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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之19 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之19 - ページ 11

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【牛頭山弘福寺の続き】   牛頭山弘福禅寺大鐘銘並序   瑞聖鉄牛和尚住弘福之明年修葺寺宇将大完井   伊氏伯耆守直武公与玉心院太夫人寿林元栄大   師発心施金為造巨鐘以利幽顕寓書徴余銘為之   銘曰   牛首之阜兮有大法将整■淋宮兮曷殊天匠幸値   賢守兮母子全心乃召鳬氏兮乃簡赤金範斯巨器   兮永鎮禅林暁昏考撃兮以利幽顕曰福曰寿兮夫   豈浅鮮用祈 世主兮万歳千春億兆楽業兮四海   帰仁螽斯衍慶兮子孫振振以空為口兮密婁為毫   擬書厥勣兮莫碑?一毛   貞亨五年歳在著雍執徐林鐘上澣穀且   支那国伝臨済?正宗世四世高泉潡敬撰 【挿し絵】 牛 頭 山  漢門(かんもん) 《割書:総門(そうもん)をいふ|額(かく)は同(おな)し》  《割書:軒(のき)にかけたり開山(かいさん)|鉄牛(てつきう)の筆(ふて)なり》 【挿し絵】 福地弘安?竜象参 玄門高■聖■■  聯(れん) 《割書:同し|左右》  《割書:の柱(はしら)に掲(かく)る|筆者(ひつしや)上に》  《割書:同し| 》 秋葉大権現(あきはたいこんけん)社 同所三丁あまり東(ひかし)の方(かた)請地(うけち)村にあり 《割書:亀戸村(かめとむら)吾嬬権現(あつまこんけん)の社記(しやき)に|請地(うけち)上古(いにしへ)は浮地(うきち)と称(しよう)し》  《割書:たりと|あり》 遠州(えんしう)秋葉権現(あきはこんけん)を勧請(くはんしやう)し稲荷(いなり)の相殿(あいてん)とす 《割書:千代世(ちよせ)|稲荷(いなり)と云》 当社(たうしや)の権興(はしめ)  しるへからす或(あるひ)は云 正応(しやうをう)年間の勧請(くはんしやう)なりとも別当(へつたう)は三宝寺(さんはうし)末寺(まつし)にて  千葉山万願寺(ちはさんまんくはんし)と号(かう)す神泉(しんせん)の松(まつ)と称(しよう)するは社前(しやせん)にありて松(まつ)の控(うろ)より  清泉(せいせん)漏出(ゆしゆつ)するをいふ諸(もろ〳〵)の病(やまひ)に験(しるし)ありといへり 《割書:祭礼(さいれい)は毎年(まいねん)十一月|廿八日に執行(しゆきやう)あり》  境内(けいたい)林泉(りんせん)幽邃(いうすい)にして四時遊観(しいしいうくはん)の地なり門前(もんせん)酒肆(さかや)食店(りようりや)多(おほ)く各(おの〳〵)  生洲(いけす)を構(かま)へて鯉魚(こい)を畜(か)ふ 清竜山蓮華寺(せいりうさんれんけし) 寺島村(てらしまむら)にあり 《割書:寺記(しき)に云く昔(むかし)此地(このち)は海原(うなはら)なり後世(こうせい)漸(やうやく)干潟(ひかた)と|なりし頃(ころ)当寺(たうし)を創建(さうこん)ありし故(ゆへ)に寺島(てらしま)の称(しよう)ありと》  《割書:いへり小田原北条家(おたはらほうてうけ)の所領役帳(しよりやうやくちやう)に行方(なめかた)|与次郎 葛西(かさい)寺島(てらしま)の地(ち)を領(りやう)すとあり》 当寺(たうし)は真言宗(しんこんしう)にして醍醐(たいこ)の三宝院(さんはうゐん)に属(そく)す  本尊(ほんそん)阿弥陀如来(あみたによらい)の像(さう)は恵心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)といふ  太子堂(たいしたう)本堂(ほんたう)の右にあり本尊(ほんそん)聖徳太子(しやうとくたいし)の像(さう)は十六歳の真影(しんえい)にして  太子(たいし)自(みつから)彫造(てうさう)ありしと云北条経時(ほうてうつねとき)の念持仏(ねんちふつ)にて往古(そのかみ)は相州(さうしう)鎌倉(かまくら)佐々(さゝ)  目谷(めかやつ)にありしを弘安(こうあん)三年の秋(あき)北条頼助(ようてうよりすけ)寺院(しゐん)ならひに本尊(ほんそん)共(とも)に  此地へ引移(ひきうつ)し同年八月二日入仏供養(にうふつくやう)を営(いとなみ)し故(ゆへ)今(いま)に至(いた)る此日(このひ)を  以(もつ)て縁日(ゑむにち)とす又 (これ)より先(さき)寛元(くはんけん)二年の夏(なつ)国中(こくちゆう)大(おほひ)に疫疾(えきしつ)流行(りうかう)し  人民(しんみん)死(し)する者(もの)少(すくな)からす経時(つねとき)頻(しきり)に是(これ)を歎(なけ)き本尊(ほんそん)に告(つけ)て諸人(しよにん)の病(ひやう)