二已前位 ̄ニモ_一何必云_レ在_二第十 廻向_一耶。 【一一頁】 【上段】 會云。適發心已去云事。疏中引_二眞諦三藏所譯經文_一云。 於佛所說義我已聞知《割書:云云》。旣云_二我已聞知_一。明知開_レ悟非_二 未發心位_一云事。是雖_二後釋意_一。遮_二未發心授記_一事 ̄ハ是同。 況今經文。婆羅門說_二 三身相_一事。甚深也。非_二 ̄ト未發心行 相_一《割書:見タリ》。 又尋云。疏後釋不_レ明。設說_二入《割書:[考]入|恐八》地已去_一。何廣說_二 入地已去_一耶。八地已上。名_二大授記_一。定得_二聖記別_一故。若 爾可_レ云_レ說_二第八地_一耶。依_レ之。新羅興法師。如_レ此釋。又 能化佛住_二《割書:スト云》靈山_一。地前能化 ̄ナリ。所化亦可_二 地前_一耶。 會云。疏引_二眞諦本_一。以_レ云_二我已聞知 ̄ト_一證 ̄トシテ。聖性離生 ̄ノ 後 ̄ノ開悟 ̄ノ位《割書:ト見タリ》。得_二 ̄ルヿ聖記_一。何必第八地耶。次住_二 靈山_一故。能化變化身云事。不_レ可_レ然。常在靈鷲山《割書:ト云ハ》。非_二 報身_一耶。爰以疏上。法報二身《割書:ト釋セルヲ耶》。 金剛般若會 釋中。引_二華嚴經說_一。第十法界無量廻向。預_レ受_二大法師記_一 《割書:云云》。今疏依_二彼說_一歟。 佛母抄云。今疏釋。法師授記。婆羅門在_二第十廻向_一事。 第十法界無量廻向。受_二大法師記別_一故。《割書:爲言》不_レ云_下婆羅 【下段】 門得_二授記_一故。在_中第十廻向_上歟。進頗僻事也。  春日([奧曰])社新造屋 十帖之内第一    以寫本一交了   料紙 順賢房(寶德院坊務)僧都沙_二-汰之_一   永祿元年六月廿六日始_レ之。潤六月十五日書_レ之   畢。           執筆《割書:春信》淸胤 【「[考]」は四角囲み文字】

現代語訳

【十頁】 【上段】 霊鷲山で宣説することを、自体を釈して用を挙げてこれを顕すと述べた、この意味である。他の師の釈は〔文字不明〕 重ねて尋ねる。疏の次の下で、憍陳如婆羅門の位は地前であるということを釈するのに、〔文字不明〕変化身の説であるから、能化の変化身であれば、所化は地前であるべきだと判じた。しかし今なぜ法報身であって化身ではないと言うのか。 会して云う。今このわれは常に鷲山にいる等の頌は、三身をともに兼ねてこれを説く。常在の辺では、ただ法報二身のみを説く。鷲山にいるとは化身を説くのである。ここで上で法報二身を説くというのは、常在の辺を釈するのである。化身を説くというのは、鷲山にいるという方を釈するのである。よって上下は相違しないであろう。あるいは上下が相違するので、二釈と言うべきである。 問。経文に「婆羅門姓憍陳如がある」とある。そうするとこの婆羅門が十回向のうち第十回向であることを、淄洲大師はなぜ釈したのか。 進云。法師の授記を得たから。 これについて、法師とは能化の如来であり、授記とは得る所の記別である。しかるに授記を得ることは、地位に定めがない。なぜ第十回向と言うのか。かの三根声聞は学無学位で、作仏授記を預かる。提謂長者の深位は、既に成仏記を得た。なぜ授記を得ることをもって法界無量回向を釈するのか。どうか。 問。経文に「婆羅門姓憍陳如がある」とある。そうすると本地は何位か。 進云。疏で二釈を作る。一つは第十回向、二つは入地菩薩。 これについて、 【下段】 二釈ともに明らかでない。経文を披いて、法師授記を尋ね、仏舎利を求めて、忉利天に生まれることを願う。智慧は既に狭劣である。第十回向は加行位で、智前の至極処である。智慧は広大である。なぜ第十回向と言うのか。況んや入地以後の菩薩であろうか。 私云。経文には一定がないので、疏中で二釈を作る。初釈の心は、経に既に「我は常に鷲山にいて、この経宝を宣説する」と云う。能化の仏は霊山に能く居る変化身と見える。能化仏が既に地前如来であるので、所化は定めて地前であるべきである。また疑難のように、忉利天を願う行相は、地前の浅位と見える。方便門を開いて、衆生を利益するために仏舎利を求める。たとえ加行位の菩薩であっても、なぜこの作法がないことがあろうか。ただし授記を得たから第十回向と云うことは、首楞厳経中で、授記を四種に説く。未発心授記、適発心授記、密授記、無生忍を得て現前授記である。地前四十心は適発心授記である。しかるに第十回向は、堅固菩提心を発してより極位満心である。故に第十回向と云うのであろう。(授記品疏を見るべきである。) 重ねて尋ねる。今この婆羅門は仏舎利を求め、忉利天を欣う。これは未発心授記位であるべきである。なぜ堅固発心以後なのか。次に記別を与えることは、位が未だ定まらない。たとえ発心以後であっても、以前の位にあっても、なぜ必ず第十回向にいると言うのか。 【十一頁】 【上段】 会して云う。適発心以後と云うことは、疏中で真諦三蔵所訳の経文を引いて云う。「仏の所説の義を我は已に聞知した」と。既に「我は已に聞知した」と云うので、明らかに開悟して未発心位でないことを知る。これは後釈の意であるが、未発心授記を遮することは同じである。況んや今経文で、婆羅門が三身相を説くことは甚だ深い。未発心の行相ではないと見える。 また尋ねる。疏の後釈は明らかでない。たとえ入地以後を説くとしても、なぜ広く入地以後を説くのか。八地以上を大授記と名づけ、定めて聖記別を得るからである。そうであれば第八地を説くと言うべきか。これに依って、新羅の興法師はこのように釈する。また能化仏が霊山に住するのは、地前の能化である。所化もまた地前であるべきか。 会して云う。疏で真諦本を引いて、「我は已に聞知した」と云うことを証として、聖性離生の後の開悟の位と見る。聖記を得ることに、なぜ必ず第八地でなければならないか。次に霊山に住するから、能化は変化身と云うことは然るべきでない。「常に霊鷲山にいる」と云うのは、報身ではないか。ここで疏の上で、法報二身と釈したのではないか。金剛般若会釈中で、華厳経の説を引いて、「第十法界無量回向は、大法師記を預け受ける」とある。今疏はその説に依るのであろう。 仏母抄に云う。今疏の釈で、法師授記で、婆羅門が第十回向にいることは、第十法界無量回向が大法師記別を受けるからである。婆羅 【下段】 門が授記を得たから第十回向にいると言うのではないであろう。これはかなり偏った事である。 春日社新造屋 十帖の内第一 写本を以て一交了 料紙 順賢房(宝徳院坊務)僧都の沙汰なり 永禄元年六月二十六日これを始む。潤六月十五日これを書き畢んぬ。 執筆 春信 清胤