東京学芸大学「学びと遊びの歴史」を翻刻!

コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之19 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之19 - ページ 25

ページ: 25

翻刻

【挿し絵】 梅若丸(むめわかまる)七歳のとし 比叡(ひえ)の月林寺(くはちりんし)を のかれ出て花洛(みやこ)北(きた) 白川(しらかは)の家(いへ)に帰(かへ)らん とし吟(さまよ)ふて大津(おほつ)の 浦(うら)に至(いた)りけるに 陸奥(みちのく)の信夫(しのふ)の藤太(とうた) といへる人(ひと)あきひとの ためにすかしあさむ かれてはる〳〵とこの 隅田川(すみたかは)に来(き)ぬる ことは本文(ほんもん)に     詳(つまひらか)なり 因(ちなみ)に云(いふ)人買(ひとかい)藤太(とうた)は 陸奥(みちのく)南部(なんふ)の産(さん) なりとて今も南(なん) 部(ふ)の人(ひと)は其 怨霊(おむれう) ある事を恐(をそれ)て木母寺(もくほし) に至(いたら)さること矢口(やくち)の 新田明神(につたみやうしん)へ江戸氏(えとうち)の 人(ひと)はゝかりて  詣(まうて)さるか如(こと)し

現代語訳

【挿絵】 梅若丸七歳の時、比叡山の月林寺を逃れ出て、都(京都)の北白川の家に帰ろうとさまよって大津の浦に至ったところ、陸奥の信夫の藤太という人で商人のために騙され欺かれて、はるばると、この隅田川に来たことは本文に詳しく記されている。 ちなみに言うと、人買い藤太は陸奥南部の出身であるといって、今も南部の人はその怨霊があることを恐れて木母寺に参詣しないことは、矢口の新田明神へ江戸氏の人が遠慮して参詣しないのと同じである。

英語訳

【Illustration】 When Umenowaka-maru was seven years old, he escaped from Getsurinji Temple on Mt. Hiei and wandered trying to return to his home in Kitashirakawa in the capital (Kyoto). When he reached Ōtsu Bay, he was deceived and tricked by a merchant named Shinobu-no-Tōta from Michinoku, and came all the way to this Sumida River, as is detailed in the main text. Incidentally, it is said that the human trafficker Tōta was from Nanbu in Michinoku, and even today people from Nanbu fear his vengeful spirit and do not visit Bokuboji Temple, just as people of the Edo clan refrain from visiting Nitta Myōjin at Yaguchi.