翻刻
【挿し絵】
関谷(せきや)
天満宮(てんまんくう)
其
三
【図中】
氷川
関や
天神
此辺を
関谷の
里と
いふ
【本文】
鐘(かね)か潭(ふち) 同所 隅田河(すみたかは)荒川(あらかは)綾瀬川(あやせかは)の三俣(みつまた)の所(ところ)をさして名(な)つく 《割書:小田原北条家(をたはらほうでうけ)の|所領役帳(しよりやうやくちやう)に》
《割書:千葉殿(ちはとの)とある所領(しよりやう)の中(うち)に下足立(しもあたち)三俣(みつまた)と|いへる地名(ちめい)を加(くは)へたり按(あんする)に此地(このち)の事(こと)なるへし》 伝(つた)へ云 昔(むかし)普門院(ふもんゐん)といへる寺(てら)の鯨鐘(かね)此潭(このふち)に
沈没(ちんほつ)せりとも又 橋場(はしは)長昌寺(ちやうしやうし)の鐘(かね)なりともいひて今両寺(いまりやうし)に存(そん)する所(ところ)の
新鋳(しんちよ)の鐘(かね)の銘(めい)にも此事を載(あけ)たり何(いつれ)か是(せ)ならん
《割書:按(あんする)に鐘(かね)か淵(ふち)と名(なつ)くる地(ち)同(おなし)川上(かはかみ)岩淵(いはふち)の五徳巌(ことくいわ)といへる所(ところ)にもありしとそ往昔(そのかみ)普門院(ふもんゐん)は隅田川(すみたかは)|三胯(みつまた)の城中(しやうちゆう)にありしを元和(けんわ)二年住持(ちゆうち)栄真(えいしん)地(ち)を卜(ほく)して寺(てら)を今(いま)の亀戸(かめとむら)に移(うつ)せり》
《割書:其頃(そのころ)あやまつて華鯨(かね)を水中(すいちゆう)に投(とう)すと土俗(とそく)伝(つた)へて橋場法源寺(はしはほふけし)の鐘(かね)とするものは誤(あやまる)に| 似たり》
牛田薬師堂(うしたのやくしたう) 木母寺(もくほし)より……