翻刻
宿せり其後川勝丹後守殿に仕ふ後に糀町に住して
算を教ゆ初古郡彦左衛門か弟子也しか天元術を関氏
門人の内より得て則己か発明として流派を建て
弟子を教ゆ大に世に称せらる其門人に四天王と称する
は藤野源四郎河崎新右衛門河内武大夫中西文左衛門也
中西文左衛門正利は十大夫か弟也算法[適当集を著]す
藤野源四郎は 公儀の御賄手代也河内武大夫は
松平美濃守殿に仕ふ磯村十郎右衛門は河内武大夫か
門人也久留嶋左助も中西十大夫門人なり
関氏の門人多き内に建部兵庫同隼之助同彦次郎
[関氏門人は
則荒木先生也
とかや先生は
河内武大夫か姪
を妻とせり
故とかや石津氏
の談也]
三人の事は世に知る所也三瀧四郎右衛門郡智三俣八左衛門
久長両人発微算法を著す沢口三郎左衛門一之は古今
算法を著す今は世の知れる者も無けれとも関氏門人
の内高弟にして甚数に委しく有し関備前守殿に
仕へて其名を後藤角兵衛といへり少し[の越度有て]
家を出されしか其行方をしらす此角兵衛か家来に
五郎八といふあり年期者なりけれは数年角兵衛か
術を見て己れも能ら得たりけり備前守殿へ出入す
茶や荒木次左衛門といへる町人に勧められて剃髪せし
程に角兵衛怒て追放しけりいまた一月も過さるに
[茶屋先生の
旅也先生も
関備前守殿に
仕し故是]