翻刻
之普賢山と城郭の間に前山と申山あり高山頂
より麓迄暫時に割崩れ山水涌出候此時御城主様
御立退御家中も陸を走り船に取乗り老たる親幼
き子を助け何国共なくさまよひ落行あり様哀と
いふも余りあり斯る所に城下の海より高波打上
け山水と一ツになり城郭の東南に押廻し町家
山下の小屋敷等悉く一軒も残らす押流す也高
波打上候里数幅五十間ゟ七百間長サ五十丁道十
三里汐の高サ四十八丁餘あり流死人壱万百七十四人
斃牛馬四百六十弐疋家敷五千三百四軒怪我人六百
四十三人荒田畑塩漬共に四百八十八丁寺社三十九ケ所
破舟五百八十弐艘中にも早舟壱艘城付の金子并に
寶物等積候て自然変災の節何方へも押出し候
ため兼て用心いたし有之城下の湊に引付役人舟手ま
で乗組居申候処右之高波に空敷相洩れ候段是非も
なき次第也此外道橋川堤等損所夥し右の山〻崩
れ落悉く海に押出し小山多く出来たり押流したる
山下屋敷町家跡山となり或は潮人と成城下地形相
分り不申潰家大木大石城郭に押懸り城内泥入
となり申候其後御定番として一手〳〵交代にて城
郭相守被申候
一 薩摩國松平豊後守様の御使者市東次郎衛門明日