翻刻
其後嵯峨の天皇御宇弘仁元年八月廿一日
そふもん有一御大師こんじきの光さし大日如来
とならせ給ふ一のていわうもかむりを地につけ
三度らいはひし給ふくぎやう大臣拝奉りそれより
此 来(かた)一天四海に真言の宗【字?】百を尊み給ふ帝(みかと)より
東寺(とうじ)を給ふ伝とう大師に至しんぜんゑんにて
雨乞しゆびんと法 問(もん)あらそひきどくの事有
今の都くわんむ天皇御宇山城之くにながおかより
平城へうつし東山にくろ金にて人形を作り
将軍塚と名付かつちう弓矢を帯(たい)し王城を守り
給ふ御大師かみ一条より九条に至迄こんがうかひ七百余
ぞんすへさせ給ふ末代に至迄他所へ移(うつ)さじと五十
六おく七千万ざいみゑひのあかつきみろくの出世迄
とのちかい也其後四国に八十八ヶ所之札所を立させ
給ふ坂の数四百八十八川の数百八十八惣て四百八
十八里也大遍路七度中遍路二十壱度小へん路三十
三度なさる也中にも讃岐国においてかかう殿
と申大名壱人候へしが今生にては十人の子を持